第70話 自分たちのやり方で

 ご飯を食べ終え、歯を磨き、自分の部屋に戻る。

 リビングにいたら母さんが大事故イベントをぶつけてくるのは目に見えている。


 相手のテリトリーで戦うのは危険だ。

 仕方ないので一時的にセーフハウス――俺の部屋に退避する。


「ごめん、ちょっと散らかってるけど」


 獅子王さんが寝るまでのちょっとだけ。それくらいなら許容範囲のはずだ。ドアも開けておくし。やましいことはない。


「おー、ここが兎野君の部屋か。私の部屋より百倍綺麗じゃん。気にすることないよ。男の子、って感じだねー」


 獅子王さんが物珍しそうに部屋を見回す。

 完徹したのもあって多少散らかってはいるけど、部屋に見られて恥ずかしい物なんてない。


 本棚には辞書や参考書、母さんのお下がりのマンガやイラストのハウツー本くらいしかないし。


 マンガは電子書籍だし、机は勉強とイラスト関係の物くらいしか置いて――!?


「兎野君!? 急にどうしたの!? 犯人が分かった名探偵みたいなポーズして!」


 見られてはいけない物を見つけ、とっさに椅子に座る。

 大仰に足を組み、その上で手を組んで顎を乗せる。


 本当に恥ずかしいものをお見せしかけた。

 どうにか獅子王さんの視線を机からそらし、下の方に誘導しなければ。


「……俺が犯人です」


 また大げさに足を組み直す。


「いきなりの自白!? お、おう……? 実は二重人格でしたとか語り部が犯人のどんでん返し系? で、動機は?」


 困惑しながらも俺の下手な演技に乗ってくれる獅子王さん。


「著作権……いや、肖像権侵害? 本人の許可なく無断転載を……みたいな」


 逆に俺はアドリブ力がないのですぐ言葉に詰まる。

 この後の展開、どうしよう。


 当然だけど、探偵とか犯人キャラってよく弁が立つなあ……。


「それはいけないなー兎野容疑者。後ろに何かあるのかねー?」


 俺の努力も空しく、あっさり見抜かれてしまう。


「んー……あ、や、し、い。もしかしてー見せられないよ的なあれ? 黙秘権を行使するかね?」


 獅子王さんが口元に手を当て、いたずらっぽく笑う。


 見せられないよ的なあれならまだマシだったかもしれない。男子高校生なら持っていてもありえない話じゃないから。いや、本はないんだけども……。


「見せられないよ的な……あれ、です」

「え。マ、マジで? 私のことからかってる?」

「……マジ、です」

「そ、そっか。兎野君も男の子だもんね。そういうのに興味あって当然だもんね」


 さすがの獅子王さんも顔を赤らめ、後ろ髪をいじり、言葉に詰まる。


 そうだ。

 ここを死守すれば俺の尊厳が失われるだけで終わる。


 ドアを開けておいてよかった。

 獅子王さんも逃げ場があるから多少は安心できるはず。


 築き上げてきた関係性の修復は大変だろうけど、またやり直せばいい。

 前門の恋愛ハンター、後門の似顔絵。


 机に置いたボードに獅子王さんの似顔絵を貼り付けたままだった。

 イラストを描き上げて、そのまま部屋を出たから片づけ忘れていた。


 帰宅後もベッド直行だったので気がつくこともなく、この窮地きゅうちである。

 どちらにも行けないならここで踏みとどまるしか――。


「ジャ、ジャンルは?」

「ジャンル!?」


 まさか踏み込んでくるとは思わなかった。


 獅子王さんの顔は真っ赤で、後ろ髪を弄るスピードが上がり、縦ロールがどんどん渦巻いていく。


 とどまれば留まるほど、俺の見せられないよ的な趣味嗜好が白日の下に晒されるのでは?


