第100話 よくある話だけど、同じ話は一つたりとてないわよ

 翌日、ヘアサロンEDENを訪れる。


「お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」

「いらっしゃい、真白ちゃん! あらあら! 前よりさらに男前になっちゃって! 私も嬉しいわ!」

「はい。おかげで色々と頑張れました。本当にありがとうございました」


 俺よりも背が高く、金髪に染め、メイクをバッチリに決めた猪原いはらさんたちが出迎えてくれる。


「そんなかしこまらないでいいわよー。話はベルから聞いてるわ。さっそく始めましょうか」

「ありがとうございます。準備しますね」


 鷹城たかじょうさんから預かってきた三脚付きウィッグスタンドを組み立て、カバンからウィッグを取り出し、被せる。


「一応……現在の完成形がこれなんですか」


 猪原さんにそっとスマホを見せる。

 その道の大先輩とも言える猪原さん相手でも、やっぱり恥ずかしい。


「あら……女の子。さすがベルねえ、完璧なコスだわ」


 鷹城さんが作ったコスを合わせ、女装をした俺の画像を見て、猪原さんは感慨深く呟いた。


「イメージはバッチリできたわ。すぐに終わらせるから座って待っててね」


 柔和な雰囲気が一変し、真剣な顔つきに変わる。


 銀から毛先に向かって黒が交じる長髪に対し、ハサミを持つ手は迷いなく動いていく。カットする手さばきも流麗で、真っ直ぐな強い意志が宿る瞳も綺麗で、正に絵になる。


 俺なんかよりもはるかにかっこよくて男前な人だ。

 ……でも、猪原さん的には乙女の方が喜ぶんだろうか?

 憧れ、驚き、思案、色々な思いに浸っている間に、カットは終わってしまった。


 ◆


 用事が終わり、仕事の邪魔になると思い帰ろうとした矢先、お話の誘いを受けてしまった。


「猪原さん。今日はありがとうございました」


 休憩室でハーブティーまでいただき、改めてお礼を言った。

 三脚付きのウィッグスタンドに被せられたウィッグを見る。

 素人目にもカットする前よりいい感じになっていると思える出来映えだ。


「いえいえ。お安いご用よ。でも、真白ちゃん。本当に男前になっちゃって。女の子たちが黙っていないんじゃないのー?」


 猪原さんはウキウキ気分で頬に左手を当て、右手を俺に向かって縦に振っている。


「そんなことは……前より、話せるようになったくらいですし。それに」


 最後に余計な一言をつけてしまった。


 虎雅こがさん、豹堂院ひょうどういんさん、白鳥しらとりさんといったクラスメイトの女子と、友だちとして接し、話せるようになったのは嬉しい。


 でもそれで十分だ。

 一番にかっこよく、好きって思われたい人は――。


「それに……黙っていないでほしいのはレオナちゃんだけがいい?」


 猪原さんが聞き逃さずに、しかも俺の心を見透かしたかのように言った。


「あ。えっと。もう、その、知ってるんですか……?」


 レオナさんとはまだ交際を始めて日が浅い。

 髪もまた伸ばすと言っていたし、最近来たとは思えなかった。


「私が何人の恋する乙女に男の子を見てきたと思っているのよ。これは綺羅々きららなんかよりも、ゆうにだって負けないわよー」


 猪原さんが口元に手を当て、上品に笑う。


「は、はい。その、少し前からレオナさんと交際を始めました」


 観念し、打ち明ける俺を見て、猪原さんは微笑んだ。


「おめでとう。二人の恋が幸福であることを祈っているわ」

「ありがとうございます。二人で頑張ります」

「ええ。頑張って。しかし、真白ちゃんったら正直者ねえ。なんとなく、そうだと思っていただけなのに、あっさり言っちゃうなんて」

「え。そうだったんですか?」


 猪原さんの経験値的に見透かして当然だと思っていた。


「そうよー。私だって100パーセント完璧に言い当てられるわけないじゃない。ま、すぐに信じて言っちゃうのも可愛くていいのだけど。二人のいいとこ取りね」

「俺ってそんなに母さんと父さんのいいとこ取りに見えますかね」


 父さんはともかく、母さんのいいとこ要素とは……?

 失敗を恐れないという方便の、他者の迷惑をかえりみない勇気とか……?

