陰の者
小狸
短編
陰キャという言葉が、私は大嫌いである。
他人の性格の明暗を端的に侮蔑表現として表し、多様性だなんだと抜かしておきながら暗いことへのネガキャンは当然のように許容する、そんな言葉が当たり前のように
しかし恐らくそれは、私自身が、陰キャに該当することを、心のどこかで認めているからなのかもしれない。
そもそも陰キャとは、何の略であるのだろう。
陰とは、物事の外から見えない隠れた部分のことを示す。
まあ陽の対極に位置する言葉で、対義語として陽キャという言葉がある。
中国の
また理科の分野でも、電気の陰極と陽極、要はS極とN極がある。
それにこんなものもある。生け花において、植物の枝・茎・葉の裏側(陰)と表側(陽)など、多くの所に陰陽という言葉は用いられている。
現代風にざっくばらんな、
そして陰キャの、「キャ」についてだ。
これは恐らく、「キャラクター」の略称であると推測される。
character
アニメや漫画の登場人物という意味ではなく――性格、人格、持ち味のことが示されているのだろう。
故に、陰キャというのは、性格的、人格的に暗い人物を侮蔑的に
こうして言葉にしてみると、障害者差別や部落差別と変わらない、人格否定の言葉と言っても過言ではないが、言葉の浄化作用は、まだそこまで追い付いてはいない。
理解不能な校則を設定したりしている前にもっと変えるべきことがあると声を大にして言いたいが、場末の小説家
とは言い条、事はそれだけでは済まないのが、人間の難しいところである。
というのも、陰キャという言葉がここまで人口に膾炙してしまっている以上、陰キャになりたくない人、陰キャという分類に属したくない人、というのが一定数現れてしまうのだ。
これがまた厄介である。
彼らは、自分が陰キャであることを認めたくないがために、他者を
自分は暗くない。
自分は陰キャなんかじゃない。
実際、陰キャ陰キャと積極的に
実際人は、人を分類したがる。鍵括弧で
そんな中で、簡単に他人の価値を貶める言葉が現れたら、使わない訳がなかろう。
しかし何度聞いても腹立たしい言葉である。暗いからといって、まるで他人に迷惑をかけているような言い草である。
実際に人様に迷惑をかけているのは、圧倒的に明るい人々ではないか。
公衆の面前で大声を出し、公序良俗など守ることなく、誰かからの注意を素直に受け止められずすぐに手を出し、地元のコンビニ近くでたむろして近隣の住民に迷惑をかけ、ノリと勢いで何でも許容されてきて、自分こそが世界の中心と思って疑わない――そんな連中ではないか。
そんな輩は、当然のように他人に迷惑をかけながら、当たり前のように自分より下(だと勝手に思っている)の者を傷付ける。
そうしないと、自分の面子を保つことができないから。
「自分が一番下でない」という自己認識は、存外心地よいのだ。
だから――言う。
自分より一段、二段下に存在しているであろう、容姿、容貌、雰囲気を持ち、尚且つ集団に馴染むことのできていない人間に対して、平然と。
陰キャと。
まあ。
こんなことを、日曜日の昼からだらだらと書いて投稿している私も、勿論言わずもがな、陰の方に属する人間だと自負している。
人と話すことは苦手だし、極力目も合わせたくない、集団行動は不得意で、校外学習の時にも一人でお弁当を食べていた。
それでも、そんな私を、私はあんまり嫌いではない。
それで良いか、と、今は思うことにしている。
それに。
私は笑って――きっとこの笑みも、陽の者からすれば「気持ち悪い」に分類されるのだろうな、などと思いながら――打鍵を終える。
2023年6月18日、まだ梅雨も明けぬ、じめじめした曇りの日のことである。
こんな日も、私は嫌いではない。
(了)
陰の者 小狸 @segen_gen
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