根に持つ後輩

うたた寝

第1話


 入社して三か月。研修を終え、新入社員が本格的に社会人として働き始めるくらいの時期。本格的に働き始める前の束の間の休息の場として、配属された新人社員の歓迎会でもしようと店の予約や参加者の確認などの準備を進めていた際、

「ふーん」

 新入社員になってから1年経った先輩が拗ねていた。彼女は業務時間内ということも完全おかまいなしで机に頬杖をついてご不満そうな顔をしている。

 自分の新人歓迎会が開かれていないから、というわけではない。新人歓迎会自体は開かれていた。ただし、

「私の時は来なかったのに、今年は参加するんですねー」

 自分のパソコンの画面で開いている、参加者一覧の表を見た後、彼女は目を盛大に細めて一個上の先輩を意味ありげに見つめる。見つめられた彼は若干困った顔で、

「ね、根に持ってるなぁ……」

 彼女の一個上の先輩、ということもあり、彼は彼女の新人研修や配属後のOJTなども担当していた。彼女と一番関わっている先輩で、一番距離が近い先輩で、何なら当時、彼女は彼以外の先輩の顔と名前も一致しないような状態だったのだが、そんな唯一、顔と名前も分かって話したこともある先輩が彼女の新人歓迎会に来なかったのである。それを彼女はずーっと根に持っている。

 一応、新人歓迎会は任意参加、と銘打たれてはいる。昨今、無理に参加させるとアルハラだ何だと言われかねないからである。下戸にとってはいい時代になってきた、と言える。

 彼は下戸だし、飲み会もそれほど好きなタイプではない。だから新人歓迎会に行かなかったのか、と言われると、それはノーである。歓送迎会程度は参加する、と彼は決めている。

 では何故行かなかったのか? 答えは単純。行けなかったのである。

 当日、顧客から急なクレームが入り、その対応に終日追われていた。より厳密に言えば、対応が終わってすぐに直行すれば、歓迎会の終わりの5分10分くらいであれば参加できたかもしれないが、その時間に参加してもな、と思い結果参加はしなかった。

 その後あったらしい二次会に関しては単純に参加しなかった。彼女どうこうではなく、二次会は下手に参加するとオールに巻き込まれる可能性があるので絶対不参加である。

 という事情は彼女にも説明してあるハズなのだが、それはそれ、これはこれ、なのだろう。実際、先輩社員の方もそれほど彼女と関わっているわけでもなく、彼女の方も彼以外の先輩社員など分からない状況。おまけに口下手な社員が多いこともあって、結構気まずい時間が多く流れたらしい。それに関しては先輩社員もうちょっと頑張って喋れよ、と彼は思わんでもない。

 以来、参加しなかったことをチクチク突っついてくる彼女。二言目には『私の時は来なかったのに』である。その後のOJTがやりづらかったことこの上ない。そんなに根に持つタイプとは思わなんだ。

 いや、まぁ、確かに。新人歓迎会に参加してない、って、まるで新人を快く思ってないみたいで新人側が来てくれない先輩に対して不満な顔をするのは分かるが、そこまで気にするとは思わなかった。

 というのも彼女、こうやってチクチク平気で突っついてくるほどに、彼のことをそれほど先輩と思っている様子が無い。なので参加しなくてもケロっとしているものかと思っていたのだが、彼女曰く、酷く傷付いた、とのことだった。

 傷付いたは絶対嘘だと思うが、飲み会で相当気まずい思いをしたのだろう。パソコンとしか話せなそうな人も何人か居るし、ひたすら精神論をぶちまける先輩社員も居るし、気持ちは分からんでもない。特に彼女は女性だし、先輩社員たちも話す話題に結構気を遣ったのではないだろうか。普段割と話せないような下ネタで盛り上がったりしていることだし。下ネタを封じられた先輩社員たちにできることは黙秘だったのだろう。もう一回言おう。先輩社員、頑張れよ。

 彼だって正直に言えばだ。女性社員と話すということで結構気を遣っては居る。例えば最初の顔合わせの時はコンタクトレンズだったのに、次の日会った時は眼鏡だった時、『あれ? 眼鏡に変えたね?』と触れていいものか5分ほど悩んだ。『髪切った?』と聞くのもセクハラだという議論がある中で、どこまで仕事に関係無い部分に触れていいのか、男性社員は結構気を遣ったりするのだ。

