第66話 どんな顔でも
「あ。兎野君、起きてる。もう大丈夫なの?」
いつもの元気で明るい声は鳴りをひそめ、獅子王さんの声は小さくか細い。
「うん。軽い貧血だって。もう大丈夫だよ」
だから、俺は努めていつもの感じで返事をした。
「そ、そっか。良かった」
獅子王さんはようやく柔らかい笑みを見せてくれた。
それでもいつもの雰囲気には戻っていない。
なにか考えているようで
「兎野君の荷物持ってきたんですけど……その。日辻先生。その少し……兎野君。借りてもいいですか?」
「ええ。いいわよ。本日二回目の借り物ねえ。ただくれぐれも安静第一。騒ぎすぎないようにねえ」
「ありがとうございます。兎野君、行こ」
差し伸べられた手を見て、固まってしまった。
でも、いつかの日。
〈GoF〉でお互いの気持ちを打ち明けた日。
俺の遊びの誘いに応えてくれた人の手を取らないわけがない。
「うん。行くよ」
手を取り、立ち上がる。
あの時よりも確かな暖かさがあった。
「荷物持ってきてくれてありがとう。持つよ」
「うん。あ。ちょっと持ちすぎちゃって、ぬくってたらごめんね」
「え? わざわざ持ってきてくれたんだからそんな風に思わないよ」
「だ、だよね。はい、どーぞ」
獅子王さんからカバンを受け取る。確かに暖かいけど気にならない。
中からメガネケースを取り出す。
今まで、本当にありがとう。
だてメガネをメガネケースにしまい、軽く体操服を整え、ジャージを着る。
「日辻先生、ありがとうございました」
「はい。お母さんには私の方から伝えておくからごゆっくりー」
二人揃って頭を下げ、保健室を出る。
「……青春ねえ」
出た後にそんな言葉が聞こえた気がした。
廊下を歩く。
「もうだてメガネいらない感じ?」
「どうだろ。少なくとも今は大丈夫だよ」
「そっか。学校で私だけが知ってる兎野君のオフショがみんなにバレちゃうなー……って、もうバレバレか」
「特大スクリーンに映っちゃったからね。保護者の人とかにも見られちゃったし」
「だねー。嬉しいけど、ちょっと残念、かも」
「……そうだね」
それっきり会話が途切れる。
話したいことがたくさんあるはずなのに言葉が出てこない。
廊下を歩く音しかしない。
あっという間に、1年A組の教室に辿り着いてしまう。
ドアの向こうではみんなの声がする。
反対に廊下は静かで、別世界みたいだ。
俺たち二人しかいないような世界。
だからこそ、ここで何も言わずに帰るわけにはいかない。
獅子王さんを一人にしたくない。
ドアに手をかける。
分かってる。
あの時みたいなことは起こらないって。
でも緊張し、身体が強ばる。
俺の手で開けないと。
そして今度は謝らないと。
「兎野君――」
「獅子王さん」
ふわっと甘い香りがして――百円ショップとかで売っているパーティーグッズの『本日の主役』と書かれたタスキがかけられた。
状況を飲み込めない俺の手に、獅子王さんの手が重ねられる。
「今日の体育祭で一番かっこよかったよ。私の最推し。兎野君しか勝たん」
いつもの獅子王さんの元気で明るい笑顔に勇気づけられる。
大丈夫――触れた手からそう伝えられてる気がした。
「ありがとう、入ろうか」
「うん。一緒にね」
自分から手を動かし、一緒にドアを開ける。
「みんな注目ー本日の主役のご帰還だよー」
獅子王さんの声に、みんながこちらを向く。
怯えるような、不安そうな、恐れるような目は一つもなく。
「おお! 兎野、大丈夫か! 心配したんだぞ!」
「色々あったけど、兎野が無事ならそれでいい」
「おう!
「ウサノスケ、グミ食べる? 今なら出血大サービスグミ100個セット進呈」
「急にぶっ倒れるんだもん。ビックリしたよ。みんな心配したんだからね」
みんなが入り口に集まってきてくれる。
分かってた。
本当は分かってた。
あの時だって。
本当はみんな心配してくれていた。
「シーット! みなさんご静粛に! 本日の主役であらせられる兎野君は安静必須なんだからね!」
獅子王さんが俺の前に出て、両手を広げてみんなを制止させる。
「レオナが一番うるさいんだけど」
「桜はいつも一言多い! おかん!」
「いや今、おかん、関係なくね?」
俺が本音を聞くことを怖がって、決めつけただけだ。
だから、今度こそちゃんと言おう。
獅子王さんの横に立ち、みんなをちゃんと見て。
「みんな、心配かけて、ありがとう」
謝って……あれ?
