宮に初めて参りたるころ〈少納言〉

 私が、中宮定子さまのもとに初めて出仕したのは、冬。

 白い雪の花弁はなびらが舞い降りる季節のことだった。


  ◇ ◇ ◇


「は、初めまして……。本日よりお仕えいたします、少納言と申します……」

「えっと、どうして隠れてるの??」

 私は、生まれつきの恥ずかしがりやである。

 出仕の初日、私はとても緊張していた。緊張で足がすくんだ私は、とっさに几帳とばりの陰に隠れたまま、挨拶をしてしまっていた。

「え、っと、その、高貴な方の前に出るのがなんだかおそれ多くて……」

「だからって、べつに隠れなくていいのよ?」

「どうか、今日はこのままで……」

「そうなの……?」

 この時、帝の正妻たる定子さまは十八歳、私は二十八歳。

 十も若いお嬢様を前に、恥ずかしがって隠れる女官という、謎の状況がここにあった。


  ◇ ◇ ◇


「ねぇ、少納言」

「あ、はい……」

「絵を見るの、好き?」

 そう言って、定子さまは、お持ちの絵巻をあれこれ出しては見せてくださった。

 もちろん、几帳を隔てたまま。


 几帳の下から絵を差し出して、定子さまがあれこれと指をさす。

「私はこれが好き。やわらかい色づかいで、可愛くない?」

「あ、ほんとですね……」

 竹取物語、うつほ物語、落窪物語、色とりどりの絵巻物たち。


「少納言は、どれが好き? これとか、それともこっち?」

 几帳の下から差し出された袖口からちらりと見える、定子さまの淡い桜色のお手。

 ――なんてきれいなお手……。

「少納言、聞いてるの?」

 まるで雪間に咲いた早春の桜のようで、私はつい、じっと見とれてしまった。


  ◇ ◇ ◇


 そうしているうちに、夜明けも近くなった。

「あの、私はこれで……」

「待って、まだお顔も見ていないのに」

「いや、私、あんまり可愛くないですし……」

「お話ももっとしたいわ」

「でも、私、今どきの女の子同士の可愛い会話なんてできませんし、私の話なんて退屈ですよ、きっと……」

 私の得意な話といえば漢詩文や古典の話だけど、そんな話を好む女の子なんて他にはいない。漢詩文なんて、男のする趣味だって言われるし。

「では、これで……」

 そう言って、立ち上がりかけた、その時。


 突然、風もないのに、几帳がふわりと舞い上がった。

 気づくと、定子さまが几帳をくぐり抜けて、目の前にいた。

「やっとお顔が拝めたわ、少納言」

「わ、わわわ!?」

「自分にもっと自信を持てたらいいのにね。あなた、漢詩文はとっても詳しいのでしょう?」

「でも、女子おなごがそんな話するのは変だって、よく言われます」

「そんなの気にしなくていい。あなたの好きな話をしてくれればいいの。私は、そのためにあなたを呼んだのだから」

 こんな私の話を聞いてもらえるの? 本当に……?


「それに、あなたは自分のこと可愛くないって言うけれど……」

 気恥ずかしくて赤くなっている私の頬を、桜色のお手がそっとなでた。

「私は、けっこう可愛いと思うけど?」

 定子さまはいたずらっぽく笑った。


  ◇ ◇ ◇


 帰り際、軒先に出ると相変わらず雪がちらちらと降っていた。

 そのうちの一片ひとひらが空からひとひら舞い降りて、私の頬に触れて溶けた。

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