第73話 ウサギとカメ

 夜になってバイトを終え、家に直帰せずに寄り道をした。

 向かった先は芝狩しばかり第三中学校。


 俺が通っていた中学校だ。

 中学2年の体育祭以降の当時は校舎がとても大きく、通学路は長い道のりに思えた。


 家から徒歩で行ける距離にあったけど、ずっと避けて通ってきた場所だ。

 今じゃあっさりと到着し、なんだか校舎も小さく見える。


 ここに来て何かが変わるわけじゃない。

 でも、変われたからここに来られた。


 夏休みからの数ヶ月。色々あった。


 レオナさんとたくさん話して距離が縮まって。クラスメイトや他クラスの人とも話せるようになって。〈GoF〉から新たな繋がりもできた。


 明日またレオナさんと〈GoF〉で結婚をする予定だ。

 色んな区切り、リスタート。


 だから今日はケジメ、みたいなものだ。

 一度、一人で見ておきたかった。

 本当にここに来たからって何も変わらない。


 中学のみんなも今さら俺に会いたいとは思わないだろうし。

 ただ一つ心残りがあるとすれば――。


「うさ、の?」


 声をかけられた方に向く。


 ヘッドフォンを首にぶら下げ、キャップにジャケットのフードを重ねて被った小柄な男子がいた。


「黒――亀槻かめつき君?」


 声を聞き、姿を見て彼だと分かった。

 小学生時代にずっと一緒だった親友。


 中学にあがってからは同じクラスでありながら疎遠そえんになった人。

 亀槻君は何か言いたそうだったけど、フードで顔が隠れてよく見えない。


「わり、じゃ」


 きびすを返し、足早に去ろうとする。


「亀槻君! ちょっと待って!」


 前の俺なら何も言わず、目を背け、逃げ出していた。


「なんだよ?」


 亀槻君は露骨にいらだった声で返事をした。

 でも、怖くない。


「少し、話さない?」

「ったく。わーったよ。ちょっとだけだぞ」


 ◆


 俺たちは小学生時代、ずっと遊び場にしてきた芝狩公園のベンチに座った。


「で、話って?」

「その。中学2年の体育祭の時。俺――」

「絶対にその先言うんじゃねえぞ。言ったらぶん……はあ、殴れねえよなあ」


 さっきまでの怒気を含んだ声がしおれていった。


「……別にあんなの事故みたいなもんだろ。兎野が悪いわけじゃねえよ。むしろガン無視した俺たちの方がクソだろ。

 俺が『なにずっこけて負けてんだ、バーカ』って言って、引っ張り上げりゃもっとマシな結果になったはずだ」


 亀槻君は下を向いたまま息を吐く。

 色んなもので顔は隠され、何も見えない。


「だから、謝るなよ」

「……ごめん」

「だから、謝るなって言ってんだろ!」


 亀槻君が顔を上げ、俺に掴みかかってきた。

 抵抗はしない。できるはずがない。


 俺に負けず劣らずの強面が歪んでるから。

 顔が見えた亀槻君の方が苦しそうだったから。


「謝るなら俺の方が先だろうが! ずっと一緒だったのに俺もクラスのはみ出しものになるのが怖かったんだよ! 兎野みてえに一人で戦うのが怖かったんだよ!」


 亀槻君は俺の服のえりを離し、ベンチに背を預け、天を仰いだ。


「みんな怖かったんだよ。毎日。一人なのに普通に来るお前が。こっちのが頭数は多いのに、お前一人にビビってた。それでなんかずっと無言で責められてる気がした。

 どの面下げて一緒の教室にいんだよ、テメェらって。とっと謝って仲直りすりゃよかったのに。結局。卒業までできなかったクソ野郎だよ、俺は」

「俺も同じだよ。みんなを通して見る自分が怖くて。謝れなかった。進むことも、逃げることもできなかった」


 俺は逆に身体を前に倒し、組んだ手を見つめる。


「クラスの奴が泣かされたら、他校だろうが上級生だろうが殴り込んで大暴れしてた奴が?

 クラスだろうが、女子を泣かせる男子がいたら詰め寄ってたお前が?」

「それは亀槻君も一緒だったでしょ。だから、きっとみんな怖かったんだよ」

「みんな揃ってビビりか。笑える」


 今度は亀槻君も俺と同じ態勢になった。


「あーでも。ちょっとスッキリしたこともあったわ。お前が名門の郷明きょうめいに合格したの。はなから無理だって諦めてた教師連中が合格知った時の慌てっぷり。マジで痛快だった」

