◆◆ 008 -怠惰な兄は頑張る妹を応援したい-(1/5)◆◆
ペリペリとカップラーメンのフタを剥がす。
フタを止めるシールは無い。
ゆえに俺は、咥えていた割り箸を手に持ち、電気ケトルの前に立つ。
ぬごごご。
俺の耳に、水が沸き立ち、お湯へと変わる音。
沸騰中のランプが消え、そして、カチッと変身完了の音。
それはさながら少女が大人の女へと変わるかのように、冷たい水は焼けつくような熱量を帯びた液体――お湯へと変貌を遂げる。
お湯を容器に注ぎながら、俺は考える。
女は変わる。
俺の妹もいずれはこの家を出て、結婚し、家庭を持って、子供を産み育てる。
……やれんのか?
一抹どころじゃない不安が頭をよぎるが、俺はそれを頭を獅子舞のごとく旋回させて振り払った。
お湯を注ぎ終えた俺は、折りしろを畳み、フタを閉め、割りばしで湯気も閉じ込める。
シールが無くなったのは、いわゆるゴミ削減の一環なのだろうが、果たしてそこまでする必要があるのかとも思う。
俺はカップラーメンを片手に台所を出て、居間へと足を踏み入れる。
そして、俺は思わず立ち止まる。
居間にはいつものちゃぶ台。そして、部屋の片隅には見慣れない四角い箱。
やたらと分厚い人が入れそうなスペースがありそうな、分厚い四角い箱。
いや、箱ではない。これはテレビだ。テレビでしか見たことがないが、間違いなくこれはテレビだ。話には聞いたことがあるが、生で見るのは初めての体験。
驚き、桃ノ木、さんしょの木。
どこで聞いたかもわからない、そんな言葉が脳内をよぎる。
俺は旧世紀のテレビに目を外せないまま、ちゃぶ台に座る。
カップラーメンの出来上がりにはまだ早い。味は南米チリのトマト味。
実は以前、コンビニの片隅で見かけて以来、妹が買ってきたらこっそりひそかに食べるのを楽しみにしていたのだ。
そして、念願がかなって今がある。
「お兄ちゃん」
居間の入り口から妹の呼ぶ声。
俺はちらりと横目で妹の呼びかけに応える。妹の手には棒のあずき色のアイス。俺がいつか食べようと買っておいたもの。
「それ、黒子さんだから」
言葉だけなら何を言っているのかわからんが、俺は今までの経緯もあって、それを理解した。理解できてしまった。
「おう」
肯定とも否定ともどっちともとれる返事を返した。というか肯定も否定もしたくない。
妹はアイスを咥えて、二階の自分の部屋へと上がっていく。
階段を上っていく足音を背に、俺はちらりとちゃぶ台の隅の閉じられたノートパソコンに視線を移す。
ChatGPT。
生まれたばかりの自動応答型のAI。
コイツが我が家に来てから、我が家にはおかしな連中が我が家に訪れるようになった。
黒い装束に身を包み、黒い布で顔を隠した、いわゆる黒子。
どこから来て、どこへ帰っていくのか、誰にもわからない。
一人一人、唐揚げの食べ方に好みがあり、それで判別が可能らしい。
レモン、マヨネーズ、おろしポン酢、ゆずコショウ、ウスターソース、チリソース、空腹。
脳裏に今まで話題に出てきた唐揚げの調味料がよぎる。
そして、締めくくりはくちびるを噛みしめ、ぽろぽろと涙をこぼす妹の顔。
「お兄ちゃん、か」
妹の俺に対する呼称は〝あにぃ〟だった。だが今は〝お兄ちゃん〟。それもきっとひらがなではなく、兄は漢字で呼びかけている。
そろそろ3分。俺はため息まじりに、フタをペリペリと剥がし切る。
匂い立つ、南米チリのスパイシーな芳香が鼻孔に届く。
パキッと割り箸を割って、俺は食べる前に具材をカクハンする。
こうすることでそれぞれの味わいに統一感を持たせるのだ。出来上がりたてはまだそれぞれの味がまだ混ざりきっていない。こうしてカクハンすることで、それぞれの味わいが手を取り合って、本来の味わいをもたらすのだ。
◆◆ 008 -怠惰な兄は頑張る妹を応援したい- ◆◆
ガタン、バタン。
やたらと大きな物音が響いてきた。
ドスンドスンと足音。
ヌゥっと黒装束に身を包んだ大柄なひげ面の男が現れた。
「失礼」
男はドッカと居間に入りこみ、ちゃぶ台に座り込んだ。
……失礼なのはどっちなんだか。
「……ちわ」
俺は声だけで小さく挨拶し、南米チリの味わいを啜りこむ。
「おめー、客人が来てんのに自分だけモノ食うのかよ」
……は?