 なかなか思いつかない。


「ええ。見えるわよー」


 猪原さんは鷹城さんだけでなく、俺の母さんと父さんとも同級生だ。

 ……それなのに今年の夏休み明けまで知らなかった。


「しかし、本当に。懐かしいわ。昔、みんなで駆け抜けたあの日々が」


 猪原さんが頬杖をついて、自分がカットしたウィッグを見つめる。


「母さんや鷹城さんから簡単に聞いていましたけど、高校の時ってどんな感じだったんですか――自転車同好会〈武流姫璃威ヴァルキリー〉って」


 今なら少しくらいは色々と聞いてもいい気がして、質問をした。

 こういうところが母さんのいいとこなのかな……?


「たいそうな同好会じゃないわよ。峠を攻めて、いい感じの映えスポットを見つけて、イケてる特服とっぷくに着替えて記念撮影。あとはゴミ掃除をして、またジャージに着替えて帰る。本物の自転車部とはまた違ったハードさだったわ」


 猪原さんは遠い目をして語った。


「確かにまた違ったハードさですね。荷物も多そうですし」

「ホントよー。私なんかガタイがいいからってボトルとかの荷物持ちに、メイク道具も持参なんだから。まあ、魂の特服は己が力で運ぶってのが、綺羅々が決めた鉄の掟だったわ」


 母さんの変にこだわる部分、高校の頃から変わってないんだな。

 猪原さんは昔の思い出を楽しそうに話してくれる。


 以前は交際し、同棲までしていた鷹城さんの話も。

 だからこそ、気になってしまう。


「あの、猪原さん。今日は協力してくれたのに、気を悪くしてしまったら申し訳ないんですが。一つ聞いてもいいですか?」

「気なんて悪くしないわよ。私と真白ちゃんの仲じゃなーい」

「ありがとうございます。じゃあ、鷹城さんとどうして別れて……あれ? 別れたんですか?」


 言葉にしてみて、大事な部分が抜け落ちていたことに気がついた。

 だって、前にEDENに来た時は熱闘大地ねっとうだいちに出てプロポーズするって熱く語っていたし。


「んー……宙ぶらりんってところかしらね。一旦距離を置こうって」


 ハーブティーを一口含み、間をおいてから続ける。


「よくある話よ。みんな夢を抱いて上京したの。そして、私は夢を諦めきれなかった。自分の店を持つって夢。先にベルが自分の店を持つって夢を叶えて、焦ってしまったんでしょうね。

 それからちょっとずつお互いに忙しくなって、自分のことで精一杯になって、ギクシャクして、話し合って距離を置くことを決めたのよ」


 夢があるからこそ、好きな人と同じ道ではなく、違う道を歩くことはよくある話なのかもしれない。

 俺もまだ夢はないけど、もし夢を見つけた時、レオナさんと一緒の道を歩ける保証はない。


 もちろん、それはレオナさんも同じわけで――。


「でも、よくある話なだけで、誰にも当てはまるわけじゃないわよ。現に例外が真白ちゃんのすぐ近くにいるじゃない」


 俺の不安な思いを察したのか、猪原さんが優しい声で言ってくれた。


「俺の近くに、いましたか?」


 ただ俺自身がその優しさにピンときていなかった。


「やだ、真白君ちゃん渾身こんしんのボケ? 綺羅々と優よー。優も料理人として順調にステップアップしてて、いつかは自分の店を持つのかなって思っていたから。まさか途中で綺羅々を支えるために主夫になるとは思わなかったわ」

「父さんから話は聞いてましたけど、いつも軽い感じだったので。そういう話は聞いたことがなかったです」


 母さんも父さん自身も、昔は料理人だったんだよ、くらいの軽い感じにしか話していなかった。


 家族のみんなが美味しそうに食べてくれるのが一番嬉しいんだよね、といった感じだ。


 どうして料理人をやめたの? なんて俺も白雪しらゆきもわざわざ踏み込んで聞くことはなかったし。


「あら……そうだったの。余計なこと言っちゃったわよね。ごめんなさい」

「謝らないでください。むしろ両親以外だからこそ、素直に聞けるんだと思います」

「ありがとうね。思えば優は深くは語らないタイプだし、綺羅々もなんだかんだ優を立てるタイプよね。

 それに自分の店を持つことだけが、料理人の夢ではないのかもしれないわね。今はイカスタやズーチューブで料理やレシピを発信できるし」

「はい。でもいきなり父さんが、『父さん、今日からイカスタやズーチューブを始めてみようと思うんだ』って言ったら怖いかもしれません」


 あの父さんがニコニコ顔でそんなセリフを言ったら、間違いなく緊急家族会議が開催される。


「想像できちゃうわー。優ってかわいいルックスだから厄介なファンができたら大変よね。

 高校時代だって手懐けられない凶暴な魔狼の牙を抜いたのが、かわいい小さなウサギさんだなんて誰も想像してなかったもの。あれは一部に特効フェロモンが出てるわよ。プンプンよ」

