第54話 お近づきの印に

 その後も様々な競技で勝負が続き、自分なりに声を出してみんなを応援し、今はトイレの個室で小休憩していた。


 怖く、苦手だった体育祭もちょっとだけ慣れたと思ったけれど。


 午前の部で最後に出場する100メートル走が近づくにつれ、緊張がどんどん増してしまった。


 団体競技はみんなに紛れられるけど、個人競技はより注目を集める。

 覚悟はしていても、自分の心を完璧にコントロールすることは難しい。


 だから、精神を落ち着けるためにトイレの個室に入っていた。


 トイレの構造自体は今も昔も大きな変化はない。


 俺みたいな迷い子を分け隔てなく受け入れ、優しく見守り、幾度いくどとなく送り出してきた偉大な先輩だ。


 ……なんて変なことを考えられるくらいには落ち着いたのでトイレを出て、


「兎野君?」

「獅子王さん!?」


 すぐ横の壁に寄りかかっていた獅子王さんに声をかけられた。


「おっきな声で出せるってことはお腹の調子は大丈夫そうだね」

「ごめん、心配かけた?」

「んー……心配したといえば心配だけど。どっちかっていうと遅刻の心配? 次の競技一緒だし。遅れたら大惨事じゃん? ほら、一緒に行こ」

「そうだね。遅刻した方が目立つし急ごうか」


 獅子王さんの頼もしい姿にいつの間にか緊張は消え、軽い足取りで歩く。


「どう? うちの体育祭? テンアゲした?」

「想像よりも派手でビックリしたよ」

「学園長が闘争大好き人間だしねー。イベント関連はかなり力入れてやってることを売りにしてるし」

「屋台とかキッチンカーがあるのも新鮮だったよ」

「あーそれね。大人の事情ってやつ? ドローン関係とかはパパの会社の製品だし。卒業生や在校生の親や本人の売り込みもウェルカムでやってるみたい」


 忘れがちだけど、獅子王さんだって獅子王グループのお嬢様だ。


〈Garden Of Fantasia〉を運営しているLionHeart社もその系列の一つ。


 本当に俺の小中とは規模が全然違う。


 ある意味圧倒されて感覚が麻痺してるおかげで、こうして平常心を保てているのかもしれないけど。


 ……一番の理由はやっぱり。

 隣を一緒に歩いてくれる存在がいてくれるからだ。


「熱気が凄いもんね、みんな。一番迫力あるのは学園長先生だけど」

「それな。口癖の一つが世界を救う時が来た! だし。ちょくちょくデコトラってやつ? あれでしばらくいなくなって、帰ってくると傷跡が増えてるし。不思議だよねー」

「本当にどこかで闘争に明け暮れてたりするのかな?」

「マジでありえるよねー」


 冗談交じりの会話をしながら歩き、グラウンドの入場口が見えてくる。

 男女別々の列に並ぶのでまた一旦お別れだ。


「それじゃ兎野軍曹! 健闘を祈る!」

「うん。獅子王さんも頑張って」


 大げさに敬礼をする獅子王さんに手を振って見送る。

 ……あれ? なんだろ? 


