捨てられ勇者は王国を救い、魔王を救う! ~ 朝の聖女と夜の魔王 ~

弥生ちえ

若き勇者の独白


 この王国に『魔王』が現れ、消えた話をしよう。


 いや、魔王だけじゃなく『聖女』も『勇者』も『魔物』も……すべてが役目を終えた日の話を―――。



 * * * * *



 突然、父が亡くなった。何の予兆もなかった。母も早くに亡くし、頼れる兄も従兄弟もおらず、一人っ子だったまだ8歳の僕は途方にくれた。



 何故そこに居ることになったのか、理由は覚えていないけど、国の外れの寒村近くの森で、僕は飢えと、疲れと、寒さからふらふらになりながら彷徨い歩いていた。


「ガウッ」


 僕の背後から鋭い鳴き声が響いた。その声に呼応したかの様に幾つもの獣の足音が周囲を取り囲む。狩られる恐怖に、僕は必死で棒切れを振り回し、闇雲に足を前へ前へと進めて逃げ惑った。


 そうして夜通し駆けに駆け、近付いてきた獣を棒切れで打ち据えては退治した。獣の現れない陽の高いうちは気を失ったように短い眠りに就き、起きてはまた駆ける。そんな事を何度か繰り返しているうちに。何とか怪我なく森を抜けることが出来た。


 荷車のわだちが出来た道にようやく辿り着いたとき、僕は最後までしぶとく追いかけてきていた一頭の獣をようやく倒したところで―――。


「なにを、しているの…?」


 ふいに、決死の逃亡劇にそぐわない、柔らかで愛らしい声が聞こえてきて振り返れば、そこには大きな空色の瞳を揺らす、美しい金糸の髪の女の子が立ち尽くしていた。


 今にしてみれば、どうしてあの時、あんな街外れの危険な場所に、年の変わらない女の子が一人で居たのか疑問に思うべきだったのかもしれない。けれど、僕は忽然と現れた彼女を見て、何とも言えない安堵と庇護欲に囚われてしまっていた。


 血に塗れた、三つ目の狼型の魔獣と大地と僕の手――そんな殺伐とした中に現れた彼女だけが、透明な空気に包まれている気がした。一目惚れだったんだろう。



 女の子は呆然とした様子で僕と、動かなくなった魔獣を見つめていた。



 * * * * *



 あれから10年が経ち、は数多の魔獣を屠る『勇者』と呼ばれる存在になった。


 一週間に及ぶ魔物討伐から帰還した俺は逸る心を抑えきれず、朝まだ早い白亜の神殿に足を向けていた。


「さすがに、礼儀知らずだよな……」


 門の手前までやって来た俺は、ここでようやく落ち着きを取り戻した。深呼吸を一つしてくるりと踵を返す。


「ふふっ。せっかくいらしたのに、もうお帰りですか?」


 笑いを含んだ愛しい少女の声が、門の向こうから響いてきた。


「テリーさんがいらっしゃるのは、城門をくぐられた時から分かっていましたよ。小鳥さんやネズミさんや猫さん、犬さんたち皆が、逐一私にテリーさんの様子を教えてくださるんですもの」

「聖女様は、テリー様がいらっしゃるからと、随分早くから準備なさっていたんですよ」


 聖女の従者である巫女装束の女が、優し気に目を細める。


 聖女と呼ばれた少女ガルシアは、清らかな光を思わせる柔らかな波打つ金髪をふわりと揺らして俺に駆け寄り、ほんのりと頬を薔薇色に染めてこちらを見上げた。あの街道での出会いから行動を共にし、王都まで一緒にやって来た少女は、身寄りのない幼い子等を保護する神殿に身を寄せていた。けれど、鳥や動物の声を解し、人々に自然の驚異や離れた地域の出来事をいち早く伝える特別な力を持っていた彼女は、ほどなく『聖女』と呼ばれることになった。


 照れ臭そうに、うふふと笑うガルシアは、初めて出会ったあの時のまま、聖女の立場に驕ることなく純朴な愛らしい少女だ。


「では。早くテリー様の色んなお話が聞きたいですから、さっさと今日の神託をさずけてしまいますね。魔王は、ソウハイ山脈の山頂に陣を置き、周辺のルイ山、テゼの森、ミケイレ砂漠から500の魔物を集めています。500のうち100はオーク、30は……」


 何年か前から、魔獣や魔鳥など『魔物』を統べる『魔王』が現れた。魔王は多くの魔物を従えて村々を襲う。魔物たちは朝の光が苦手なのか、夜のみ纏まって活動する。俺たち勇者と呼ばれる者は、人の領域を守るために魔物の夜襲に遭いそうな村を聖女の神託によって知り、住民の避難誘導や、場合によっては立ち塞がる魔物たちを倒す。


「いつも神託をありがとう、ガルシア。あの・さ、今夜王城で西の街での戦いの功労者を集めての夜会があるんだけど一緒に出てくれないかな?」


 言った! 思い切って言ったぞ! はじめての夜会参加を口実に、よく頑張った、俺!


