第50話 サウナーお悩み相談室

「おーい、瑠璃羽るりば。早く着替えろよ」

「急かすな、バカ」

「後はお前だけだからだよ。兎野を見てみろ! もうやる気満々だぜ!」


 根津星ねづぼし君が俺を指さす。


 ゴーグルを着用済みと言っても、やる気満々ってわけじゃない。


 これだけ一緒に汗を流して情けない話だけど、みんなと素顔で話せる自信がまだない。だてメガネ代わりに装着しているだけだ。


 正直、今までで一番気が重いのもある。

三番勝負は水泳。単純なタイムで競うことになった。


 水着はレンタル可能で逃げ道もなく。


「ほう、いい筋肉だ。僧帽そうぼう筋から三頭筋にいたるラインが美しいな」

「俺の邪牙利闇ジャンガリアバーニングスターを受け止めるだけのことはあるぜ」

「やっぱり僕の理想像」

「……ど、どうも」


 三人に注目され、ちょっと息苦しくなってしまう。


 付けててよかったゴーグル。なかったらどうなっていたことやら。


 逃げ出したくなるのをどうにか耐え、プールに移動する。


 ストップウォッチで計測しながら、軽快に泳ぐみんなを見守る。


 特に安昼あひる君はダイナミックかつワイルドで、スピード感が全然違う。


 さっきまでラケットで空振りしまくる安昼君とは別人だ。


 根津星君や瑠璃羽君もそつなく泳げている。

 俺が一番遅いタイムなのは泳ぐ前から分かってしまった。


 それでも手を抜かずに泳ぎきる。

 プールから上がると、みんながなんとも言えない表情で待っていた。


「なんかフェイク動画見てる感じだったな。ちゃんと泳げてるのに前に進んでない」

「ああ。俺の目がおかしくなったのかと思ったぜ」

「時空の歪みさえ引き起こせるのかと思った。兎野ならできそうだから」

「重いせいなのかは分からないけど。前に進むよりも沈む方が早いんだよね。そっちに力を奪われちゃう感じでさ」


 昔からずっとこんな感じの泳ぎだった。泳げてはいるのでおぼれたこともないし。

 海も嫌いじゃない。もしもの時のために足がつく範囲までしか行かないけど。


「そだな。兎野、重そうだしな」

「あー、あれか。重い系男子ってやつ?」

「深みのある重みも悪くない」


 ……重いかな? と聞き返そうとしたけど、間違いなく重くはあるよなあ、と納得してしまう自分がいた。


 ◆


「ここまで激闘だったしな。ちょっとインターバルだ!」

「二戦空振りしかしなかった奴が言うセリフか?」

「細かいことは気にするな。たっぷりと汗を流そうじゃないか!」


 根津星君のツッコミも気にせず、安昼君が指さしたのはサウナだった。

 サウナは……まずい。


 さすがにゴーグルを付けっぱなしにするわけにはいかないし、どうしよう。

 一瞬で思考を巡らせ、対抗策を閃いた。


「熱すぎるのはあんまり得意じゃない。兎野はどう……凄いやる気だ」

「凄いやる気というか。備え、かな」


 俺の姿を見て驚いた瑠璃羽君に、モゴモゴと通りの悪い声で答える。


 タオルをターバンのように巻き、目以外を覆った。

 これで多少なりとも落ち着ける……はず。


「兎野がその気なら僕もへこたれるわけにはいかない」

「あ。俺の真似をする必要はないよ。こ、これは……そう。特殊な訓練が必要な感じだから、さ?」


 瑠璃羽君が俺と同じことをしようとしてたので慌ててとめる。


「兎野が特殊な訓練をしないとダメなら……今回はやめておく」


 諦めてくれてホッと胸をなで下ろす。

 しかし、瑠璃羽君の中での俺はどんな存在なのか心配になってきた。


「兎野に、瑠璃羽! その意気やよし! いざ参らん!」


 安昼君を先頭にサウナに入る。

 なんだか安昼君のテンションがおかしい気が。

 それも蒸し暑さに上書きされてしまった。


 タオルで顔を覆っている分だけさらに熱が溜まっていく感じだ。

 四人並んで座る。


 暑さのせいか、サウナの流儀なのか分からないけど、みんな無言だ。

 俺から話題を振れるわけもなく、黙るしかない。


 嫌な時間じゃない。むしろ好ましいくらいだ。

 サウナも悪くないかな。


「――なあ、どうやったらモテるんだろうな」


 と、思っていると根津星君がポツリと呟いた。


「根津星、急にどうした? もう暑さにノックアウトされたか?」


 まだまだ余裕のある安昼君が返事をした。


「ハッ、俺を舐めんな。まだまだ余裕だぜ。とにかく聞けって。郷明きょうめいが俺の小中あわせても遙かに多い生徒数ってことは、出会いも倍々になるはずじゃん? 頭はともかく運動はできるし。スポ薦だし。告白はともかくファンレターの一つくらい貰ってもおかしくないと思わね?」

