第19話 チヤホヤ

午前5時。


明日は休みだから、多少の無理をしてもリカバリーが効くと自分に言い聞かせて、仕事帰りに秋葉原に向かっていた。


天下の山手線も、流石にこの時間は空いていたが、座る気にはなれなかった。

確かに席は空いていたが、座ったら隣の人と肌と肌が触れ合うくらい距離が近づくことになる。

疲れているから、もちろん座りたいけど、知らない人に自ら接近するのは、少しハードルが高い。

私は、定位置であるドア付近の隅に立つ。

ここから、触れ合うほど近づくことがあまりない。


ほっと一息ついてイヤホンで音楽を聞く。

今は、あまりガンガンとしたノリの良い曲は気分ではない。曲として完成度が高く、かつ、メッセージ性が強すぎないものを探す。

そんな都合のいいアーティストがいるかと自分でも思ったが、1人だけいた。

aikoだ。


再生する。

テーマは恋愛なのだけど、甘すぎない歌詞と曲調に聴き惚れる。


電車が止まる。

外に目を向けると、『秋葉原』の看板が見えた。

慌てて電車から降りて、電気街はどっちから行くのか確かめる。

前回は、ナナさんがナビしてくれていたので、少し気合いを入れる。


幸い、分かりやすい駅の作りになっており、矢印に進むだけで目的の出口に辿り着いた。

有名なアイドルのライブハウスがある通りを抜けて、メインの通りに向かう。


アニメショップとかはまだ空いていないので、自販機で缶コーヒーでも買ってベンチでボーッとしようと思っていたが、空いているメイド喫茶があった。

マジか、労働基準法大丈夫かと思いながらも飛び込んだ。

\



ホクホク顔でメイド喫茶から出る。

やっぱり、チヤホヤされるのは良い。


他のお嬢様やご主人様がいないとのことで、3人のメイドさんにかまってもらった。


最近流行っている服とか教えてもらっちゃった。「お嬢様、スタイル良いからきっと似合いますよー」だって。いやー、参ったね。


もうこれで帰っても良いくらい満足したが、ブラブラ歩くことにした。

\



結局、メイド喫茶に3回入った。


アニメショップも空いていたが、ビラを配っているメイドさんの笑顔にやられた。

トランプで遊んだり、ライブを見たりしていたら、もう夕方になってしまった。


「あと一軒で帰ろう。そうしよう」


それなりにお金を使ってしまった罪悪感もあり、声に出して自分に言い聞かせる。


4軒目のお店は、『王道』といった雰囲気。

もう、帰宅してアワアワしたりしないで、毅然とした態度でテーブルに座る。


ふと、隣のテーブルの客も女性であることに気づく。


「腕を上げたね。愛情が以前より深いよ」

「ありがとうございます!お嬢様!」


なんか、痛い客だなぁ。


メイドさんに対して変に上から目線になっている。


私達は、とにかくサービスを楽しんでいればいいんだ。相手はプロなんだから。


他人の顔をジロジロ見ることの危険性は分かっていたが、一瞬顔を見てやろうと視線を向ける。


オムライスを食べながら働くメイドさん達を慈愛に満ちた表情で見ているその女性は、私の知っている人だった。


それも、ついさっき再開したクールなお医者様だ。


・・・これは、見なかったことにして、ここから立ち去るべきだろう。


しかし、もうすぐメイドさんが注文を聞きにくる。


その前に、ダッシュで逃げるしかない。

久しぶりの全速力で怪我をしないように、座りながらアキレス腱を伸ばす。私も準備運動が大事だって分かる年になりました。


よし、いける!


これでも私は、学生時代50メートル走は速かったんだ。


「ぶべっ」


転んだ。

足がもつれた。


すぐにメイドさん達が駆け寄ってきてくれる。

私は、怪我はないことを彼女達に伝えてから、お医者様を見る。


「・・・」


笑いを堪えながらも泣きそうな表情の旧友を無視することは、もうできなかった。

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