「やっぱり父さんの方が恋愛ハンターだったんですかね……?」


 猪原さんから父さんと母さんの話を聞いて、さらにその思いが強くなった。


「え? 恋愛ハンター? 優はある意味そうかもしれないわね……」

「すみません。今のは忘れてください。俺の変な考えですから」

「そうなの? かくいう私も話が脱線しすぎたわね。結局のところ、あれよ」


 猪原さんは穏やかな声で続ける。


「夢を叶えたい。好きな人のために頑張りたい。二つを同時に叶えるのは難しい。そんな矛盾を抱えながら、一緒にいる方法を模索するしかないんでしょうね。

 よくある話だけど、同じ話は一つたりとてないわよ。大切なのは真白ちゃんとレオナちゃんの物語を大事にすることよ」

「はい。色んな話を聞けてよかったです。ありがとうございました」


 頭を下げ、丁寧にお礼を言う。


 色んな経験をしてきた猪原さんの話は参考になる。

 おかげで長々と話をしてしまった。

 猪原さんもまだ仕事があるし、そろそろお暇しないと。


「って、ごめんなさい。初々しい熱々カップルにする話じゃなかったわよね」

「そんなことないです。本当にためになりました」

「……ええ、ありがとう。レオナちゃんが惚れちゃうのも分かるわね。そんな真白ちゃんを不安にさせてしまって、ごめんなさいだけど。近々いい報告ができるかもしれないわ」


 猪原さんが茶目っ気たっぷりにウィンクをした。

 それは、つまり、そういうことなのだろう。


「あの、猪原さん。俺なんかが言えたことじゃないのは分かってます」


 それでも、猪原さんの優しい目を見て言う。


「二人のこと、応援してます」

「……あらやだ」


 なぜか猪原さんが頬に手を当て、呟いた。


「もし真白ちゃんが弟だったら毎日髪のケアいっぱいしてあげちゃうわ。綺羅々と優がうらやましいわ……! まったく! なんで教えてくれなかったのかしらって私の意地っぱりのせいじゃない――!」

「ずるいですよ! 店長!」


 突然休憩室のドアが開け放たれ、男女のスタッフさんたちがやってきた。


「私も真白ちゃんみたいな弟に、仕事帰りに玄関で出迎えてもらいたい!

『姉貴、今帰ったのかよ、相変わらずおっせーな』ってぶっきらぼうに言って自分の部屋に帰るんだけど! 冷蔵庫を開けたら『いつもお仕事お疲れ様』ってウサギマークが描かれたメモ付きのちょっと焦げた生姜焼き定食が! うまいうますぎる! ツンデレ弟!」

「僕だって『お帰り兄ちゃん! 今日もお仕事お疲れ様! あれ? 顔色よくないね。ごはんできてるよ。一緒に食べようね』って微笑んでくれるの! ああ、味噌汁が五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡る優しき子犬系弟!」


 そして、よく分からないことを熱弁し始めてしまった。


「おやめなさい!」


 猪原さんが立ち上がり、俺の方に歩み寄って庇うように大きく腕を振る。


「だいの大人がいたいけな男子高校生相手に欲望をぶつけるなんて恥ずかしいとは思わないの! そもそもお客様ほっぽり出してなにしてるのよ!」

「今はちょうど予約の合間だからいーんです! そもそも店長だってそーじゃないですか! 店長の横暴だ! 労基に訴えますよ!」

「そーだそーだ! 僕たちには癒やしが必要なんです! 義弟おとうと独占禁止法で消費者庁に訴えますよ!」

「そんなの労基に消費者庁が取り扱うわけないでしょーが! 迷惑行為もほどほどにしなさい! ごめんなさいね、真白ちゃん。怖かったでしょう? こんな大人にならないように反面教師として! 今のうちに目に焼き付けておいていいわよ!」

「あ、えっと」


 はい、とも、いいえとも言えないこの空気感。


「どの口が言ってるんですかー店長!」

「だまらっしゃい!」


 とりあえず分かったのは。

 ……社会人って大変だ。

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