 心の中で自分に快哉を叫ぶ。けど、ガルシアは申し訳なさそうに眉をへにゃりと垂れると「なぜか動物さんたちが眠ると私も眠くなってしまうのです。本当にごめんなさい」としょんぼり俯いてしまった。まぁ、動物の声が分かる聖女だし、そんなことがあっても不思議じゃないかもしれない。


 これまで、はっきりと俺の気持ちを伝えたことは無い。だから、こちらの勝手な盛り上がりに彼女を無理に巻き込むわけにはいかない。残念だけど。めちゃくちゃ残念だけど。


「けど、テリー様は是非是非ご出席なさってくださいね! 私の分も楽しんでください!」


 拳を握りながら一生懸命伝えてくるガルシアの愛らしさに、一緒に出席できない残念な気持ちはすぐに萎んで、俺はにこりと微笑んで「ありがとう。」と伝えた。


 今の王家は、王都の中央、王城のお膝元にばかり警護を集め、地方の魔物被害への対策は蔑ろで、民衆の評判は最悪だ。先代王の治世は良かったらしいけど、その後を行方不明になった王子に代わって、王位を継いだ王弟殿下が民衆を顧みずに自身の富と名声にしか興味の無いような俗物で、統治らしい統治が出来ていない。なので、今回の夜会は民衆からの支持の厚い『勇者』をダシにした人気取りの一環だろう。一人での参加になってしまったのは残念だけど、ダシにされたんなら思い切り楽しんで、ガルシアへの土産話にしてやろう。




 王城で初めて参加した夜会は、参加する上位貴族の面々も、建物も、庭園も、調度品や供される食事までもが、とても煌びやかだった。目に映るもの全部が別世界の豪華さで、けどどこか懐かしい不思議な感覚もあって、俺は首を捻った。物珍しさと、懐かしさと、純粋な驚嘆とで興奮した俺は、気取ることも忘れて大きく目を見開き、田舎者丸出しで――気付けば、会場中を歩き回り、キョロキョロしてしまった。


「あなた様は…! その瞳の色は王家直系の者のみに現れるものです! 年の頃と良い、あなた様は間違いなく幼き頃行方不明になっていた王太子殿下…!!」


 俺を見て、老年の眼付きの鋭い紳士が戦慄きながら声を上げた。彼はこの国に先代から遣える宰相だと手短に説明された。なぜそんなに慌てるのかは分からないけれど、彼は俺の手を宝物でも扱うかのように、けれど急くように引き、あっという間に夜会の場から高貴な一室に連れ行かれた。皇太后と呼ばれる老女が年甲斐もなく急ぎ足で表れて、俺の顔を見て涙を流した。どうやら俺は、噂の先代王にんきものの忘れ形見で、王位を狙った王弟殿下に幼い俺は攫われ、あの森に放り出されたらしい…――。



 * * * * *



 簒奪者たる先代王弟おじうえから王位を取り返した俺は、これまでそうして来た様に、ガルシアの神託を頼りに魔物たちを屠り続けて周囲の村々にも救いの手を伸ばし、民衆の更なる信頼を得ていった。



 青白い月に照らし出された黒い森。



 冷たい月明かりが作り出した木々の影に深く沈む幾つもの闇――。


 それぞれの闇には魔物が息衝き、人間たちを屠って引きずり込もうとしていることを俺は知っている。それらの中でも一際深く、大きな黒が凝り固まり、一つの姿を取った。



 最初にガルシアに出会った森で、俺はついに魔王を追い詰めたのだ。



 今までにない数の魔物の群れに、俺が自ら鍛えた精鋭騎士たちも苦戦し、魔王の気配に追い縋れる者はもはや俺を於いて他には居なかった。


 深紅の目をしばたかせて目覚めた『それ』は俺の良く知った風貌をしていた。


「ガルシア…」

「髪の色も、瞳の色も違うというのによく気付きましたね」


 悲しげに瞳を揺らすその表情を見間違えるわけがない。


「どうして? 俺は君を討つことは出来ない」


 黒髪となったガルシアは、傍に現れた三つ目の狼型の魔獣を愛おしそうに撫でる。


「私は『全ての生き物の声』を理解する聖女です。最初にこの森でテリーを見付けたのも、この子たちの悲鳴が聞こえたから…。最初はこの子たちを傷つける『恐ろしい』あなたを、この子たちの住処の森から遠ざけるために王都へ連れて行ったの。」


