第89話 邪念を払っただけです!

 みんなで移動し、行き着いた場所は広々とした空間だった。


「準備をしてくるから待っていなさい。いいね?」


 そう言ってレオナさんのお父さんは、三毛みけさんとデス美さんをつれて出て行った。


 高級そうな絨毯じゅうたんを踏みしめる。

 色鮮やかな絵画が壁に掛けられ、中央には長いテーブルに椅子が並んでいる。それでも左右のスペースにだいぶ余裕がある。


「レオナさん。ここがレセプションルーム?」

「うん。私もめったに来ないけどね。お偉いさんとかが会食にきた時に挨拶とか、新年会とかくらいだし」

「そっか。ここで試験をするってことだろうけど。どんな試験だろ?」

「分からんー。パパって変人だから普通のことはしないと思うけどー……」


 レオナさんは目を細め、腕を組んでうなる。


「じゃあ、テーブルマナーや絵画の作品名や作者、制作年などを言い当てろはないかな?」

「た、多分? 真白君分かる? テーブルマナーならまだ……教えられるけど」

「付け焼き刃じゃ意味がないかもしれない。本当の意味で身につけていないと駄目な気がする」


 リオーネさんが見守る中、二人で頭を悩ませる。


 正直、それらを出されたらピンチだ。


 直感の閃きと状況判断、わずかな知識で推理して解くしかない。

 絵画も水彩画とか油絵なんて専門外もいいところだ。


 本当にどんな無理難題な試験が待って――。


「三毛さん、デス美! なんかいい感じのグラスにいい感じのビールを注いで! 彼用のいい感じのオレンジジュースもよろしく!

 あと小物を置けるいい感じのスタンドに、いい感じの傘に、いい感じのソフトボールに、いい感じのだてメガネはあるかい!?」


 部屋の外からお父さんの慌ただしい声が響いている。

 本当に……いったい何が始まるんだろう。

 しばらくしてお父さんが部屋に戻ってくる。


 さっきまでかけていなかっただてメガネをかけ、傘を手に持って。

 幼児が描いたようなあっかんべーライオンのイラストのブカブカトレーナーとあわさり、独特すぎる雰囲気が増している。


「待たせたね。あ、三毛さん。入り口横にスタンドを置いて、そこにソフトボールも」

「ここでよろしいですか?」


 三毛さんが入り口の両開きのドアの横に小さなスタンドを設置し、ソフトボールを置いた。


「素晴らしい。さすが三毛さん。手際がいい。完璧だ。さて、試験は実にシンプルだ。君は、ここに立ちなさい」

「は、はい」


 傘の石突きで床をトントンと叩かれた場所に立つ。


「いいだろう。まずは私が手本を見せてやろう」


 お父さんはそう言って入り口に向かう。


「黒ビール一丁お待たせですわー」


 デス美さんが操作している配膳ロボのお盆には黒ビールが入ったグラス。

 お父さんはそれを一杯飲んでから、


「礼節が」


 ドアの鍵をガチャリと閉め、


「人を」


 そして左側のドアノブをガチャンコと回し、


「作る」


 次に右側のドアノブもガチャンコと回し、動きを止める。


「意味が分かるか?」


 背を向けられたまま突然の問答をされてしまった。


 礼節が人を作る?

 遠回しに俺は礼儀知らずの無礼者め、と言われているんだろうか?


「では、教えてやろう――」


 悩んでいる間に、お父さんが傘の柄をスタンドに置かれたソフトボールにかけ、俺めがけて投げてきた。


 距離は十メートルほど。

 綺麗な放物線を描き、ふらふら……と床に落ちた。コロコロ……と転がり、俺のつま先に触れる直前で止まった。

 そっとソフトボールを……取る。


 柔らかい。普通のゴム製のソフトボールだ。

 え? これ、正解はなんだったの?

 もしかして上流階級で今流行はやっている新種のエクストリームゴルフ?


