5.りんご

「君、雑用係って名乗るのやめたら?」




 夜、発作で咳が止まらなくなった雪が薬を吸っていると、向かいに座った佚世いっせにそう言われた。



 部屋で、ベッドとベッドに座って向かい合って。



 雪の部屋には咳を止める薬が常備されているので今はそれを吸っている最中。


 こてんと首を傾げ、喉が動いたせいか少し咳が出た。



「ケホッ……でも、助手じゃありませんよ?」

「いや名乗りなよ! 雪ですって! 君ここで暮らす間は雪だかんね!」

「いや、でも……なんか……雑用で名乗るのはちょっと、おこがましい気がして……」

「自己肯定感ッ! もー……雪君は立派に助手してるし、いい働きしてるんだけどなー」

「別にゲホッゲホッ……!」

「大丈夫かー?」

「…………俺は佚世さんみたいに医療技術はありませんし、雑用君で大丈夫です」



 雪はそう言うと布団の中に移動した。意外とちゃんとベッドはある。




「私が雑用君嫌なんだけどなー」

「……なんでですか?」

「私が雑用させてるみたいじゃん」

「そうじゃないんですか?」

「私は人に雑用などさせないせいじんくんッ……」

「おやすみなさい」



 ベッドから出た雪はシャッとカーテンを閉め、佚世はすんっと真顔になった。時間が経つにつれ扱いが雑になるのは皆同じか。







 少しして、脳之輔のうのすけが上がってきた。この人神出鬼没だから佚世も普段どこにいるかは知らない。



「イツ、夜出かけるならなんかフルーツ買ってきて」

「わかりました。急患来たらお願いします」

「うん。行ってらっしゃい」
























 翌朝、疲れきった佚世が帰ると既に雪が起きていた。


 小間ブース前にある椅子に座って、ぼんやりとりんごをかじっている。




「雪君」



 声をかけると雪はビクッと体を縮ませ、ハッとこちらを見た。



「あ、お、おかえりなさい……!」

「ただいま。どうしたの? まだ日も昇ってないけど」

「さ、さっき急患が来て……今から寝ても朝起きれないと思って、起きてたんです……」

「寝ていいよ? てか寝なきゃ伸びないよ」

「うるさいです! 俺のアイデンティティです!」

「可哀想なアイデンティティ」



 ムッスーと不満たっぷりの目で睨んでくる雪を横目に台所に行くと、雪もついてきた。



「フルーツですか?」

「先生に頼まれてね」



 佚世はフルーツを冷蔵庫にしまう。家電とかは向こうの世界と同じ。電気じゃないっぽいけど。



脳之輔のうのすけさんはフルーツが好きなんですか?」

「んー……まぁそうかも。結構フルーツ食べてるね。それも先生から貰ったんでしょ?」

「はい。おつかれーってぽーんって」

「お菓子とかよりもフルーツ食べてることが多いかなぁ。たぶん瑞々みずみずしいのが好きなんだと思うけど」

「へぇ……佚世さんは?」

「私? 私は普通だよ?」

「好きなもの、何かありますか?」



 そう言ってりんごをかじりながら見上げてくる雪を見下ろし、小さく首を傾げた。



 首を傾げて、口元に手を当て、眉を寄せ、視線をどこかに飛ばし、頭を回転させる。






「……うーん…………」

「そんなに悩みますか」

「うーん……好きというものがイマイチないからねぇ。皆平等にだーいすき!……じゃ、駄目?」

「ただの食い意地では?」

「君最近冷たいぞ」

「すみません」

「食べ物じゃなくても人も道具も薬とか服とか、全部使えればいいかなって感じ。使用結果とかでこれはいいこれは駄目って区別してる感じ?」

「佚世さん」

「ん?」

「それがお気に入りです」




 佚世は目を丸くすると首を傾げた。


 それがお気に入りって、どれがお気に入り。



「自分が求めるレベルに到達できる道具。それがお気に入りです。自分が見てて惹かれる服、それが趣味の服です。薬……は、よく分かりませんけど、話してて楽しい人とか一緒にいると安心する人とか、それが好きな人です」

「……へぇ!?」



 突然の佚世の大声に肩を跳ね上げた。

 喉が締まって、少し咳が出る。



「じゃ、私はもうお気に入りを見付けてたわけか! へぇ!」

「喜んでくださって何より……」

「その理論で行くと私雪君好きだなぁ! 雪君面白いし可愛いし!」

「嬉しくないですが……」

「からかい甲斐がある!」

「嬉しくないんですがッ!? ゲホッ」

「君心の医者になれるよ。人の知らないを気付かせるのが上手だ」



 後ろから佚世の抱き着かれた雪は眉を寄せると、なんとも言えなさそうな顔で首を倒す。


「別に普通のことだと思いますよ……? ちょっとしたアドバイスみたいなものです」

「アドバイスで十分! 君のアドバイスは人の人生に色を与えるね」

「佚世さんの人生に色は入りましたか」

「うん!」

「それはよかった」



 雪は大きくあくびをして、少しうとうととした。



 佚世は雪を抱き上げると、かじりかけのりんごを貰う。



「眠いでしょ、寝てていいよ」

「でも……」

「朝には起こすから。おやすみ」



 雪は言ったのか言ってないのか、小さな声でおやすみなさいと呟くとそのまま寝落ちた。



 りんごをかじりながら二階に上がり、ベッドに雪を寝かせた。



 口を開けさせ、少し喉が腫れているのを確認すると薬マスクを当てる。




 雪と脳之輔の部屋を区切るカーテンが開き、脳之輔が顔を出した。



「また発作?」

「いえ、少し腫れているようなので念の為。長期で使えるようあまり強い薬ではありませんし」

「そっか。……イツはその子が好きだね」

「はい。元気っ子は苦手ですけど、この子は可愛いって思えます」



 脳之輔は妙に優しい顔で微笑むように笑う佚世を見て、ハッとした。



「守りたくなる?」

「……なんか、そんな感じかと」

「ははっ、父性だな」



 脳之輔は言い逃げのような形でシャッとカーテンを閉めてしまい、佚世は頭に疑問符こそ浮かんだものの答えてくれる人は誰もいなかった。

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