第69話 母と息子の戦争

 目が覚めると、自分の部屋だった。

 今何時……21時か。

 中途半端な時間に起きてしまった。


 えっと、確か、獅子王さんに安眠グッズフルアーマー化されて……。

 ベッドから起き上がると、制服のままだった。


 私服に着替えながら寝ぼけた頭で状況を整理する。

 ぐっすり眠ってたところを家に着いてから起こされた……気がする。


 夢うつつに母さんと父さんの肩を借りて、自分の部屋に運び込まれてベッドイン。

 そして、今に至ると……着替え終わったし、洗面所に行こう。


 顔を洗うと意識もちょっとはマシになってきた。

 今日は俺が獅子王さんにお礼を伝える日だったのに、結局お世話になってしまった。


 明日、改めてお礼を言わないとな。

 こんな時でもお腹はぐぅーと情けない音を出す。


 軽く食べるくらいにしておこう。

 またすぐ寝たいし……寝足りない。

 リビングに入る。


 ソファーでくつろいでいる母さんと白雪しらゆきと獅子王さんがいて、キッチンでは父さんが食器の片付けをしている。


「ごめん、父さん。夕飯食べ損ねて」

「気にしないでいいよ。今から食べる? 今日はみぞれ鍋だよ」

「うん。でも、すぐに寝ようと思うから軽めにしておく」

「じゃあ、煮込みうどん風にしておこうか」

ゆうさんの料理めっちゃ美味しかったよー! しかも雪山みたいなみぞれがチョモランマで山盛りでめっちゃ映え!」

「父さんの料理はなんでも美味しいよね」


 冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、コップに注ぐ。


真白ましろお兄のねぼすけー」

「返す言葉もありません」

「真白ー体調管理はマンガ家の必須スキルだぞ」

「いや、マンガを描いたわけじゃないし」

「そうそう! 綺羅々きららさんの仕事部屋も拝見させてもらっちゃったし! めっちゃプロって感じの神部屋だった!」

「そうだね。母さんもプロだから。そこだけはちゃんとしてるから」


 ミネラルウォーターを飲み。


「それより獅子王さん。今日は送ってくれてありがとう」

「全然! むしろこっちがありがとうだし! ご飯にお風呂までいただいちゃったし!」

「レオナお姉また入ろーね」

「うん! 白雪ちゃんの肌マジ白雪姫だったしー!」

「レオナお姉もフワフワでモチモチのスベスベだったよー」


 獅子王さんが白雪と仲よさそうにじゃれあって……そうか……獅子王さんはフワフワモチモチスベスベなのか……あれ?


「なんで獅子王さんがいるの!?」


 自分でもビックリするくらい大きな声が出た。


 あまりの溶け込み具合に、気がつくのに時間がかかってしまった。

 今、夜だよね? どうして? 一体何が? これも夢?


「真白ーお前なあ……。送ってくれた子に向かってその言い草はないだろ」

「そーだよ! 真白お兄失礼だよ!」


 我が家の女性陣からお叱りを受ける。


「ご、ごめん。でも、なんで……獅子王さんが?」

「寝落ちした真白を送ってくれた優しく可愛く健気な子をただ帰すなんて失礼だろ。晩飯を振る舞うのが礼儀ってもんだろ」

「それは分かるけど、もう夜遅いし」

「心配いらないぞ。レオナちゃん泊まるから。ママ友のリオーネさんには連絡済み。許可もらってるぞ」

「え!? と、とま!?」


 どうしてそう言う話に!?