 それでも何とか距離を縮めようと一生懸命努力している彼を先輩社員には見習ってほしいものだ。まぁ、積極的に話し掛けている姿勢が彼女に好まれているかまでは分からないが。嫌がっている可能性も無くは無い。

 まぁ、何だかんだ頑張って縮めたハズの距離感が、新人歓迎会に行かなかったことで大分開いてしまったような気はしないでもないが。次の新人歓迎会で広がった距離を縮めるよう頑張ってみるか、と彼が考えていると、

「二人ともー」

 上司が声を掛けてきた。仕事をサボっていることを怒られるのかと思い、二人は慌てて佇まいを直し、パソコンをカチャカチャするフリを始めたが、

「明日何か予定ある?」

 これはまた怖い質問である。この用件を聞かないでスケジュールだけ押さえようとする質問、中々悪質である。とはいえ、明日は土曜日。予定が無かろうと休みは休みとして確保したいので、

「用件によりますね」

 用件を聞いてから決めるという姿勢を見せる彼。彼女の方も静かに頷いている。用件次第では上司の話を突っぱねる、という、上司からすると中々のジェネレーションギャップを感じつつ、上司は用件を説明することにする。

「会社のホームページに載せる記事を作りたいらしくてさ。二人にインタビューの話が来てるのよ。新入社員とその先輩社員って組み合わせで」

「ホームページ? ……そんなのうちの会社にありましたっけ?」

「それは自社の社員としていかがなものだろうか……」

 そんなこと言われてもだ。彼は就活サイトから募集見て応募しただけなので、この会社のホームページを直接見て応募したわけではない。ホームページを見て企業研究くらいしろよ、という指摘はあるかもしれないが、こちとら何社も並行して受ける就活生である。いちいち一社単位で細かくなど見ていられない。

 え? 一次面接はともかく、最終面接でくらい企業研究しろって? 甘いな。最初の面接時の回答から一貫性が無くならないよう、一次で企業研究していなかったのであれば、最終面接もしないのがセオリーだ。決して面倒だったわけではない。

「毎年、新入社員とその先輩社員の座談会的なインタビューの様子をホームページに上げてるんだよ。で、ローテーション的に今年はうちに話が来たってわけ」

「「へー」」

「初耳―、って顔してるな、二人とも……」

 自社の社員がいかに自社のホームページに興味が無いか浮き彫りになったのはともかくとして、

「それ具体的に何話せばいいんですか?」

「基本的にはインタビュアーの人が質問振ってきてくれるハズだから、あんま細かくは考えなくてもいいかな。気になるならホームページ見てもらえれば歴代の全部見れるよ」

「それは遠慮します」

「あ、そ……」

 こっちで特に準備するものも無いらしいし、手ぶらで行っていいのであれば、それくらい協力してもいいかもな、と彼が思っていると、

「……新人歓迎会に来てくれない先輩と座談会ですか。話すことあるかなー」

「上司。今年のローテーションは飛ばしてもらう方がいいのではないでしょうか?」

 大分根に持っている彼女。インタビュー時不貞腐れて、質問に『はい』『いいえ』だけで応えるドラクエの主人公になる可能性さえある。不仲説が爆誕する前に回避した方がいいと彼は思ったが、上司は無慈悲である。

「そこは二人の問題なんだから二人で勝手に解決してくれ」

 この野郎……。そもそも件の問題のクレームが発生した原因は誰だと思っている。クレーム対応を頑張ってこなした社員に対して随分冷たい上司である。インタビュー時に色々上司の愚痴でも言ってやろうか。

「まぁ、とりあえず私は行きますけど、先輩が来てくれるかは分かりませんねー」

「ね、根に持ってるなぁ……」

 諸君。飲み会がどれほど苦手であろうと、新人歓迎会程度には出ることをお勧めしよう。こうやって根に持たれるから。



「こっち……? それともこっち……?」

「知らん」

 インタビュー当日。指定の時間より大分早い時間に入ってきた彼女はトイレの鏡でかれこれ1時間ほど前髪をず~っと弄っていた。それを何故か、今日インタビューを受けるわけでもないのに無理やり付き合わされた彼女の同期は欠伸をしながら眺めさせられている。