 違和感を覚え、胸を押さえる。

 体調は悪くない。気分だって……トイレにいた頃に比べれば全然平気だ。


 気のせい、かな。

 ここまで来て遅刻なんて嫌だし、俺も男子の列に並ばなきゃ。


 ◆


 一学年100メートル走は女子から行われ、スタートを切る走者に熱い声援が送られていく。


「一着はA組虎雅こがさんです! 相変わらず惚れ惚れする美しさです!」 


 虎雅様ー! 綺麗ー! 素敵ー! 昨日も今日も明日も未来永劫超絶美しいです! と学年問わず女子から歓声があがる。


 完璧な笑顔で手振って応える虎雅さんを見て、キャー! とまた黄色い歓声が上がった。


 現役モデルらしく立ち居振る舞いが様になっていてカッコイイ。一つ一つの仕草に華がある。どんな場面を切り抜いても絵になる。


 普段の教室では見られない光景に驚きつつも、小さく手を叩いておめでとうと呟く。


 次はいよいよ獅子王さんの番で。


「獅子王さーん! 頑張ってー! 応援してるよー!」

「絶対に一着とってよー!」

「かわいいー!」


 こちらは男女問わず微笑ましくも熱い声援が飛び、


「フル美負けんじゃねーぞ!」

「フル美さっきのリベンジだー!」


 同じ組の花竜皇かりゅうこうさんへの声援も負けておらず大盛況だ。


「頑張れッ」


 みんなの熱い声援に、俺もか細い声を乗せる。

 熱量が違いすぎて、俺の声なんてかき消えてしまう。


 だけど一瞬、獅子王さんがこっちを見た気がした。


「さあ! クラス対抗リレーの前哨戦ぜんしょうせんとも言える注目のカード! はたまた伏兵がゴールテープを切るのか! 必見です!」


 号砲共にスタートを切る。

 花竜皇さんと同じ組なのもあってか、綺麗と言うよりパワフルだった。


 ドドド! なんて効果音がついてもおかしくない走りだ。いや、二人ともフォーム自体は綺麗なんだけども。迫力が凄い。


 二人ともグングンと速度を上げ、一気にゴールテープを切った。


「ウェーイ! 一着ゲットー!」

「クッ! 今日は負け越しですわッ」

「フッフッフッ。フル美呼びにまた一歩近づいたね」

「まだまだ分かりませんわッ! というか皆さんフル美呼びになってませんこと! まだ決まっておりませんのよ!」


 小競り合いさえ場を盛り上げるのに一役買うくらいだ。


「いいデスよ! レオナ! 最高に輝いていマス!」


 そして、一番盛り上がっているのが保護者席だった。


「あっ! ママ! ウェーイ!」

「ウェーイデス!」


 開会式からずっとチラチラ見えてたけど、やっぱり獅子王さんのお母さんだったんだ。


 いやまあ、レオナLOVEと書かれたハチマキを巻いて、両手に推しうちわを持ち、法被はっぴを羽織ってるから家族だろうとは思っていたけど。


 髪を伸ばして清楚な大人になった獅子王さんって感じでよく似ていてる。


「さっきから気になってましたけど、そちらの娘さんもA組ってことは……同じクラスですか?」

「アラアラ? では貴方のお子様もA組デスか?」

「ええ、うちの真白もA組ですよ。ってことは最早同志と言って差しつかえないでしょう」


 ……そして隣には俺の家族が陣取っていて、母さんが積極的に話しかけている。


「同志……! 素晴らしい響きデス! デス美ちゃん、三毛みけさん! こちらの奥様に例の物を!」


 獅子王さんのお母さんが手を叩き、背後にいたメイドさんと……小さな撮影用ドローンにモードチェンジしたデス美さんに声をかけた。 


「ガッテンショウチですわー! リオーネ奥様!」

「はい、奥様」


 メイドさんがアタッシュケースを開くと、中には3Dプリンターがあった。デス美さんが操作し、すぐに何かできあがる。


「同志のお近づきの印にこれをドウゾ」

「おお……これはご丁寧にどうも。こいつはスゲーな。文明の進歩を感じるぜ」


 母さんが手に取ったのは、ましろLOVEとデコられた推しうちわだった……。


「じゃあ、あたしもお返ししないといけないな。白雪しらゆき、例の物を」

「……お母さん。本当にあげるの?」


 白雪がげんなりとした顔でスーツケースを開ける。


 そこにはびっしりと現在連載中の『この想いをアオで描けたら』の単行本が詰められていた。


「今度アニメ化もするあたしのマンガ。『この想いをアオで描けたら』の直筆サイン入り第一巻だ。よければどうぞ」

「コ、コレは!? もしかしてルナティック☆キララ先生なのデスか!?」

「おっとご存じでしたか。あたしも随分と有名になっちまったな……」


 名刺交換よろしく推しうちわとサイン入りマンガを交換する。