 こ、答えられるわけがない。それを言ったら本当におしまいだ。本当に言えないよ的なあれだ。


「自首、します」

「直に拝見しろと!? って、ん?」


 俺は負けを認め、獅子王さんの似顔絵を差し出した。


「マジの、私?」

「はい」

「これが見せられないよ的な、あれ?」

「見せられないよ的なあれというか……体育祭の後にすぐ描きたくて描いてしまって。無断で描いたのは事実で。

 どうすればいいか分からず、見せていいのかも分からず、恥ずかしいな、引かれるんじゃないかという情けない心境を兎野真白は吐露とろした感じ、です。はい」


 なんか変な自白で、動機を述べてしまった。

 獅子王さんが大きく息を吐いた。


「ビックリしたー。全然恥ずかしくないじゃん。ちょー上手に描けてるし。写真とか見て描いたの?」

「獅子王さんのイメージは焼き付いていたから何も見ずに描きました」

「そ、そーなんだ。もう心配して損したー。兎野君、ビビりすぎ! 似顔絵描かれたくらいで引かないし怒らないって!」

「……そっか。そうだよね。ごめん、ちょっと考えすぎてたかも」


 母さんの介入を警戒しすぎたせいもあって、気が動転して過剰に反応していた――。


「兎野君?」


 口元に人差し指を当て、獅子王さんに静かにするように伝える。

 廊下に顔を出す。


 すぐ横の壁に張り付いて聞き耳を立てている母さんがいた。


「なに、してるの? 母さん?」

「やるようになったな、真白! ラブコメの香りを察知できるようになって母は嬉しいぞ!」


 捨てセリフを吐いて逃げ出していった。


「……なんか色々とお見苦しいところをお見せしました」

「気にしないでよ。家ならみんなあんな感じじゃん? 塩対応兎野君を見れて新鮮だったし。むしろ私の方がパパに激辛塩対応するよ? 絶対引かれるから見せられないよレベルだもん」


 獅子王さんは気にした様子もなく笑っている。

 前に話した時は、父親との関係がギクシャクして悩んでいたはずだ。


 軽口を言えるようになったってことは、心境の変化があったのかもしれない。

 それなら喜ばしいことなんだけど。


 でも! と獅子王さんが俺を指さす。


「肖像権に著作権違反は事実です! 今度描くことがあったら本人にアポを取りましょう! 分かりましたか!?」

「は、はい! 分かりました!」


 あれ? つまり今度は獅子王さんをモデルに描いていい、ってことなんだろうか?