「心配かけて……」
「……ありがとう?」
繋がりのない言葉にみんなどころか俺も首を傾げてしまった。
しまった。
色んな感情でグチャグチャになって変な言葉に。
「兎野君って天然なの? ギャップありすぎ!」
「兎野はなあー、気合いれる声だってギャップあるぞ。教えてあげないけどな」
「ああ。俺たちTBSGだけの秘密だ」
「黙秘は許す。だけど、それだけは認めない」
笑い声に包まれる。
みんなにどんな顔をして会えばいいのか分からないって思ったけど。
きっと、どんな顔をしてもいいんだと思う。
「君たち騒がしいぞー、他のクラスの迷惑だー、席に座れー」
俺も自分の席に座る。
「兎野、もう平気なのか?」
「はい。軽い貧血でした。安静にしてるなら大丈夫と、日辻先生から許可をもらいました」
「……そうか。その浮かれ具合なら平気だな」
あ、『本日の主役』タスキをかけたままだった。
「すみません。すぐに外します」
「兎野が嫌じゃないならつけてていいさ。今日のMVPは兎野だからな」
「は、はい」
「うん、よろしい。では、帰りのSHRを始める。まず最初に」
蜂牟呂先生が教卓に両手を乗せ、嬉しそうにみんなを見回す。
「みんなよく頑張った。1学年優勝。さらに白組優勝のW優勝だ。おめでとう!」
そういえば倒れた後の結果は知らないので、色別対抗の結果は知らなかった。
でもそっか。優勝できたんだ。よかった。
あの後も先輩たちが頑張ってくれたんだ。
「そして、ありがとう。おかげで姉の威厳が保たれた。これで生徒会顧問として妹にネチネチいびられずにすむ」
「ハッチー大人げない顔してるー」
「いいんだよ。大人げないは大人の特権だ」
蜂牟呂先生が本当に珍しく大人げない顔で笑っている。
そんなに生徒会長の妹さんに負けたくなったのかな。
ほとんど面識はないけど、仕事ができる人に見えた。
「最後の最後で2、3年の黄組がリレーで12フィニッシュでおいあげてくるのが怖かったわー。さすが生徒会長率いる黄組」
「まさか赤組が最下位になるとはね。体育祭こえー」
「フル美の魂抜けてたな……今回ばかりは同情する」
「そりゃ、兎野君と天馬君の激走見たらしょーがないでしょー。先輩たちの凄みはんぱなかったしー」
「うんうん! 兎野君と天馬君のヤバかったよねー。ビデオ判定も盛り上がったし!」
「だよねー。でも、白組優勝したのってうちらの貢献度大きいでしょ! マジでリレーと騎馬戦がでかかった!」
みんなの感想を聞いて倒れた後の思い出を補完する。
学年は2位だったのがまだよかった……と言えるかは分からないけど。
しかし、これで花竜皇さんはフル美呼び確定になってしまうのか。
うーん。でも、獅子王さんとの関係は今までどおりで変わらない予感がある。
「こ、これが前方彼氏面……にして後方、か、かの、かの……ょってやつかにゃあ……」
「レオにゃん。顔赤いよ。日焼け?」
「日焼け止め完璧でしょ、レオナ。ほっときなよ」
みんながまた盛り上がる中、蜂牟呂先生が手を叩いて静める。
「さて。明日は振替休日になるが、打ち上げをするにしても節度ある行動を心がけるように。
君たちはまだ未成年の学生であることを忘れてはいけない。くれぐれも。くれぐれも、だ。他人に迷惑かけないようにな」
念には念を押すように言う。
終わった後に問題を起こすようでは、本当に後の祭りだ。
俺も注意しないと。
「……分かってるな。応援団。特に、応、援、団、長。分かってるな? 私が教頭先生から受けた指導を一言一句そっくりそのまま言われたくなかったら……分かってるな?」
「う、うす」
さっきまではしゃいでいた獅子王さんが、また借りてきた猫みたいになってしまった。
俺にとっては最大最高の応援にご褒美だったけど、学園関係者から見たらやりすぎと捉えられてもしょうがない。
俺がフォローできる部分はしないとな。
蜂牟呂先生だって厳しいことを言っているけど、既に教頭先生かお小言を受けて獅子王さんたちを守ってくれている。
「よろしい。では、堅苦しいのはほどほどに。みんなにジュースくらいは奢ってやろう」
「えー! ハッチー! ジュースってマジで言ってる!? 私たちW優勝だよ!? めちゃガチで頑張ったんだよ!? もうちょっと奮発してもよくないでしょーか!? お肉とか!」
……獅子王さんがすぐに復活して、手をあげて不満を言ってしまった。
「獅子王。私の話を聞いてなかったみたいだな? もう一回復唱してあげようか? どうだ?」
あ。蜂牟呂先生が笑顔で怒ってる。
「バ、バッチリ聞いてまーす……着信拒否ーみたいな」
獅子王さんの声がトーンダウンし、机の下に隠れるように引き下がった。
ちょっとやそっとじゃへこたれない。
自分の感情に素直で、真っ直ぐで、いつだって周りを明るく、元気にしてくれる。
たまに暴走して墓穴もほりすぎちゃうけど。
そう言う部分も含めて俺は。
――兎野君!
俺は好きな人の笑顔を描きたい。
今、心を支配している思いはそれだった。
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