 白雪がもの凄い冷めた眼差しでそのやり取りを見てるけど、多分俺もそんな感じになっていると思う。


「も、もしよろしければこっちにもサインお願いできマスか!?」

「お安いご用だ。いくらでもサインしちゃうよ。後で布教に協力していただけるのなら」


 法被にサインを書いていく母さん。


 ……これ以上は見ないで、自分のこと集中しよう。

 女子の競技が終わり、いよいよ男子の番に移る。


 次々と発走し、俺の番が回ってくる。

 深呼吸。


 これまでさんざん、色々と対策し、練習してきた。

 大丈夫、大丈夫――。


「真白おおおおォォッ! いいか! さっきみたいに先手必勝! 逃げ切りだぞ! 差し切りは心臓に悪いからな! 最初から最後までぶっちぎれよ!」

「真白お兄がんばってー!」

「真白、頑張れー」

「マシロさん! ガンバデスよー!」

「兎野様! 群がる野郎共ぶちのめして完全勝利ですわー!」


 推しうちわ軍団が誕生していた。


「おお! 凄い応援団が! A組の兎野君! これは負けられません!」


 一刻も速くこの場から逃げ出しくなった。

 その方法は一つだけ。


 号砲を合図に思考をかき消すように無我夢中で走る。


 やっぱり……まだぎこちない。

 トップスピードに乗り切れてない。

 風を切る音はまだ鈍いし、景色は遅い。


 それでもどうにか一位でゴールし、一位の列に並ぶ。


 汗を拭い、呼吸を整える。

 想像以上に消耗していて、最高のパフォーマンスを発揮したわけじゃない。


 走り切れたことに喜びこそすれ、満足できるような結果ではなかった。


「迫力スゲーな」

「あれで一年? やべーな」


 ふいにそんな感想が聞こえてきた。

 ……別に悪気があって言った感じじゃない。


 純粋に思ったことがつい口に出てしまっただけ。

 だから、平気だ。


「いいぞ真白! それでこそ兎野家の長男だ!」

「真白お兄おつかれー!」

「真白おめでとうー」

「マシロさんかっこよかったデスよー!」

「兎野様ぶっちぎりのぶったぎりランでしたわー!」


 ……それでも応援してくれた人には応えないと。

 そのさなかドッと大きな歓声が沸き起こる。


「さすが新人戦はダントツの一位! 一年生ながらインターハイに出場した期待のホープ! 天馬てんま君! 余裕の勝利ですね!」


 今日見てきた中で、一番綺麗なフォームで、一番速い。

 俺よりも遙かに速い。


「ハーハーハッハッハッー! ビクトリー!」


 自信に満ちあふれた表情も俺とは違う。

 そんな天馬君とリレーのアンカーで勝負する。

 今のままでは勝ち目はない。


 少なくとも勝負になるレベルまで引き上げないと。

 勝負の時までに。


 ◆


 午前の部が終了し、昼休憩。

 さすがに昼飯を獅子王さんと一緒というのも難しい。


 獅子王さんだって友だちの付き合いがある。虎雅さんや豹堂院ひょうどういんさんと一緒のグループだ。


 食べる場所こそ教室で同じだけど、別々に食べる。

 そういうわけで久々に一人……ということもなく。


「なんつーか。モヤッとするよなー。並んだと思ったらまたB組に離されるし」

「こればっかりは結果が全てだからな。巻き返したければ、こっちが上回るしかないさ」

「食らいついて並べてるだけまだマシだろ」


 安昼あひる君たちと一緒に昼食を食べることになった。


「しかし、いつも思ってたけど兎野の弁当は大きいな」

「ほんとよく食うぜ。胃もたれしねーの?」

「兎野の胃袋も宇宙サイズだからしないんだよ」

「ははは……やっぱり大きく見えるかな」


 獅子王さんと同じことをみんなも前から思っていたらしい。

 そんな特大二段弁当のフタを開ける。


 びっしりとおにぎりが詰められた一段目、二段目もほとんどおにぎりで申し訳程度のおかずが。


「おにぎり大好き人間か!」


 根津星ねづぼし君がたまらずツッコミをいれるくらいに、おにぎりづくしだ。 


 弁当箱に詰めたのは確か……白雪だ。


 白雪もおっちょこちょいな面があるし、間違えてもおかしくない。


 父さんもおっとりしているから確認し忘れてもおかしくない。


 母さんは戦力外だから確認するわけもない。


 つまり、あっちはおかずしかないことになる。

 弁当箱を閉じ、スマホを手に取って確認をとる。


「ごめん、ちょっと交換してくる」

「おう。兎野は午後の部すぐに出ないし、急がなくていいからなー」

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