第56話 大好物

「獅子王さん、どうかした?」


 時間的にまだ昼ご飯が食べ終わらないはずだけど。


「そ、それはー……えっーっと! そだ! 兎野君が闇の組織の刺客に襲われて絶体絶命の瞬間、異世界転移しちゃったんじゃないかと心配になったから!」

「さすがに俺は転移して召喚されるタイプじゃないと思うけど」

「いやいや! 兎野君、自分で思ってるよりもヤバいからね! 異世界行ったら最後だし! お見せできないよのオンパレードで謎の光に黒ノリ入りまくりだし! ヤバいって!」

「俺、どんな異世界に飛ばされるの……?」


 獅子王さんらしいと言えば、らしいのかもしれないけど。

 いつもと、違う。


 いつにも増して慌てふためいてる気がする。なぜか手を後ろに組んだままだし。いつもなら元気よく身振り手振りを混ぜて話してくれる。


「獅子王さん、なにかあった?」


 え? のポーズで獅子王さんが固まってしまった。

 もしかして聞いちゃいけないこと聞いてしまったのかな。


「あー……その、デスね。うー! ええい! 散るが乙女! はい、これ!」


 獅子王さんが後ろに回していた手を前に差し出した。


 可愛らしい猫の肉球柄の布ナプキンに包まれた……小さな弁当箱?


「獅子王さん、これって?」

「……えっと。兎野君、頑張ってるし。私もなにかチャレンジしてみよっかなーって。だったら、兎野君が喜んでくれることにしたいなーって。とりま苦手な料理をママに教わってみっかーってノリで。

 でも、兎野君のパパに比べたら敵わないし、美味しくなくて敗北必至だし。でもでもやっぱり、味見くらいはして欲しいなー……って思ってたら、ここに転移しちゃったみたいなー……?」


 いつもの獅子王さんとは違う消え入りそうな声。


 ……ああ。だからこの前、食べ物の好き嫌いを聞いてくれたのかな。


「ありがとう、獅子王さん」


 小さな弁当箱を受け取る。


「食べていい?」

「え!? 今!? 教室帰ってからでよくない!?」

「ちょっとだけ。もうお腹ペコペコで」


 嬉しいと思った瞬間、腹がぐーっと鳴るくらいだ。


「うっ……ううぅむ。正直で食いしん坊な身体に免じて許します。でも、マジでちょっとだけだからね?」

「うん。帰りが遅すぎるとみんな心配するだろうし」


 そう言って二人で人気のない木陰に腰を下ろす。


 丁寧に布ナプキンを解いて、弁当箱のフタを開ける。


 中身はハンバーグが二つに、色鮮やかなテリーヌが三つだった。


「さすがにたくさんはっていうか。食べられるレベルになったのがそれだけでさ。味わわずに飲み込んでいいし、不味まずかったらペッて吐き出していいからね?」


 獅子王さんが必死に予防線を張る。

 きっとそれはたくさん練習してきたからこその不安なんだと思う。


 俺だって一生懸命やったことがうまくいかなくて失敗したら嫌だし、怖い。


 それでも前に踏み出してくれた思いを感じながら、手を合わせる。


「いただきます」


 ハンバーグからよく噛んで、味わう。

 続いてテリーヌも一つ頬張る。


 獅子王さんは固唾かたずをのんで俺の感想を待っていた。


「美味しい」

「マジで? 我慢しないくていいんだよ? お世辞とかいいし。では、はい。兎野君、本音をドゾ」

「……えっと。じゃあ。ハンバーグはちょっと苦いし、テリーヌはちょっと酸っぱいかも」

「ぐっ。アハハ……だよねー。味見した私がそう感じたんだもん。そう簡単に上達しないよねー」

「でも、頑張って練習してくれたんだなって味で、凄い美味しいよ」


 食べる相手のことを思って作ってくれたことが分かる。

 ハンバーグは冷めても美味しいようにくどくない味付けで。


 テリーヌも全部の層が違う具材であきがこないように。

 お母さんと試行錯誤しながら練習してきたことが伝わってくる。


「そ、そっか」


 獅子王さんがようやく緊張の糸を解いて、背伸びをし。


「……ママ。変なこと言わなかった?」


 膝を抱え、顔をこちらに向けて聞いてきた。


「一つも。優しいお母さんだね」

「うん。優しすぎるから。だから、パパもママの優しさに甘えちゃってる」


 触れるのが怖くて聞けなかったことだ。

 今日も獅子王さんのお父さんは来ていない。


「あ。ごめんね。兎野君が気にすることじゃないよ。パパがイベントに来ないのなんてもう慣れっこだし。そもそも私だってもう高校生だし? いつまでもパパにべったりなんて恥ずかしいじゃん?」

