第88話 夢の一欠片さえ

 夢――と聞かれてなにも思い浮かばなかった。


 イラスト関係やスポーツ関係の仕事もなに一つ。

 絵を描くのはいまだに趣味の範疇はんちゅうで、運動だってなにかを目標にしているわけじゃない。


 なに一つ。

 確固たる夢は形になっていない。


「……すみません。今は、まだ。将来の夢はありません。自分がなにになりたいか。なにをやりたいのか。明確な道は見つけられていません」


 情けない答えだ。

 今の俺には情けなく、あやふやな答えしか口に出せない。

 答えているようで答えられていない。


 それが、現実だ。

 今の俺の現在地だ。

 下手に嘘をついても見抜かれる。


 だから、偽らない。

 だけど、前を見る。

 隣にいる人の存在を感じ、続ける。


「それでも自分はレオナさんと最後まで一緒に歩いて行ける道を見つけたいと思います。もし……途中で分かれ道になっていても。

 自分にとっての最良の道を見つけたいです。それがレオナさんと最後まで一緒にいることだと思うので。すみません、情けない答えになってしまって」


 レオナさんの家柄を考えれば、明確な夢を持たない俺を認めてはくれないかもしれない。

 交際を認めてもらえないかもしれない。


 それでも諦めない。

 認められないなら。

 認められるように頑張るだけだ。


「……? なぜ謝る必要があるんだい」

「え? それは……」


 予想外の返答に言葉が続かない。


「試しはしたけど、責めるつもりはないよ。将来の夢をもっているから偉いわけではないだろう。もちろん夢を抱き、日々邁進まいしんし、はげむことは大変素晴らしい。そんな若者は応援したくなる」


 お父さんから怒気が消え、さっきまでの穏やかな雰囲気に戻っている。

 手を交えて話を続ける。


「だからといって、夢をもっていない子が劣っているわけではない。ましてや卑下ひげし、恥ずべきことではない。将来の夢、展望てんぼうを明確に形にしている子はそう多くないだろう。

 だからこそ君たち学生は学び、悩み、励み、悔やみ、鍛え、足掻あがき、時に遊ぶ。その中で夢の一欠片でも見つけられればいい方だ。そうは思わないかい?」

「そう、ですね」


 呆気にとられたというか、つい聞き入って返事しかできなかった。


「……私の周りにはね。大言壮語たいげんそうごをのたまい、できもしないことをうそぶき、おこぼれを預かろうとするやからがよく現れる。時に不可能を可能にする情熱へと変換する者もいるし、叶わずとも諦めずに挑戦し続ける者もいる。

 だが、一握りだ。それ以外の彼らと比べれば……まあ、あれだ。今の自分の立ち位置を理解し、恐れずに打ち明けるだけ、まだましな答えだ。無論、及第点ギリギリの落第寸前だけどね」


 お父さんはたどたどしく呟いた。

 最後の方はどんどん小さくなり、どうにか聞き取れるくらいだった。

 それでも想像していた中でもいい答えであり、


「それじゃあ――」

「パパ――」


 俺とレオナさんが顔を見合わせ、安堵あんどの声を漏らす。


「だからあと100レベルあげないとレオナとの交際は認めてあげないぞ!」

「え!? は、はい! あと100レベルあげるように努力します!」

「私の話を聞いていなかったのかね!? 簡単に言うんじゃない! 私はそういう輩が大嫌いだ! そこまで大見得を切るのならやはり999レベル……いや、それはクソゲーすぎるな!

 110だ! 110にならんとケ、ケコンは認めてやらんぞ! ふふふ……! 100レベル以上の必要経験値量は爆上がりだぞ! 指数関数的にもナイアガラだ!」

「はい! 110レベルまで頑張ってレベリングします!」


 急変したお父さんが出した難題に反射的に答えてしまった。


「クッ! 言うじゃないか! 本当に私の話を聞いて――」

「ごめん! 真白君! もう黙って聞いてられない!」


 バン! とレオナさんがテーブルを強く叩き、立ち上がる。

 そのままお父さんに詰め寄っていった。


「パパにしてはいいこと言うなーって! せっかく少しは見直したと思ったのに! マジ最悪! ありえない!」

「だ、だって! レオナ聞いてくれ! パパがこんなことを言えるのはレオナが、け、ケコ……クッ! 想像しただけで涙が出てくる!」

「それマジでキモいの! もう! とにかく! 私は真白君と別れるつもりなんて金輪際ないからね!」

「金輪際!? つ、まりケコン――」

「だからパパはいつも話が飛躍しすぎなの! リアルのケ、ケコはまだ先の話!」

「リアルは!? ま、まさか〈GoF〉かい!? 〈GoF〉では結婚を!?」

「そーですがなにか!?」


 そして始まる親子……喧嘩?

 レオナさんの迫力に、お父さんの必死さに。

 またしても呆気にとられてしまう。


「ごめんなさいね、マシロさん」


 俺の隣の席にリオーネさんが座った。


じんのことを悪く思わないでくださいね」

「あ……はい。レオナさんのことを大事に思うなら当然だと思いますし」


 もし同じ立場だったとしたら、そう簡単に認められるわけがない。

 それでもこうして同じ席で会話をし、俺の話をちゃんと聞いてくれる。

 それだけで今は十分と言えるかもしれない。


「ありがとうデス。ふふ。今のマシロさんを見て、迅と初めて出会った時を思い出しました。私が日本に留学して大学に通い始めた頃、見知らぬ男の子たちに声をかけられて困っていたところを助けてもらったんデス」

「大学生の時に知り合ったんですね。大変そうな場面ですけど……」

「ええ。迅は足を震わせながら、必死に世界の挨拶を延々と呪文のように言い続けました。男の子たちが呪いにかかって去った後、MP切れで地面にへたり込んだ迅の姿ったら。本当に可愛いかったんデスよ」


 リオーネさんが昔を懐かしみ、口元に手を添えて嬉しそうに笑う。


「リオーネ!? 昔話はしなくていいんだよ! 彼に塩を送くっちゃだめ!」

「いいよママ! もっとパパの情けない話して!」


 二人が声を揃えて言った。


「ね? 仲がいいでしょう。二人ともツンデレなんでデス」

「リオーネの言うとおりさ! 私たち親子は仲良しのツンデレデレデレデレさ! どうだ! うらやましいだろう!」

「はあ!? 私はパパにツンギレですけど!」


 ……確かに仲はいいんだと思う。

 喧嘩するほど仲がいいと言うし。

 俺も母さん相手はこんな感じだろうし。


 ただ交際を認める話がどこかにいきそうで困る。

 これだけはハッキリさせたいのが本音だ。


「このままではらちが明かないな! いいだろう! 君が、か、新米彼氏初心者(仮)と認めてほしいならば! 一つ試験をしようじゃないか!」


 すぐに席を立ち、背筋を伸ばす。


「はい! 頑張ります!」


 一体どんな試験が待っているのだろう。

 生半可な気持ちでのぞんでは駄目だ。

 絶対に合格する覚悟をもって臨まないと。


「いい返事だ! ついてきたまえ!」


 お父さんが部屋を出るのについていく。


「ああ、もう! パパのバカ! 真白君、ごめんね。無理はしないでいいからね?」

「無理なんかしないから安心して」


 一緒に後を追うレオナさんは目尻を下げ、頷く。


「……そうだね。頑張ってね、真白君」


 レオナさんの応援があれば、なんだってやり遂げてみせる。

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