愛おしきもの〈定子〉

 波乱の年から数年。

 冬のぬるい夕日が、庭の椿つばきを静かに染めている。


 宮中における私の存在は風前のともしびのようなものだったけれど、主上さまの庇護や、少納言の支えのおかげで、私は帝の妻としての勤めをなんとか果たしてこられた。


 私には子供ができた。

 女の子と男の子が一人ずつ生まれ、三人目の子をお腹に宿していた。


「今度は男の子か女の子どちらでしょうね?」

 少納言が優しくお腹をさすってくれた。

「動きがおとなしいからから女の子かもね」

「あら、おとなしい男の子だっていますよ?」

「ふふふ、そうね」


 そこに、二歳になる息子、あつくんが、廊下をとてとてとて、と駆けてきた。

「敦くん、こっちおいでー!」

 息子は母のほうへとてとて歩んできたが、床に何か小さいホコリがころがっているのを目ざとく見つけ、小さな指でちまっとつまんだ。

「なんか、あったー!!」

「ほんとね」

「ははうえ、あげるー?」

「ホコリは、いらないなあ」

 我が子ながら、とっても可愛い。


「ねえ、少納言」

「どうしましたか」

「この子たち、無事に育ってくれるかしら」

 私の先行きに不安があるのは依然として変わりない。

 叔父さまの娘、彰子しょうしさまも入内なさり、この先、御子たちの間で即位を巡って争いがあるかもしれない。

 この子たちが、争いに巻き込まれることになったら……。


「大丈夫です。私もついてますし」

 少納言は、敦をよいしょと抱き上げた。

「この子たちと、これから生まれてくるお腹の子も一緒に、みんなで楽しいことをいっぱいしましょうよ。春はお花見、夏には蛍を眺めて、秋は紅葉狩り、冬は雪山を作って遊ぶんです」

 少納言の目は、いつかのようにきらきらしていた。


  ◇ ◇ ◇


 お腹の子のお産は、年の暮れになった。

 難産だった。

 赤子はなんとか、無事に生まれた。

 女の子だった。


 しかし、その後、私の体調はだんだん悪化していった。

 苦しい、痛い……。

 私は、人生の終わりが来るのを悟った。 


「少納言……」

「はい、私はおそばにおります」

「紙と筆を」

 もう、私は生きられないかもしれない。

「定子さま、まだです。まだあきらめないでください!」

 少納言は慌てふためいたが、私は静かにかぶりをふった。

「少納言。愛しい子どもたちを、よろしくね……」

「だめですっ!! 私があなたを守るって言ったじゃないですか! 定子さまが私を守ってくれるって言ってくれたじゃないですか!」

 少納言は、涙をぼろぼろとこぼして、私を抱きしめた。

「お別れなんて、したくありません……!」

「ありがとう。私もよ、少納言……」

 私は、なぐさめるように、少納言の頭をそっとなでた。

「今まで、ありがとう」


 私は和歌を書いて残した。

『夜もすがら契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき』


 真っ白な雪の中に咲く、庭の椿つばきの紅が、とても鮮やかだった。

 椿の花が、ぽとり、と落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る