「そうだね。俺も母さんがはっちゃけすぎると恥ずかしいし。獅子王さんのお父さんは……今日も仕事?」

「うん。パパは今頃ーあっち? いや、こっちらへん? とりま、お空飛んでる最中かなー」


 獅子王さんが空のあちこちの方角を指さした。

 本当に多忙なんだと思う。


 でも、獅子王さんやリオーネさんを見てると、決して家族をないがしろにしてるような人ではないと……いや、会ったこともない俺が偉そうに言えることじゃない。


 じゃあ、今の俺にできることなんて多くない。


「獅子王さん。お弁当、ありがとう。嬉しかった」


 素直な気持ちを伝えるくらいしかできない。


「どーいたしまして。次はガチで美味しいの作ってみせるから楽しみにしててね」

「楽しみにしてる。一緒に、教室に帰ろうか」


 ……ああ見えて寂しがり屋って、リオーネさんも言っていった。


 それは獅子王さんと一緒にいてもう知っている。

 変に思われようがこの際どうだっていい。


「うん。兎野君がハラペコで保健室に搬送される前にね」


 一緒に立ち上がって、歩き出す。


「あ。話は変わるけどさ。兎野君の家族も賑やかだよね。特に生白雪ちゃんガチのマジできゃわわだし! デス美にもあれくらいの愛嬌あいきょうがあればいいのにー」

「獅子王さんのお母さんも気合が凄かったよね。驚いた」

「ママは歴戦の勇者だからね。あー……でも、ちょっとネタが被ったのはママのことあなどったかなーって」

「そうなの?」

「こっちの話ね! でも、兎野君のママもめっちゃイケイケじゃん! さすがルナティック☆キララ先生!」

「……そう、かな? まさか勝負服のウルフジャケット着てくるとは思わなかったけど。そういえば獅子王さんの家ってメイドさんもいるんだね」

「三毛さん? 話してなかったっけ。必殺仕事人のアサシンみたいでしょ? たまに音もなく背後にいてマジでビビる。兎野君のパパは癒やし系な感じだし――」


 触れにくくもあった家族の話をしながら教室に向かう。

 考えてみるとお互いの母親の服装はかなり目立つ気が。


 なのに、浮いていないのは郷明学園の懐の深さがなせる業なのかな。

 そうして一緒に教室に帰り、


「お、兎野。お帰りー」

「レオナ、人生最大級らしいお腹痛いの治った?」


 それぞれ別の席につく。


 みんな俺たちのことを見ていたけど、教室の雰囲気は何も変わっていない。同じままで和気あいあいとしている。


「ごめん、遅くなって」

「急がなくていいって言っただろ? まだまだ時間に余裕あるし」


 安昼あひる君たちはそこそこ食べ進めていたけど、時計を見ると確かに平気だ。

 弁当箱を並べて、広げ、悩む。


 ……新たに獅子王さんのお弁当をいつ食べるか問題が発生してしまった。

 最初? それとも中間? やっぱり最後?


「なあ、兎野。なんでその弁当箱だけ別なの? つーか、見たことない料理だな。一口だけもらってもいい?」


 根津星ねづぼし君が光り輝くテリーヌを目敏く発見してしまった。


「根津星、お前な――」


 察して安昼君がいさめてくれようとするけど。


「ごめん、その。俺の大好物だから。こればっかりはあげられない。ごめん」


 断って嫌われてしまうかも。


 普段なら弱気になって要求を受け入れてしまいそうになるけど、これだけは自分の口で言いたかった。


「そんな謝らなくていいぜ。大好物ならしゃーねし。俺もヒマワリクッキーだけは譲らねーしな。悪かったな」

「ごめんね。これだけは駄目だけど、こっちの方ならいいよ」


 代わりに父さんが詰め替えてくれたおかずを中央に置く。


「そう? 悪いな、ねだっちまって。俺のもなんかやるしってことで、からあげを一つ。うまっ! 兎野の母ちゃん、料理うめえな!」

「母さんじゃなくて、父さんが作ったんだ。みんなもよかったらどうぞ」

「それじゃあ、お言葉に甘えていただきます。うわっ! 本当にうまいな! 兎野のお父さんって料理人? プロレベルだろ、これ!」


 安昼君が目を輝かせ、興奮気味に言う。


「元ね。実家が定食屋だからさ」

「美味しい……牧歌的な味がする」

「うん。そう……え? 瑠璃羽るりば君、牧歌的ってどんな味?」

「僕は今牧場にいる」


 父さんの料理は大好評だった。

 弁当のおかずを交換しあうなんて何年ぶりだろう。


 みんなからも力をもらって午後の部も頑張らないと。


「そりゃ、兎野の大好物なら譲れねーよな。これ以上にうまいんだろ」

「ああ。想像しただけでよだれがとまらない」

「やっぱり宇宙が見えるレベルだ」

「そうだね、俺の大好物だから」


 父さんや白雪には申し訳ないし、本来比べるものじゃないんだろうけど。


 それでも今日一番美味しくて、力をもらえた料理は獅子王さんのだ。


「うへへぇー……」

「レオナ、マジでキモいんだけど」

「レオにゃんや……笑いタケでも拾い食いしちゃったのかね? 胃薬、いる?」

「うへへぇー……」

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