第45話 丹波康雄
アラキタアリスは天才である。
そんな無責任なことを言う同僚に殺意が芽生えるが、もう僕も45歳。表情に出さないくらいの技術は手に入れている。
「やっぱり、アリス先生は天才だ。待っていた甲斐があったよ」
編集長がホクホク顔だ。
あなたはプレッシャーを与えているだけでしたよ。余計なことをしている分、待っているだけの人よりも役に立ちませんでした。
なんて言わない優しい45歳の丹波です。
ここのところ忙しいので、脳内のセリフが荒れていますが、温かい目で見守ってくれると助かります。
世間の編集者のイメージは、作家と向き合って打ち合わせしている姿が浮かぶだろうが、アリス先生とそんなことはしたことがない。
結局は表現者であることを諦めて編集者になった僕がアリス先生に提供できるアイデアなんか無い。あったら、今でも小説を書いている。
つまらないことしか思いつかない凡人である自分が、それでも本と関わろうとして、編集者になった。
学歴は良かったから。有名出版社に就職することができた僕が最も優先すべき仕事は、頼まれてもいないアドバイスをすることではない。担当作家に損をさせないことだ。
曲解される表現を軌道修正したり。
宗教関連でクレームがこない内容か確かめたり。
それでも、問題になった時は本人を絶対に表舞台に出さないようにシミュレーションしておいたり。
そして、少しでも売れるように宣伝したり。
アリス先生は美人さんだから、一度でもメディアで出たら効果がでる。
もちろん、顔出しした場合のリスクもあるが、必ず僕が守る。
でも、アリス先生は顔出しに消極的だ。
売れることにも興味がないから、宣伝と言っても効果はないだろう。
となると、サラさんかな。
あのキャバ嬢さんにはお世話になった。
今日にでもお店に行ってみるか。
\
「お休み?」
「はい。明日には出勤されるので・・・」
黒服さんが申し訳なさそうにする。
「あー。いや、私の確認不足です。また来ますね」
帰りにコンビニでカップ麺食べて今日は寝ようとお店を出ようとしたら、しゃがれた女性の声が聞こえてきた。
「えー?サラいないんだ?じゃあ帰るわ」
僕と同じようなやり取りをしている人がいると見てみたら、エラい美人がそこにいた。
「ん?どうかしましたか?」
できるだけ女性を不躾な視線で見ないように心がけていたが、嫌な雰囲気が出てしまっていたようだ。
ここで「いや、別に・・・」と目を逸らしたら負けな気がする。
「サラさん推しの方なようなので気になってしまって見つめちゃいました」
「お!おじさんも!?見る目あるな!」
舐められないように言ってみたら、予想外に好印象だった。
「ちょっと飲もうか!」
\
その女性(田中と名乗っていたが偽名の可能性が高い)の言うちょっとというのは3時間だったようで、しこたま飲まされた。
詐欺師さんは20年以上汚い社会で揉まれていた僕よりも口が巧く、アリス先生がサラさんの常連ということを漏らしてしまった。
言ってしまったものは取り返せない。せめてこっちにも旨みが欲しい。
「田中さん、アリス先生の顔出しに協力してもらえませんか?」
喋っていて楽しくはあったが、表の人間ではないことは分かっていたが、付き合い方を間違えなければ得する方が多い人間と判断しての発言だった。
\
それからは、とんとん拍子に話が進み、アリス先生の新作はベストセラーになった。
僕は、仕事をやり遂げたのだ。
しかし。
『丹波さん。まだデビューしてない文章巧い人紹介して』
「はい」
その作家志望の若者は、かつての私のような、器用に何でも書ける故に何も書けない、エンタメに人生を狂わせられた社会人として優秀な人材だった。
彼には悪いが、僕はアリス先生の味方だ。
今日も、本物の実力者が正当な評価を与えられるために若者を闇の世界へと見送った。
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