 体育祭の数時間でママ友になって、外堀を埋めにくる母の手際の良さが恐ろしい。


「兎野君、ごめんね。お誘い断るのも失礼かなって思っちゃって。迷惑、だったよね」 

「あ、いや! 迷惑じゃないよ! 獅子王さんが迷惑じゃなくて」


 問題は母さんにあって。


「ごめんね、レオナちゃん。真白は照れてるだけだから大目に見てやってよ。なにせ初めて女の子を家に泊まらせるんだから。でも、心配はいらないよ。

 アシ用の仮眠室もあるから寝場所は別々だし。大人のあたしたちがしっかり見守ってるからね。夜はまだまだこれから。楽しもうじゃないか」


 まともな顔をしてまともなことを言っているが、嘘だ。


 俺には母さんの顔が凶悪な企みをしているように見える。

 つくづく俺は母さん似だなって実感するほどに。


 あれは恋愛ネタに飢えた恋愛ハンターの顔だ。

 体育祭での獅子王さんとの色々を目撃しているので、隙あらば根掘り葉掘り聞かれてきた。


 その度に塩対応であしらってきたから、こんな絶好の機会を逃すはずがない。


 少女マンガ雑誌で連載している時代は、恋愛ハンター☆ルナティック☆キララ先生の恋愛狩猟講座なんて物騒なコーナーをもっていた。


 でも内容は読者の真摯しんしでピュアな恋の質問に寄り添い、優しい回答からかなりの好評だったらしい。


 それが今じゃ見る影もない。

 隙を見せたら――狩られる。

 これは母と息子の戦争なのだ。


「真白ーできあがったよ。冷めないうちに食べちゃいなさい」

「あ、うん。食べる」


 ◆


 ダイニングテーブルで遅くなった晩ご飯を食べる。


 父さんの料理はなんだって美味しくて、ついたくさん食べてしまう。

 おかげですくすく大きく成長したわけだけど。


「レオナお姉! 体育祭の応援団のパフォーマンス面白かったよ! 競技も本格的で凄かった!」

「さすが白雪ちゃん。見る目、あるねっ。将来有望だよ」

「ネタの宝庫だったなー。さすが郷明きょうめいはかどったぜー」

「それでね! わたしも郷明の中等部受験することに決めたんだ!」

「マジで!? 頑張れ! 勉強で分からないところがあったら私も手伝うからね! あーでも。お兄ちゃんの兎野君がいれば平気かー」

「白雪は我が家一の秀才だからな。箱入り娘で世間知らずだが、頭だけはいい」

「そうなんですね。綺羅々さんに優さんもいるし。私の出番はなさそうですねー」


 隣のソファーで行われている女子会が気になってしょうがない。


 今のところは無難な会話が続いてる。だが、安心はできない。いつ爆弾が投下されるか分からない。


 早く食べ終えたいけど、よりによって煮込みうどんをリクエストしてしまった。熱くて時間がかかる。


 でも、美味しい、本当に。

 このまま食べ終えるまで無難な会話が続いてくれればいい――。


「んー……? ねえねえ、レオナお姉。質問いい?」

「もちろん! 受験のお悩みから日常生活まで。白雪ちゃんの質問ならなんでも答えちゃうよー?」

「兎野君、って真白お兄のことだよね? なんで真白お兄だけ兎野君なの? お父さんもお母さんも名前呼びなのに。なんで?」

「へ?」


 白雪さん!?

 まさかの伏兵が……!


「いいぞ白雪! さすがあたしの娘だ! 大人が聞けないことを平気で聞ける小学生の無邪気さ! 中学生になって反抗期になっても忘れずに大切にしてくれ!」

「え!? そ、それはな、なんとなく? なりゆきでー……というか、タイミングが掴めずー……みたいな……感じ?」


 さっきまで元気はつらつとしていた獅子王さんの態度が急変する。

 なんでも答える雰囲気ではなくなってしまった。


「外ならいいけど、兎野家だとみんなが反応しちゃいそうだよなー。誰のことかわかりづらいよなー。なー白雪?」


 母さんがここぞとばかりに白雪をあおっていく。


「たしかにそうかも。ねえねえ、真白お兄はどっちがいいと思うー?」


 白雪さん!?

 俺の方に飛び火してきた。

 いや、むしろ好都合なのかもしれない。


「ど、どっちでも……いいんじゃ、ないでしょうか? 獅子王さんが呼びやすい方で、俺はいいと思うよ」


 一番選んじゃいけない選択肢――中途半端丸投げを選んでしまった。


 獅子王さんが俺の名前を呼んでくれるのは、嬉しい。

 だけど、俺も獅子王さんを名前呼びしないと対等じゃない。


〈GoF〉みたいにレオ呼びに、『ナ』を加えるだけ。

 なのに、その『ナ』がめちゃくちゃ重い。


 ハクスラ系ゲームを難易度ナイトメア初期装備縛りのノーデスクリアの方がまだ軽い気がする。

 いや、ゲームと比べることすらおこがましい。


 というか、家族のみんなの適応が早すぎる。なんでもう獅子王さんを名前呼びできてるんだ。俺の家族のコミュ力が高すぎる。


「真白お兄ー? わたしはどっちがいいって聞いてるんだよー?」


 あ。引っかけ選択肢で最初に選んだのが消えてループし、二択を選ばないと駄目系だ。


 さすが白雪。俺のはぐらかしに即気がつく聡明そうめいさ。受験の引っかけ問題も安心だ、って現実逃避してる場合じゃない。


「レオナちゃんが真白だけを兎野君って呼ぶ分にはいいんじゃないかな?」


 お盆に漬物の小皿を載せてやって来た父さんが言った。

 援軍だ。頼もしすぎる援軍の到着だ。


「父さん! うん! 兎野家の兎野君は俺ってことでいいよね!」

「いつから真白が兎野家代表になったんだ。母は認めんぞ」


 この母……手強い!

 マンガのことなら絶対に折れてやらねーぜって意思を感じる。


 ま、負けてたまるか……いや、負けても嬉しいのだけど。


 母さんの意思で決まるのはなんか嫌だ。

 白雪だけの意見なら俺も乗ったと思う。

 これが反抗期ってやつなんだろうか。


「僕は二人の意思を尊重した方がいいと思うな」

「ゆ、優ー……。兎野家長男の将来を左右する重大イベかもしれないんだぞー……」

「なら、なおさらじゃないかな? 二人の歩幅に合わせてさ。僕たちもそうだったでしょ?」

「ゆ、優ー……」


 父さんの邪気なき微笑みによって、母さんの戦意がみるみる浄化されていく。

 兎野家の兎野はやっぱり父さんだ。


 俺たちに寄り添って優しく見守って……あれ?


 もしかして少女マンガ時代に、読者の質問に答えてきた恋愛ハンターは父さんだった?


「えーっと。ごめんなさい。今はまだ、兎野君でいこうと思います。ごめんねー白雪ちゃん」

「え? レオナお姉が謝ることはないよ? わたしは気になっただけもん。真白お兄をどっちで呼ぼうが気にしないよ?」

「んー! 白雪ちゃん、マジ天使!」

「きゃ! レオナお姉くすぐったいー!」


 よかった。

 どうにか名前呼びイベントを越えられた。


 果たして本当に……喜んでいいのか分からないけど。

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