「そんなこともあったんだね」


 今度は一緒に夜空を見上げる。


「……なにずっこけて負けてんだ、バーカ」

「……うん」

「ずっと謝れなくて悪かった。ごめん」

「俺もごめん」

「だから謝んなって」

「うん」

「絵、まだ描いてんの?」

「また描き始めた」

「……郷明。楽しいか?」

「……うん。楽しいよ。友だちとよく分からない下らない話で盛り上がったり。好きな人ができて、話したり、遊んだり、歩くだけでも。毎日、楽しいよ」

「そっか。ならいい。成人式の同窓会くらい顔見せに来いよ」

「それは……」


 亀槻君はともかく、他のみんながそうとは限らない。


「なら、コネ作っとけ」


 亀槻君が立ち上がり、


「お前とつるまなかった分、他の奴らとはまだ仲いい方だからよ。俺に根回ししておけよ」


 背を向けて歩き出す。

 俺も立ち上がり、その姿を見つめる。


「じゃあな。また遊ぼうぜ。シロウサ」

「クロカメ……」


 亀槻君は振り返らず、片手をあげて応える。

 それは小学生時代の思い出。


 俺はシロウサで、亀槻君がクロカメ。


 小1の頃にウサギとカメの寓話ぐうわで知り合い、どっちが凄いかで色んな勝負をし、意気投合。


 親友の証にお互いにつけたあだ名。


「連絡先、教えて」


 亀槻君がピタッと立ち止まり、


「ああ! そーだよな! 連絡先知らねえよな!」


 恥ずかしそうにしながら足早に戻ってきた。


「亀槻君。昔からかっこつけたがりだよね」

「しょうがねえだろ! 隣にお前がいると俺の存在がかすむんだよ! 女子にモテたのお前だし!」

「え? 俺、チョコとか一個も貰ってないよ?」

「んなの、照れ隠しに決まってんだろ! つーか、お前毎年バレンタインになると、チョコ貰う男子とかだっせーよな! って言ってたせいだろ! 俺も余波くらってたんだよ!」

「……あの頃は、よくいる男子小学生だったよね。あ。でも確か……クラスの天魚あまうおさんに亀槻君の好きな人を聞かれた気が」

「は? マジで!? なんでそれ言わなかったんだよ! つーか、まて。天魚? 同じ高校で、クラスも同じなんだけど。来週からどんな顔して会えばいいんだよ」


 亀槻君と連絡先を交換しながら昔話をする。


「なんか、ごめん……」

「お前ってたまに善意100パーセントで大事故起こすよな。それで何人の……まーいいや。つーか、また背伸びただろ。何センチだよ」

「181、182、183、184、185……?」

「現在進行形かよ。俺はまだ168で足踏みしてるってのに」


 さっきまでの重苦しい空気が消え、昔の懐かしい感覚に戻る。

 ずっと疎遠だったのに、仲直りするのは一瞬だ。


 いや、長い時間があったから。

 こうしてお互いにおかしくて笑い合えるんだろう。


「ここで話して変人に思われて補導されてもあれだし。ワクワク行かね? 暇?」

「暇。行くよ。というかまだワクワク呼びなんだね。その呼び方、亀槻君だけだよ?」

「はあ!? ワックはワクワクするからワクワクだろ!? つーか、君付けやめろ。呼ばれる度にぞわぞわする」

「今はこんな感じで慣れちゃったから。呼び捨ては難しくて」

「じゃあ、昔みたいに名前で呼べよ。分かったな、真白」


 連絡先の交換を終え、スマホをしまって歩き出す。


「昔から思ってたけど、黒也くろや君ってネーミングセンス独特だよね。芝狩小に生息する白兎はくとの暴君ってつけたの黒也君だし」

「だからって急に距離詰めてディスるなよ。こえーよ。そもそもお前だってネーミングセンスねえだろ。

 漢字の当て字よくしてたし。武千斬離ぶっちぎりスライダーとか変な技名つけてドッジやってただろ。なんでぶっちぎりなのに曲がるんだよ」


 黒也君が呆れた様子で言った。

 う。心当たりはまあ色々あるけど負けてはいられない。


「それに黒也君。夜にキャップにフード被ると、本当に不審者に思われて補導されるよ?」

「うーん。腕相撲は迷惑じゃない? テーブルや備品が壊れたら大変だし」

「確かにな。しゃーねえ、お行儀よく姿勢正して指相撲で決めるか」

「それなら、うん。俺は倍ビッグワックにしようかな」

「まだでかくなるつもりかよ……ってか、さっきの好きな人って」

「秘密」


 なんか恥ずかしいし、言うと面倒そうだし。


「おいおい! 郷明行って秘密主義になっちまったのか!? 芝狩小に生息する白兎の暴君の真白さんがよ!」


 まあ、こんな感じで煽ってきそうだし。

 ちょっとカチンときた。


「次言ったらポテナゲ特大サイズも追加するよ?」

「上等だ、コラ。こっちだって以前の俺じゃねえんだぜ……ねえ、クーポン利用はセーフ?」


 ウサギとカメの寓話。


 ウサギが勝利を確信してゴール前でカメを待って寝てしまい、その間にカメが追い抜きゴールする。


 ウサギは大喜びするカメの姿を見て悔しがる。

 それで、おしまい。

 ウサギはずっとゴールできないまま。


 でも、ゴールした黒也君カメが待っていてくれて、遅れてゴールしたウサギを煽りもするけど、一緒に帰ってご飯を食べる。


 そんな二次創作せかいがあってもいいはずだ。


「郷明ってどんな感じ? 金持ちたくさんいんだろ?」

「みんな普通だよ。でも学園は広いし、デカいビークルを操るAIさんがいたり、学園長も山みたいに大きかったり。

 あ、体育祭も凄かったよ。屋台とかあったし、特大スクリーンもあったし」

「マジかよ、郷明ヤベえな。うちは何から何までまともでふつーだぜ」


 進んだ道も、歩幅だって違う。

 それでもこうしてたまに道は一つに重なって、笑いながら歩いて行けるのだから。

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