「よろしい! 兎野君の私に負けるのなんかムカツクし悔しいからね! あっ! その似顔絵は大事にとっておいていいからね! 比較用に!」


 本当にそういうことらしい。


「ありがとう、獅子王さん。その時はちゃんとお願いするよ」

「こら! 容疑者が感謝してどうする! 反省はしてないのか、反省は!」

「は、はい! 反省してます!」


 慌てて床に正座し、姿勢を正して態度で示す。


「よろしい! と、ところでガチの見せられないよ的な物はあるのかね!?」

「え!? も、黙秘します!」

「むう……仕方がない! じゃあ、似顔絵を無断で描いた罰として一つ私の言うことをなんでも聞くこと! オケ!?」

「オ、オケ、です!」

「その、私のことさ。その、えっと。名前で、その、呼んでみてくんない?」

「は、はい! え?」


 獅子王さんが急にトーンダウンし、また顔を真っ赤にして、後ろ髪をもてあそび始めてしまった。


 急転直下のお願いだった。

 名前呼びとは、名前呼びである。

 獅子王、さんではなく――名前の方で。


 さっきは色々言い訳したけど、本人の許可が出てしまった。

 逃げ場はどこにもない。


 なぜなら俺は、はい、と頷いてしまったから。

 何のうれいもなく堂々と言っていいのだ。

 とてつもなく重みのある言葉を。


「レオナ、さん」


 絞り出した声は小さかった。


「ん。ゆ、許す」


 頭を撫でられたことで、確かに届いたのだと教えられる。


 お許しを頂いたけど、喧嘩両成敗のような雰囲気で沈黙がおりる。

 気恥ずかしさで、顔が熱い。


「兎野君。黙られると、困るんだけど」

「ごめん、えっと……獅子王レオナさん」

「なんでフルネーム!?」

「どっちで呼べばいいか分からなくなっちゃって」


 我ながら情けない。

 名前を呼ぶのさえ、この体たらくだ。


 ガッカリさせちゃったかな……と思いきや、獅子王さんは楽しそうに笑った。


「もーうマジメか! 私はどっちでもいーし。兎野君が呼びたい方でいいよ。あ。もうこんな時間だし。兎野君もお風呂入るでしょ。じゃ、私は先に寝るね」

「あ。おやすみ――」


 俺が挨拶するまでに、獅子王さんがあっという間に部屋から出ていってしまう。

 と思いきや、顔だけ覗かせ、


「おやすみ。真白、君」


 そう言い残して行ってしまった。

 俺が返事をする前に……獅子王さんは行ってしまった。


 今、名前で呼ばれた? 寝間着を用意してお風呂に入る準備を……? 今、名前で呼ばれた?


 確かに真白、君と呼ばれたような?

 とりあえずシャワーを浴びて、冷静になろう。

 なれなかった。


 ベッドに入って寝て、また明日スッキリした頭で考えよう。

 ね、眠れない……。


 真白君と呼んでくれた獅子王さんの声が無限ループしている。

 あれだけ眠かったはずなのにすっかり目がえてしまった。


 送ってもらった時のおやすみは一発で眠れたのに、今回は逆だった。

 考えすぎて喉が渇いてきた。

 水でも飲んで落ち着こう……。


「あ」


 リビングで獅子王さんと鉢合わせ、固まる。

 まさか遭遇すると思わず、次の声が出ない。

 お互いに見つめたまま動けない。


「……二人とも眠れない?」


 リビングでドラマを見ていた父さんが俺たちに声をかけてくれた。


「うん……」

「はい……」

「そっか。じゃあ、ホットミルクでも飲んで気分を落ち着けたらどうかな?」


 父さんがホットミルクを作ってくれるのをその場で動かず黙って見守る。


「少しくらいなら夜更かして遊んでもいいんじゃないかな? リビングなら僕もいるからさ」


 そして、父さんの珍しく悪い提案を俺たちは頷いて承諾した。


 ◆


「なんで私が一位の時ばっか青くんの!? チートじゃね!? 真白君運営チーミングしてグルってんでしょー! ずるい!」

「たまたまだってレオナさん。それにクラクションなり、キノコがあればタイミング次第で青も怖くないよ。ほら」

「私の青をキノコで避けるなー! それができれば苦労はしないんだよ! ってかなにそれ初見なんですけど!

 私は真白君みたいな超絶技巧の神テクドライバーじゃないし! 吹けば吹っ飛ぶペーペーのペーパードライバーなの!」

「俺だってミスる時はミスるし。レオナさんは前のめりだから。もうちょっと周囲の状況を見た方が……あ」

「はあ!? ほら飛んだぁっ! なんで下位で争うの!? バカじゃないの!? なんの生産性もないじゃん! 上位潰そうよ! また真白君一位じゃん! くーやしーいー!」


 30分ほどメリカーやったら自然と慣れて、落ちついた。

 レオナさんはコントローラーを持つと身体が動くタイプだ。


 さらに家族に気を遣って小声で大声&暴言を発している。

 母さんは原稿を仕上げないといけないのでもう寝ている。


 理性をすっ飛ばして思考を直接口から出しているのを、やっぱり理性で頑張って抑えている感じの声量なのだ。


 ……自分でも何を言ってるか分からないけど、本当にそんな感じだ。ある意味凄い特技なんじゃ?


 俺は逆に淡々として、余計に口数が少なくなるタイプだ。

 マシンガントークしながらゲームできる人を尊敬する。


 ずっと喋りながらゲームとか絶対にできないし。

 リアルで一緒にゲームをするから分かる発見だ。


 何度も名前を呼び合い、足を引っ張り合い、みにくく楽しい争い繰り広げる。


「真白君の人でなし! 鬼! 悪魔! 緑!」

「レオナさん。俺、今回はなにもしてないよ?」

「仲良しだねー」


 父さんは優雅にミルクティーを飲みながら優しく見守ってくれていた。

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