第71話 君の隣を歩くだけで

 昨日一日は本当に色々あった。

 でも疲れは一切なく、寝覚めはスッキリしていた。


 まだ朝の6時前でリビングの照明は点いてない。

 と思いきや、スマホの明かりが灯っていた。

 照明のスイッチを入れる。


「おはよう、レオナさん」


 普段いるはずのない人がソファーに座っていた。


「あ。おはよう、真白君」


 穏やかな笑みに可愛らしい声が夢じゃないと教えてくれる。

 ……からの沈黙。


 深夜特有のテンションも一晩過ぎて落ち着いてしまった。

 照れはあるけど、また振り出しってわけでもない。


「照明の場所分からなかった? 暗かったよね」

「場所は分かったんだけどさー。なんか、その。勝手に点けていいのか悩んじゃって。男の子……家、泊まるの初めて、で」

「そ、そっか。俺も同じ立場ならそうなるかも。隣、座ってもいい?」

「真白君のお家なんだからどこ座ったって平気だよ。あ、膝枕は特別料金必要だぞ?」


 大変魅力的な提案だけど、ここで支払うのはリスクが高すぎる。

 レオナさんの隣に座る。


 自分の家にレオナさんがいるのがまだ信じられない。

 でも確かに隣に好きな人の存在を感じられる。


 昨日は母さんの思惑に踊らされて大変だったけど、今はよかったと思っている。


「あの、さ。真白君。昨日、見た、よね?」


 レオナさんがスマホの画面に視線を落としたまま聞いてきた。

 照明を点けたことでより表情が分かるようになった。


「……見た?」


 レオナさんの恥ずかしそうな様子に、浮かれていた気分も冷静になる。

 何を見てしまったんだろう、と振り返る。


 俺が寝ている間にお風呂は白雪しらゆきとすませたから、定番のドッキリイベントなんて発生しない。


 レオナさんの着ている服は母さんの派手目のスウェットのパンツスタイルだ。


 だから下着……なんて見えるはずもない。洗濯した衣服は男子禁制女子ゾーンにちゃんとゾーニングされている。


 不用意な接触もなかった、はず。

 もしかして昨日、車内で寝てしまった時に何かやらかした?


「私の、すっぴん」

「……なるほど」


 納得がいった。

 レオナさんは既に見慣れたメイクを済ませている。


 昨日は風呂に入った後で、あとは寝るだけだからすっぴんだったんだ。


 俺がぐっすり眠って顔を合わせないまま朝を迎える可能性もあった。


「見ました。俺は気にしないけど……いや、気になるよね」


 すぐ近く、隣にいるからこそ気になるんだ。

 隣にいる人に少しでもかっこよく、ちゃんとした自分を見せたい。


 俺だってそう思う。

 今さら気がついたけど、俺の方が髪も適当でジャージのだらしない格好だし。


「それな! あーもう! すっぴん見られたからお嫁にいけないー!」


 レオナさんが顔を手でおおってしまう。

 ここまでの反応は想定外だった。


「そ、そんなに?」

「そんなにー!」

「あ、えっと。でも、俺は、レオナさんのすっぴんも……か、可愛い、と思います」


 レオナさんがピクッと反応し、動きを止める。


「じゃあ、メイク後は?」

「え。メ、メイク後も可愛い、と思います」

「どっちがいい?」

「ど、どっち!?」


 この場合どっちがいいと言うべきなんだろうか。

 やっぱりちゃんと仕上げたメイク後?

 それともありのままのすっぴん?


 両方違う可愛さがある、という結論では許されないのだろうか?

 メイクなんてしたことないから正解が分からない……。


「うん。私もどっちがいいか分からないから。とりま真白君にメイクして考えていい?」

「なぜその発想に?」


 レオナさんがパッと手を離し、ベッと舌を出して笑った。


「驚かせてごめんねー。真白君のすっぴんを先に見たのは私だし。これでおあいこだね」

「そっか。でも、俺の方がだらしない格好だし。だらしなさは俺の方が一歩リードかも」

「そうくるかー。やっぱり一回真白君でメイクしてみていい? 今はメンズメイクなんてふつーだよ?」

「普通ならいいけど、遊ばない?」

「多分、おそらく、気分次第」


 絶対、必ず、つい気分がのって遊んじゃいましたって聞こえた気が。


「はっ! ……母の視線を感じる」

「また真白君エイトセンシズセンサー発動? どこどこ」


 リビングを見回し……入り口の床に寝そべって顔だけ覗かせている母さんがいた。

 昨日のレオナさんの顔出しの可愛さとは天と地の差だ。


「いいぞ、真白。どんどんラブコメの波動を感じられるようになってきたな。感覚が研ぎ澄まされてきた証拠だ。だが、母を越えるのはまだ先と思うがいい」

「もうホラーだよ」


 マンガ家ってのはこのくらいのバイタリティがないと務まらない仕事なんだろうか……。


「つーか、いつの間にちゃっかり名前呼びになったんですか、まずはおめでとう。では二人のれ初めを――」


 ドアを閉める。


「えっ。いいの、真白君?」

「うん。いいんだよ。いつものことだから。ビックリさせてごめんね」


 ドアを押さえて、レオナさんの方を向く。

 なんか後ろでガチャガチャうるさいけど気のせいだ。


「母は諦めねーからな! さあレオナちゃんとの名前呼びイベントの詳細を母に教えろ!」


 防壁を強引に突破し、実力行使に打って出た母さんを迎え撃つ。


「絶対に。教えないから」

「やるようになったな、真白! これが愛の力か!

