第97話 こんな毎日を積み重ねて
色々あったけど、気持ちを入れ替えてリビングで真面目に勉強をする。
「レオナさん、ここの英語の訳って熊が川で狩ったのは元気な天然サーモンです、であってる?」
「うーん。熊が川からぶちあげたのは活きのいい天然サーモンです、のがよくない?」
「なるほど。ありがとう」
英語の翻訳や英訳を聞きつつ、ノートに記していく。
「ごめんなさい。レオナお姉。ここの計算に使う公式ってこれであってる?」
「どれどれー? うん、あってるよー。ってか、
以前はまず俺に聞いてくれたのに、すっかりレオナ先生を頼るように。
兄離れがまた一歩進んで、兄として嬉しくも悲しい。
会話よりもペンを走らせる音が増えた頃、
「みんな、そろそろ休憩にしたらどうかなー」
父さんが今日レオナさんに貰ったマカロンと、紅茶をお盆にのせてやってきてくれた。
勉強道具を一度片づけ、休憩時間。
三人でマカロンを食べる。
「マカロン、大人な、味……!」
白雪がマカロンを一口食べて目をキラキラと輝かせる。
俺もマカロンを食べ、味わう。白雪が喜ぶのも納得の美味しさだった。
紅茶を一口飲み、口を開く。
「マカロンなんていつ食べたかも覚えてないくらいだしね。美味しかったよ。ありがとう、レオナさん」
「どーいたしまして。まあ、パパが急に言い出してことなんだけどね。
――おっほん。レオナ。こ、これをう、兎野君の家に持って行きなさい。きょ、今日は、その。あれ、だろ? 挨拶に、い、行くんだよね?」
レオナさんは
「って、パパが急にキモい動きをして言い出すからさー。変な物でも入ってるのかと最初は思っちゃったんだよねー。マカロンでよかったよ」
「レオナさん。もう少し迅さんに優しくしてあげてくれると、嬉しいな……」
本当にもう少しだけ優しくしてあげてほしい。
「真白君に言われちゃ善処しておきまーす。それより真白君って英語はまずまずだけど、現国は得意だよね。特に漢字」
サラッと流されてしまった。
「あ、うん。かっこいいからかな? すぐ覚えられるんだ」
レオナさんはなぜか吹き出した。
「真白君、そーいうところは子どもっぽい」
「え? 子どもっぽい……かな?」
「真白お兄、昔から負けず嫌いだもんね。負けを認めない男の対処法はあらゆる物を捨て去ってあげることだ、って友だちの
そして白雪も賛同し……白雪……? 友だちの香奈ちゃんと本当にどんな話題で盛り上がってるの?
「さすがに全部捨て去ると逆に取り返しのつかない大惨事にならない? そこも妥協してあげない?」
「真白お兄の言うとおりかも。今度またディスカッションにディベートしてみる」
「……うん? 白雪、今の小学校ってそういう授業もしてるの?」
「違うよープライベートだよー」
白雪はおかしそうに笑う。
「最近の小学生は進んでいるんだねえ……お姉さん、驚いちゃったよ」
「本当にね。たった3年弱で小学生のトレンドも変わるものだね」
レオナさんと一緒にぎこちない表情で頷く。
レオナさんを思って空回ってしまう迅さんの気持ちが少しだけ分かってしまった。
これがジェネレーションギャップってやつなんだろうか。
のんびりとした休憩時間を三人で楽しんでいると、リビングのドアが開いた。
「と、糖分……マカロン、ロイヤルミルクティー……」