 そうだ、最初に俺とガルシアが出会った時、彼女は俺と倒れた魔獣を見て愕然としていた。


「一緒に王都へ向かいながら、小鳥さんや色々な動物さんたちからテリーが王城から攫われて、ここへ捨てられたと教えてもらったわ」


 一緒に手に手を取って、幼い同志励ましあいながら、少ない食べ物を分け合って旅したことが、今でも鮮明に思い起こされる。


「そして私はテリーを利用することを考えたの。私がテリーにとっての欠かせない存在になって、王位に就かせ、私達の望み…魔物と蔑まれるこの子たちの安住の土地を手に入れようと」


 撫でられながら3つある目を細めていた魔獣に、ガルシアが小さく「お行き」と呟くと、魔獣はさも心配だとでも言う様に、何度もこちらを振り返りながら森の奥へと走って行く。


「『魔王』はもう疲れたの。率いなければバラバラに動く魔獣あのこ達では、あなた達『勇者』にあっという間に絶滅させられてしまった。一匹でも多く残すために頑張った。けど、テリーや、神殿の巫女たち…好きな人たちもたくさんできたの。私が頑張れば頑張るほど、人か魔獣のどちらかが必ず悲鳴をあげるの。だからこそ、もう『聖女』も『魔王』も続けたくないの」


 終わりにしましょう、とガルシアが儚げに笑う。


 ほんの少し手を伸ばせば届く距離に、髪を闇そのものに真っ黒に染め、これまで夥しい量流れた鮮血そのものの深紅の瞳を揺らしたガルシアが「さあ討って」と胸の前で祈る様に手を組む。


 俺は動けるはずもなく、ただただ彼女を見つめる。


 目の前の彼女は聖女か魔王か、俺にとってはそんな事どうでもよかった。


「ガルシア。君は俺を利用したというけど、俺こそ君に森で拾われて無事王都へ戻り、君の神託のお陰で命を落とさずにここまでやってこられた」


 森に朝日が差し込み始める。


「こうしてみると俺こそ、君のことを利用している。だからこれからは、少しでも恩返しをさせてくれないかな?」


 ようやく、俺と共に魔物討伐にあたっていた騎士たちが駆け付けて来る。


 ガルシアの漆黒の髪に光が降り注ぐと、夜が明けるように彼女の髪は一瞬暁色に染まり、すぐに光を纏った鮮やかな金色へ変わる。それはまるで女神が降臨したかのような神々しさで、集まり始めた騎士たちから「おぉ」と歓声が沸いた。


「聖女も魔王も関係ない、ただの俺の『恩人』である、大切な君と共にありたい」


 そっと手を差し出すと、彼女は一滴涙を零す。


 不安げに潤んだ瞳を見詰めながら、俺は力強く一度大きく頷いて、騎士たちに向かい大声で宣誓する。


「神が森より現れ、聖女を介して魔王に与えられた祝福により、魔王は鎮められた! よってこれより、この森は神がおわす禁則の地とする! 何人なんぴとも今後一切踏み入ることは、国王たるこの俺が許さない」


 隣に立つガルシアが小さく息を呑む気配が伝わってきた。彼女の切望した魔物たちの安住の地を定めることに、俺は何の躊躇もなかった。これからは、この森の中で魔物たちを保護して行く。


 彼女のお陰で得られた力で、これからは俺が彼女と、彼女の守りたいものを護る。そう決意すると、細い指がそっと俺の指に絡められた。王都に二人で向かったあの日のように。






 この日を境に、俺の治めるこの国からは『聖女』も『魔王』も『勇者』も『魔物』も姿を消した。




 それから俺と王妃ガルシアは、互いに互いを助け合い、王国をよく統治し、穏やかに暮らしたのだった。






《 完 》

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捨てられ勇者は王国を救い、魔王を救う! ~ 朝の聖女と夜の魔王 ~ 弥生ちえ @YayoiChie

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