 この武流姫璃威ヴァルキリー総長のあたしを押さえ込むとはなァッ!」


 なんで朝の楽しい一時に母さんと取っ組み合いをしなきゃいけないんだ。

 本当に恥ずかしいからやめてほしい。


「おぉー……! 私のパパへの別ベクトルの激辛塩対応だぁー! パチパチー!」



 ◆


「兎野家! 点呼! 1!」

「2ー」

「3」

「よーん!」

「臨時ファイブ!」


 朝の日課であるラジオ体操にレオナさんも加わり、いつもより賑やかに。


「レオナさん、家で父さんたちと待っていてよかったのに」


 日が昇り始めた中、一緒にランニングをし。


「舐めんなし! 私だってランニングマシーンでママに鞭で叩かれながら馬車馬のようにヒーヒー言わされながら走らされてるんだから!」

「さすがに冗談……だよね?」

「と、思うじゃん?」

「え? 本当に?」

「世の中知らない方がいいこともあるんだよ」

「まあ、そうだね」


 後ろを走る母さんを肩越しに見て、


「あたしのことは空気と思っていい。綺麗な酸素。O的なあれ。朝を彩る新鮮なエアー。恋バナが養分だ。結合するとLOVEになる。そこんとこよろしく」


 ということなので不用意な発言をしないように注意する。


 最後に筋トレで終了。

 もう慣れたので苦じゃない。


「がんばれっ、がんばれっ、真白くーん」


 なのだけど。

 腕立て伏せをする俺のすぐ横でレオナさんがしゃがみ、口元に手を添えて優しく、甘い声で応援してくれる。


「いーち、にぃー、さあーん。真白軍曹ー? もっと起き上がらないと意味ないぞー?」


 腹筋の補助で足首を押さえてくれて、近い……大きい、息が、可愛い……。


「しっかり抑えてるからねー。はい、ここまで届かないとカウントしませーん! 頑張ってー始めー」


 背筋の補助なら顔を見ずに……足に伝わる確かな重みと柔らかい感触は……考えるな、今は筋トレ中だ。


「スクワットの重りいる!? おんぶされようか!」

「普通おんぶする側が言わない?」


 だんだんと楽しくなってきたのか要求がエスカレートしてきた。

 おんぶは本当に大変なことになりそうなので、お断りさせていただいた。


 なんだろ、前よりスキンシップが増えたような……?

 嬉しいのに苦しい。


 複雑な男心がつらい。

 いつも以上に汗をかいたトレーニングになってしまった。


 ◆


 それからみんなでいつもの朝食を食べ終え、登校の準備をすませる。


「お世話になりました! わざわざお弁当まで作っていただきありがとうございました!」


 レオナさんが玄関で頭を下げた。


「いいってことよ。レオナちゃんならいつでも大歓迎だよ。真白がいなくても来ていいからね。恋バナ語ろうぜ」

「お母さんが作ったわけじゃないでしょ。それよりレオナお姉また遊びに来てね!」

「二人とも気をつけて行くんだよー」


 家族総出でお見送り。

 時間で言えば一日も経ってないのにすっかりなじんでしまった。


「はい! またお世話になります!」


 そしてちゃっかり次の予定も決まってしまった。


「真白ーちゃんとレオナちゃんをエスコートするんだぞー」

「うん。分かってる」


 玄関のドアノブに手をかける。


「いってきます」


 声を揃えて挨拶し、外に出る。


 今日は快晴。

 綺麗な青空が広がり、太陽が眩しい。


 ……郷明きょうめい学園の入学式へ向かう時は不安でいっぱいで。

 空なんて見上げる余裕はなかった。


 知り合いが誰もいないから進学して。

 一からやり直そうと思っていたのに、新たに知り合いを作るのが怖かった。


 当然のように失敗して、中学とほとんど変わらない毎日だった。


 道を歩き、電車に揺られ、人混みにいるのが辛かった。

 夏休み明けもただ自分の情けなさに後悔し、下ばかり見て落ち込んでいた。


 だから、こんな風に好きな人ができて、一緒に登校する日が来るとは思わなかった。


「ありがとう、レオナさん」

「なーに急に。なんかよく分からないけどー、どーいたしまして!」


 俺はこれからも言葉足らずな『ありがとう』と『ごめん』を言ってしまうんだろう。

 それでも君は笑って、時に泣いて、時に怒って。


「じゃあ私も! 真白君、ありがとう!」


 ちゃんと答えてくれる。

 俺は――君の隣を歩くだけで楽しいよ。


「電車通学とか久々すぎー。満員電車?」

「そんなに混んでないよ。まあ、混んでても俺の周りって空きやすいし」

「お。言うようになったじゃーん! 真白君の特等席は私が一番乗りだねっ!」


 願わくば、いつか、この想いを届けられますように。

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