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祖父が亡くなったのは、五年前の十月のことである。僕は当時、高校一年生だった。
晩年、肺炎を患い、何度も入退院を繰り返していた祖父は、
「最後はせめて、家の畳の上で死にたいわ」
何度もお見舞いに来た僕に、そう喋っていたが、その願いは虚しくも叶わず、最後は僕らが見守る中、病室のベッドの上で八十六歳という生涯を安らかに終えた。
僕は祖父にとって初めての孫だった。
目に入れても痛くない、と赤ちゃんだった僕をよく抱っこしては、まるで口癖のように言っていたそうである。
たくさん、かわいがってもらった。
量や数、そういったものではけっして表すことができないぐらいの愛情を与えてもらい、僕も祖父のことが、大好きだった。
親元を離れるまで使っていた自室のベッドに三年ぶりに寝転がった夜、夢を見た。夢の中で僕は五歳に戻っていた。祖父が一緒。二人で出かけていた。
週末になると、よく祖父が僕の手を引いて、京都や大阪など、色んな場所へ遊びにつれて行ってくれた。全て楽しかった思い出しかない。しかし、夢に出てきたのは、初めて石山坂本線を乗り通した際の記憶だった。
石山坂本線は『源氏物語』の作者として知られる紫式部ゆかりの地、
当時、祖父母宅があった住宅街の中を石坂線は、まるで蛇のように線路を通していた。生活と鉄道が密接に関係している町だった。
祖父は自動車の運転免許を持っていなかった。なので、移動手段は常に鉄道。
祖父母の家から歩いて五分もしない場所にある小さな無人駅が、いつも二人のお出かけのスタートだった。
電車のスピードは、新幹線とは比べ物にならないぐらいゆっくりとしている。車両も特急列車のようにカッコいい見た目をしているわけでもない。しかし、大好きな祖父と乗る電車は特別な空間という感じがした。僕は大好きな人と乗る石坂線を通じて、電車が好きになった。
翌朝、目が覚めると、頬に涙が伝った跡ができていた。亡き今でも思いが変わらない祖父と、夢の中だが出逢え、また一緒に出かけていた。それが、とても嬉しかった。
そして、出かけたくなった。
祖父と過ごした時間を感じられるものは、時間の経過と共に、少しずつなくなっていった。
祖父が四十歳の時、滋賀に引っ越してきて建てた家は、祖父の死後、老朽化の為に解体し、更地にした。その後、土地は無事に契約され、今は別の家族が新たな家を築いて住んでいる。
近所の光景も、ずいぶん変わってしまった。
祖父が気に入っていた個人経営の本屋は、今はなくなって別の店が入った。十字路の端にあった丸い郵便ポストも、青い屋根のアパートも……たくさんのものが更新されていき、時の流れのわびしさを知った。
だが、変わったものもあれば、反対に変わらないものも存在する。それが、石坂線の電車だった。高校生まで慣れ親しんだ、緑の電車は、今でも走ってくれている。
(思い出を感じたい)
着替えを済ますと、財布とスマホをポケットに突っ込み、僕は家を出た。
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