ジャージ姿の母さんがうわごとを呟きながらやって来て、ダイニングテーブル側の椅子に座った。
「はい。
「ありがとー
父さんから補給物資を授けられる様を見て、レオナさんは驚いている。
「わー……綺羅々さん大変そうだねー……」
「今週は特にネームの構想に悩んでるみたい。毎日じゃないけど、週初めはだいたいあんな感じだよ」
「なるほど。私たち読者の元に送り届けられる一冊は、ガチで汗と涙と血の結晶なんだね」
レオナさんは腕を組んで感心している。
「あああー……」
続いて父さんから肩や腕のマッサージを受け、濁音混じりの声を上げる。
「よっしゃ。仕上げにかかるかー。あ、レオナちゃん来てたんだ。マカロン、うまかったぜー。ゆっくりしていっていいからねー」
「は、はい。頑張ってください」
回復して仕事部屋に戻っていく母さんを見て、また驚いていた。
「そういえば真白君。アシスタントさんはいないの?」
「普段はリモートで自分の家でやってるんだ。家で集まってする時は本当に締め切りに間に合わない修羅場の時だけみたい。あとは一ヶ月に一度の
「そーなんだ。懇親会って楽しそーだね。どんな感じ?」
「普通の食事会だよ。でも正直さ。小学生の頃は慣れなくて苦手だったんだ。知らない人たちが家にいるって。みんな女性でいい人だったけど。まあ、色々、と」
本当に色々、と。
昔の記憶はそっと心の奥底にしまっておくのがいい。
「昔の真白お兄ってアシさんたちに可愛がられていたよね。特別なあだ名もつけられてたよーな? 今の私の『姫』みたいに。なんだったっけ?」
「……そ、そうだったかなー?」
まずい。
それはレオナさんに知られたくはない。
当時の白雪はまだ小学生低学年。記憶もあいまいなはず。見たところ覚えてはいないようだし。ここはうまくごまかしてかわすしかない。
「え!? なになに! どんなあだ名! 気になる! 真白君教えてよー!」
当然、レオナさんは話題に食いついてウキウキで聞いてくる。
「さ、さあ? 俺も小学生の頃の記憶だからさすがに覚えてなくて……」
「今さっき、小学生の話してたじゃん」
レオナさんは真顔で矛盾を指摘した。
ちゃんと俺の話を聞いてくれてありがとう。
「あー……ごめん。もしかして、マジで話したくない系?」
「ごめん。違うんだ。そういうわけじゃないんだけど……」
むしろ笑い話の類いだ。
だからこそ話しづらいわけで、ただ恥ずかしい。
別に話しても問題はないのだけど。
「確か、『王子』じゃなかったかな?」
「父さん!?」
俺の頭の中から除外していた父さんがぶっちゃけてしまった。
「あ。真白、ごめん。言っちゃまずかったかな……?」
父さんが頬をかきながら申し訳なそうに言った。
俺は外見は母さん似で、うっかり爆弾発言をするのは父さん譲りらしい。
「真白君が王子……? ぷっ! 王子って! あ、ごめん! 真白君をバカにしたいわけじゃないんだけど! おかしくて! ウケる! なんかイメージと違うじゃん!」
レオナさんが涙目になり、腹を抱えて大笑いしてしまった。
久々にレオナさんの笑いのツボに入ってしまったらしい。
「だ、だよね。俺も似合わないと思ってたからさ。当時は余計に少女マンガアレルギーに拍車がかかっちゃって」
「そ、そっか! 笑っちゃダメなんだけど! ごめん! 真白君はどっちかっていうと……殿じゃね!?