「や、やるじゃないか。今のはお手本と言っただろう。次は君の番だ。こっちに来なさい」

「は、はい。分かりました」


 小走りで入り口に向かう途中で、リオーネさんが吹き出した。


「マシロさん。ごめんなさいね。じんったらこの前リモートで一緒に見た昔のスパイ映画の真似をしたかったんだと思います。

 スパイ映画風のアミューズメントパーク計画の参考にって理由だったんデスけど、はまっちゃったみたいデス」

「リオーネ! だから彼に余計なこと言わないで!」

「ふふふ。ごめんなさーいデス」


 顔を真っ赤にしたお父さんを見て、リオーネさんはさらに笑ってしまった。


 そういう事情があったのか。

 創作物に影響されちゃうのはレオナさんと似ていて親子だなって思う。


「パパさー……もう少しましな試験なかったの? しかも失敗? ダサいよ?」


 レオナさんはすっかり呆れてしまっている。


「グッ!? 痛い。レオナの言葉が痛い。だ、だがしかし」


 お父さんは胸を押さえながらも、不敵な笑みを浮かべる。


「ふ、ふふふ……! 私が失敗したということは君も失敗する可能性があるということだ。さあ、これらを受け取りなさい」


 お父さんから傘とだてメガネを借りる。


 だてメガネは未だにバイト先の武流姫離威ヴァルキリーでかけているので慣れている。

 傘もまあ……一連の流れは覚えた。


 テーブルマナーや絵画の審美眼しんびがんを問われるよりはるかに楽だ。


「私は一歩もここから動かないし、横に手を出して助けはしない。正面しか受け取らないよ。見事ノーバンで私の元まで飛ばしてみせなさい。そうすれば新米彼氏初心者(仮)としては認めてあげよう」


 そう言われたら俄然がぜんやる気が湧いてくる。

 俺が先ほどまで立っていた十メートルくらいの場所にお父さんがいる。


「チャンスは一度きりだ。もし失敗すれば……想像してみなさい。レオナが死――ガハッ!?」


 お父さんが右手を顔に当て、左手で左胸を押さえ、荒い呼吸で続ける。


「そ、想像しただけで胸が張り裂けそうだ……。む、無理。や、やっぱり……そうだ。レオナが風邪をひいて、37度の熱をだしてしまうと思いなさい。しっかりとだ。リアルに想像してみなさい。レオナへの愛が本物だというのなら君にもできるだろう?」


 俺を指さすお父さんに頷く。


「やってみます」


 目を瞑る。

 集中も兼ねて、お父さんに言われたとおりに想像する。


 ――レオナさんが風邪をひいたと聞いて、お見舞いにレオナさんの部屋へと招かれる。

 熱を出して気怠けだるそうにベッドで眠るレオナさん。


「あ……真白君だ。来てくれたんだ……嬉しいな……えへへ」


 目を覚まし、俺の手を握り、つらいのに健気に微笑んでくれるレオナさん。


「お腹空いたな……真白君が作ってくれた……おかゆ、食べたいな?」


 火照ほてった顔で息苦しそうにしながら、ささやかなお願いをするレオナさん。

 丹精込めたおかゆを作ってあげて、


「――真白君、あーんして?」


 うるんだ碧い瞳に、艶のある唇がゆっくりと開いて……はっ!?


「――真白君、汗かいちゃった。背中拭いて?」


 パジャマをはだけさせ、汗ばんでいながら色白の綺麗な背中が露わになり、一粒の雫がつーっと背骨付近を流れ落ち……いや、それはまずい!


「もちろん前も――」


 たわわな――バチン! と自分の頬を力強くはたいた。


「急に自分の顔を叩いてどうしたんだい!? それが君流の気合の入れ方かい!?」

「ご心配なく! 邪念を払っただけです!」


 危うく想像でレオナさんを完全に脱がしてしまいそうだった。

 本人とご両親の前でなんて想像を――!


「そ、そうなのかい? まあ、とにかくだ。想像はできたようだね。さあ、レオナへの愛を証明してみせなさい。私も鬼じゃない。イメトレの時間はあげよう」


 息を吐いて、改めて集中する。

 傘の柄とソフトボールをあわし、軌道を予測する。

 おおよその軌道は計算できた。


 あとは力加減。届かないよりは届く方がいいはずだ。

 そしてもう一度想像する。


 風邪をひいたレオナさんよりも――。


「いきます。礼節」

「待ちなさい、オレンジジュースを一杯飲んでからだよ?」

「あっ、はい」


 お父さんから演技指導が入ってしまった。

 仕切り直すように咳払いをしてから、オレンジジュースを飲む。


「礼節が」


 ドアの鍵をガチャリと閉め、


「人を」


 そして左側のドアノブをガチャンコと回し、


「作る」


 次に右側のドアノブもガチャンコと回し、動きを止める。


「意味が分かるか?」


 お父さんは答えない。

 演技指導が入らないと言うことは、このまま続けていいんだろう。

 傘の柄にソフトボールを引っかける。


 チャンスは一度きり。

 風邪をひいたレオナさんよりも――。


「では、教えてやろう」


 力を込めて、傘を引く。


 ――健康なレオナさんの方がいいに決まってる!


 ソフトボールが俺の願いを叶えるように真っ直ぐに飛翔し、真っ直ぐに――お父さんの顔面に直撃した。

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