第5話 「拾えよ」
「もう読んでくれたんですか!?」
「うん。一瞬で全巻読んじゃった」
朝から雨が降ったり止んだりしている過ごしづらい6月中旬、なるさんがお店にきてくれた。
あれから、1ヶ月ほど経ち、週1でお店に来てくれている。
その度にシャンパンを頼むなるさんは、すっかり有名人になっていた。
一方私は、なるさんがボーイさんから他の子のおすすめをされても私しか指名しないことから、「なる係」と呼ばれるようになった。
「あの方を絶対に逃さないようにしてね!」と、オーナーにプレッシャーをかけられたりもしたが、大したことはしていなかった。
お互い、好きな小説や漫画の話を2時間くらいしているだけ。
前回、なるさんが好きそうな漫画をおすすめした。全31巻の大作だ。
その大作を1週間で読んでしまったと言う。
しかも、ずいぶん読み込んでいるようで、私が気づかなかった伏線を熱く語ってくれている時は、なんだか焦ってしまった。
たぶん、なるさんに「理解力が低い奴」と思われたくなかったのだろう。
しかし、こと物語に関しては知ったかぶりは御法度だ。
素直に気づかなかったことを伝えようとした時、男の人の怒声が店内に響き渡った。
視線を声の方向に向けると、40代くらいのお客様が若いボーイさんに何やら怒鳴っている。
「誰がこんなブス連れてこいっつったよ!こっちは金払ってんだ!」
ブス呼ばわりされている子は、控え室でよく私に話しかけてくれるナナさん(本名は知らない)。言っておくけど、全然ブスではない。活発な雰囲気にショートカットが似合っているし、綺麗な二重が印象的な美人さんだ。
こういうお客様がいるのは、キャバクラというお店では仕方ない。対応は黒服さんに任せて、なるさんに安心してもらえるように声かけしなくては。きっと怖がっているに違いない。
「あれ?」
視線をなるさんに戻したがなるさんがいない。
まさか、あまりの恐怖にトイレにでも逃げ込んだか?
「お金をあげれば文句ないんですね」
揉めているテーブルの方からなるさんの声がする。
視線を再度戻す。
そこには、クレーマーのお客様に相対しているなるさんがいた。
「なんだあんた!ガキは引っ込んでろ!」
知能指数の低いことを言っているお客様を無視して、なるさんは自分のバックから札束を出してばら撒いた。
ヒラヒラと、この世で最も価値のある紙が床に落ちていく。
ぱっと見でも、300枚はあるように見える。
「拾えよ」
ぞっとするほどの冷たい声。
その声が合図だったようにお客様必死に膝を床につけてお金を拾う。
全て拾うのにどれくらいの時間が経っただろうか。
もしらしたら2分も経っていないかもしれないが、私にはつまらない映画を観ている時のように、長く感じられた。
プライドを捨てた代わりに大金を得たお客様は、全速力で店を出た。
この現実離れしたショーのようなものが終わったと理解したらしい他の同業者やお客様は、次々と、なるさんを称賛する声を上げた。
まずい。あれ系は苦手なんだ。
知っているはずの同業者も、興奮しているようで、なるさんとの距離が近くなっている。
遅すぎるくらいだが、私はなるさんに駆け寄る。
先ほどの冷たい表情が嘘のように、あわあわしている様子を見て、安心してしまった。
よかった。
私の知っているなるさんだ。
なるさんが、私を見つけてドレスの端をつまむ。
「・・・怖かった」
それは、あのお客様になのか、大人数になのかは聞かずに2人の静かな世界に戻る。
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