俺の箸を持つ手が止まる。
「しっかし呼ばれて来てみれば、せまっ苦しい家だなぁ。しかも今どきブラウン管。まだこんな時代遅れのテレビあったんだな」
バンバンとひげ面は箱型テレビを叩く。
ガチガチとあちこちツマミを回したりしているが、テレビからの反応はない。
俺は麺を啜りながら、ひげ面の動向を伺う。
身なりは〝組織〟とやらの黒装束。違うのは不精のひげ面眼鏡の顔面が白日の下に晒されている事。
「……組織の方ですか」
「おぅ、幹部だよ幹部。わかる? 俺は幹部。わざわざ来てやってんの。頼むぜ」
俺の問いかけにひげ面眼鏡はぶっきらぼうに答えを投げつけてくる。テレビにもバンと音を立ててひと叩き。
……妹を呼んでくるか。こんなやつと一緒の空気を吸うのは一秒たりとも勘弁願いたい。
俺は二階の妹を呼ぶべくちゃぶ台を立ち、廊下に足を向ける。
「おめー、どこいくつもりだよ」
プツン、と側頭部の何かが切れる音がした。
「組織から話は聞いてるんだろ、何逃げようとしてんだよ。座れよ、話をしろよ。さっきから
ベラベラと口を動かしながら、つばと共に言葉を吐き出すひげ面眼鏡。
俺は思わずチッと舌打ち。ひげ面は気づいていない。いや、気づいていようがいまいがどうでもいいが。
俺はちゃぶ台に座り、ノートパソコンを手繰り寄せ、ChatGPTをブラウザで開く。
「ほら、これがChatGPT。聞けば何でも答えてくれるスグレモノだ。何でも訊いてみたらどうですか?」
俺はノートパソコンをひげ面に向ける。
「こんなAIごときに訊くことなんかあるか。どうせ嘘しか言わねえんだろう」
「そうですか」
嘘……ね。
言葉だけの返事は返しておく。
あなたは嘘つきなのですか? と問いかけようとも思うが、別に今更訊く事でもないので、キーボードは叩かない。そもそも
「俺は実に嘆かわしいよ。こんな人工知能だAIだと言って、何でも技術の発展が正しいと思っている。昔はどんな電話番号でも人が出て、直接答えてくれた。それが今はなんでも機械で応答だ。ビール一本タバコ一箱でも機械でピッ。そのうちどこに行ってもこのAIとやらが応答して、人間はカプセルの中で
どこのSF映画の世界だ。
「世の中が便利になるのはいいことなのでは?」
「俺達はこんな世界なんて望んじゃいねーよ。冷たい世界だよ、現代の世の中は。昔の方がもっと人が多くて親切だった。日の出と共に起き、日の入りと共に家に帰り、家族と過ごす。笑顔があふれ、人のぬくもりに満ちた世の中だったんだ。テレビも一家に一台、食事もちゃぶ台をみんなで囲んで。そんなインスタントラーメンを一人で食べるような食事なんてなかった。おかしいと思わねえのかよ、お前は」
大きなお世話だ。熱の冷めてきている南米チリの味わいを俺はちゃぶ台の下に下ろす。
「レンジでチンなんて味も素っ気もありゃしない。料理ってのは家では母親、お店では職人が丹精込めて作り上げるものだ。お湯を注ぐだけで三分待てば出来上がりとか、そんなんばっかりやってるから今の若いもんは人情がない。情け容赦なく老人を切り捨てられる。俺達がどれだけ苦労して今の世の中を作って来たか。そのことに感謝のかけらもありゃしない」
身振り手振りで、ぺちゃくちゃとよう喋る。
「ひとりで何でもできると思いあがっているから、感謝もしない、礼儀も知らない。なんでもかんでもスマホでピッ。苦労も知らないから、頭も下げられない。カネさえ出せばなんでもできると思ってる」
そういえばこいつ黒子のくせに覆面でもないし、パッドを使ってやりとりするわけでもないんだな。
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