「来てくれない、来てくれないってブーブー文句言ってる割に、いざ来られるとこんな緊張してるでやんの。何じゃそりゃ」

「だってぇ~」

 仕事場でプライベートの話を一切しないわけではないが、それでも仕事場であることに気を遣って、雑談程度の感じでしかしない。歓迎会の場であれば、もう少し色々プライベートな話もできるものかと、色々質問を考えて行ったのに、いざ行ってみたら不参加だというのだから、不貞腐れたくもなる。まぁ、クレーム対応で大変だったのは分かるのだが。

「変じゃない? 変じゃないかなぁ?」

「変じゃない。変じゃない」

「ホント? ホントにホント?」

「ホントホント」

 適当に受け流しているように見える同期だが、変じゃないという意味では同期の言葉は合っている。何せ誰がその髪型をセットしたと思っているのか。同期がセットしたのだから髪の分け目も多少好みで変えようと、基本的には問題無いのである。

 というか、あんまり弄られるとセットした髪型が崩れそうなので、あんまり弄ってほしくない、というのが同期の本音だ。

「よ、よし。じゃ、じゃあ行ってこようか」

「そうね。もうず~っとトイレに籠ってるしね」

 いざ彼女がトイレを出ようとすると、トイレの入り口前を件の先輩社員が横切っていった。

 おー、すっげーラフな格好、コンビニでも行くのかな? と同期なんかは彼の格好を見て、彼女との気合の入り具合の差に愕然としたものだが、

「ちょ、もももう一回チェックしようかな」

 彼女の方はまるで気にしていないようである。相手の恰好よりも自分の格好がどう見られるかの方が気になって仕方がないらしい。

 まぁ、彼女は普段はラフな格好しかしないし、メイクなどもそれほどしないようだからどう見られるのかが気になって仕方がないのだろうが。

 その気持ちは理解するし、可愛いとも思うが、

「だーっ! 弄りまくるからどんどん崩れていってんじゃん! はい! 気を付け! 直すからもう弄らない!」

 こっちが一生懸命セットした髪や服装を崩すのは止めて頂きたいものであった。



「あれ? 今日お洒落じゃん」

 彼が先に椅子に座って待っていると、後から現れた彼女を見て、彼は第一声そう言った。

 普段お洒落ではない、という意味ではないが、普段はもう少しラフな格好をしているイメージである。彼が聞くと、彼女はどこか落ち着かない様子で髪を弄りながら、

「そりゃあ、インタビュー受けるわけですから、それなりにフォーマルな格好しますよ」

「そっか」

 彼は普段通りの自分のラフな格好を見直す。もうちょっと着る物に気を遣うべきだったか、と彼が思っていると、何故か今日インタビュー受ける予定の無いハズの彼女の同期が彼女の背後からにゅっと顔を出して、

「本当ですよ、聞いてくださいよ。昨日定時上がりに店が閉まるギリギリの時間まで買い物に付き合わされぶぅっ!?」

 言葉尻が不自然に潰れたのは、彼女が物理的に同期の口を手で塞いだからである。

「何でもないですよ、何でもないですからね?」

「う、うん……。そういうことにしておこう」

 どうやら、インタビューするにあたって大分気合を入れてきたらしい。そんなかしこまらなくてもいいような気はするが、ホームページにずっと掲載されるわけだし、乙女としては服装に気を遣いたいのかもしれない。そういえば、言われてみれば普段と違ってメイクもしているか?

「ぷはぁ……っ。おまけに朝呼び出されてメイクもさせられてヘアーセットもさせられて。もうホント誰か私にスタイルセット代を払ってください」

「あー分かった! もー分かった! はいはいはい! 今日の私の給料全部あげるからあっち行って! しっしっ!」

「こんのっ、一体誰が頭先から足先まで面倒見たと」

「あーはいはいはい! はいっ! ありがとうございましたぁっ!!」

 ほぼほぼ強制退場と言った感じで背中を押されて退場させられていく彼女の同期。どうやらメイクからファッションまで専属のスタイリスストを付けているご様子である。

「すんごい気合入ってんじゃん」

「あ、いや、そんなこと……っ」

「まぁ、ホームページにもずっと載るわけだしね。それくらいの気合はあった方がいいかもしれない」

「………………」

 彼女は不満げに息を前髪に吹き掛ける。

 別にインタビューのためだけであればこんな気合入れないですけどね、と彼女はこっそり心の中だけで付け足した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

根に持つ後輩 うたた寝 @utatanenap

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