戦国武将とか侍とか……あれあれ! パーリィ伊達政宗とかバーニング真田幸村とか! 妖怪
「ははは……まだそっち系呼びなら男っぽくて受け入れられたかもね」
当時はアシスタントさんたちに王子、王子、と呼ばれて構われてしまった。
だから年上の女性に対して苦手意識はとうに飛び越え、諦観というか名の慣れの境地に至ってしまった。
「真白君、ご、ごめんね。マジで爆笑してごめん」
「いいよ。ここまで大ウケして大笑いしてくれるといっそ清々しいし。むしろ助かります」
レオナさんがようやく落ち着き、笑いすぎて流れた涙を拭う。
「ありがと。じゃあそっか。真白君、小学生時代は外では芝狩小に生息する
「……言われてみると確かにヤバい小学生だね」
「超レアヤバじゃん。それじゃあ、当時の真白君を見て王子と殿。どちらの称号が相応しいか検証してみましょう。写真とかある?」
「それは――え?」
今日の夕飯はなに? みたいな軽いノリで聞かれて、うっかり頷きそうになってしまった。
レオナさんは落ち着いたと思ったら、また一波乱起こしそうな提案をしてきた。
この流れで昔の写真を見られるのもかなり恥ずかしい。
「あ! はい! そろそろ休憩時間終了です! 勉強しましょう!」
力強く手を叩く。
ここは俺も力業で強引に対抗するしかない。
「えー! ちょっとだけ! ちょっと見るだけだから! だめー?」
「真白お兄。レオナお姉にちょっとくらい見せてあげなよ。男の子と女の子は妥協の連続でしょ?」
うっ。2対1。女性陣が結束してしまった。
「ま、また今度。落ち着いて、日を改めて。その時に見せるならいいよ。それが俺の妥協案です」
負けてはいけない。
男の子にだって意地と尊厳と
「はーい。分かりました。確かに私が先に爆笑して悪いしね。選択権は真白君にあるか。じゃあ、今度見せてね?」
「うん。今度、用意しておくね」
いつの間にか見せる前提で話が進んでしまった。
妥協って本当に難儀だなあ……。
「じゃあ、気を取り直して。勉強再開しようか」
はーい、とレオナさんと白雪が仲良く返事をする。
「そうだ。レオナちゃん、今日は夕ご飯食べていくかい?」
話が落ち着いた頃合いを見て父さんが、レオナさんに声をかけた。
レオナさんは気まずそうに答える。
「お気遣いありがとうございます。毎回は迷惑ですし。さすがに今日は帰ろうかなと」
「レオナちゃん……今日はとろーり玉子の特製ローストビーフ丼だよ」
父さんがニコニコ顔で悪魔の
「あ! ご迷惑じゃなければ食べていってもいいですか!」
レオナさんはお肉に釣られた。
◆
みんなでとろーり玉子の特製ローストビーフ丼を食べ終え、お別れの時間になった。
玄関先でレオナさんと話をする。
「……なんか、ふつーだったね。恋人二日目にしては。朝に盛り上がったくらい?」
「うん。なんか、振り返ってみれば普通だね」
「俺はこういうなにげない一日も楽しくて好きだよ……レオナさんと一緒なら」
なぜか照れくさくて、最後に付け加えてしまった。
「うん。こういう積み重ねが大事なのかもね。レベリングは地道な作業ゲーだしね。なんだって楽しいよ。真白君、とならさ」
レオナさんも同じように言った。
今日という日が終わりに近づく夜がなせる業なのか。
昨日を思い出してかは分からないけど。
俺もレオナさんも家にいた時とは様子が違う。
まだ恋人二日目。
結局、俺たちは新米彼氏彼女初心者なのだ。
簡単に抜け出せるわけがない。
「だから、たまにの大規模イベントが映えるんだろうね」
「それなー。じゃあ……んっ」
レオナさんは顔を赤らめながら両手を広げ、何かを求めている。
これくらいは答えを聞かなくても分かる。
優しく抱きしめる。
「たまにはこういうさよならもありだよね。二人でさ。違う色んな経験していこーね」
「うん。一緒に。経験していこう」
暖かさを共有し、笑顔で離れる。
「じゃあ、レオナさん。また明日」
「うん。真白君、また明日」
レオナさんを乗せたデス美さんビークルモードを見送り、夜空を見上げる。
と、スマホが鳴る。
『真白君、この後、〈GoF〉で遊べる?』
『りょ』
なんて返事をするか悩み、なんとなくレオナさんの真似をしてみた。
『りょうけたまわりー。準備できたら連絡するね』
『俺もお風呂とか明日の準備終わったら連絡するよ』
『私も入るからゆっくり湯船に浸かっていいからねー』
『レオナさんもゆっくりどうぞ』
チャットを終え、もう一度夜空を見上げる。
夜はまだ長い。
リアルだけじゃなく、ネットでも俺たちは一緒に遊べる。
こんな毎日を積み重ねて、たまにくる特別な日を一緒に
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