「そういうとこじゃないか」

「そういうとこだ」

「そういうことってなんだよ。フワッとしすぎだろ。なあ、兎野はどう思うよ?」


 素っ気ない二人の返事に不満が残った根津星君が、俺にまで聞いてきた。

 みんなについて知らないことの方がまだまだ多い。


 なにより対人関係が乏しい俺が相談相手として一番不適格だ。

 二人以上のアドバイスなんてできるわけがない。


 だからといって、だんまりで通せる空気でもないし。蒸しっとした暑さに思考も鈍らされる。


「そういう、とこ……?」


 ごめん。根津星君。俺は流れに身をませることしかできない情けない奴です。


「兎野まで……! そういうとこってなんだよ……! 明日はもう体育祭なんだぞ! 原因を解明しないと活躍してもモテないだろ!」


 相当追い詰められているのか、根津星君がとうとう頭を抱えてしまった。


「だから、そういうとこだろ」

「間違いなくそういうとこだ」


 二人は容赦なく、面倒くさそうに言っているように聞こえた。


 さすがに続けられなかった。要求レベルが高すぎる。俺の言語武装にはまだ早すぎる。


「はあ、クソッ。安昼はいいよな。白鳥しらとりさんっていう大和撫子やまとなでしこな幼なじみがいて」

「なんでそこで白鳥が出てくるんだ。関係ないだろ」

「大ありだ。持たざる者にとって幼なじみがどれだけ大きい存在であるか噛みしめろ」


 クワッ! と鬼気迫る表情で言う根津星君。


「瑠璃羽だって先輩を中心に人気が凄いし、非公式ファンクラブまであるんだろ」

「知るか、そんなこと」

「大ありだ。モテざる者にとってお姉様人気がどれだけうらやまけしからんか噛みしめろ」


 クワッ! と暑さのせいで赤くなった顔がより迫力を強めている。

 安昼君も璃羽君も人に好かれやすかったり、人を惹きつける魅力を持っていたりする。


 根津星君の気持ちは分からないでもない。

 もちろん、根津星君だって話しやすい相手だし。


 ……ただ、もうちょっと。異性に好かれたいオーラを抑えればバランスが取れそうな気も。


「それに兎野だってなあ。あの獅子王さんと急に仲良くなってビビったし。どうやってつーか、いつ獅子王さんと仲良くなったの?」


 え? と声に出せたかは分からない。

 まさか俺に話が振られると思わなかった。


 モテるとか色恋なんて俺とは縁遠い話だから。

 そもそも獅子王さんは友だちで、そんな間柄でもないし――。


「そうだな。夏休み前はそんなことはなかったし」

「やっぱ夏休みになにかあった?」


 安昼君や瑠璃羽君まで珍しく興味を示していた。


 普段なら二人とも根津星君をいさめてくれると思ったけど、サウナの暑さにやられてる?


 俺も本格的にボーッとしてきた。ターバンスタイルは悪手だったかもしれない……。


 かといってターバンを解放するわけにはいかないし、答えないと出られそうにない雰囲気だ。


「まあ、その。夏休みに……ちょっとあって」

「ちょっとって?」


 根津星君が食い気味に聞いてきた。

 俺の独断で〈GoF〉での顛末てんまつや、獅子王さんの悩みを話すわけにはいかない。


 具体的な内容はさけて言葉を選ぶ。


「夏休みの時に喧嘩というか、すれ違いというか。そういうのがあって。夏休みの後に仲直りした……感じかな」

「え? マジで。もう……付き合ってんの?」


 付き合う? 俺と獅子王さんが恋人関係――?


「ちがッ! 俺と獅子王さんは友だちだから! って、ごめん……声荒げちゃって」


 息を吐いて、気分を落ち着ける。

 内容を省略しすぎたせいかもしれない。


「わ、悪い。痴話喧嘩ちわげんかみたいなもんかと思ったからよ」

「俺の方こそ説明下手でごめん。分かりづらかったよね」


 言葉を伝えるのは難しい。やっぱり苦手だ。

 でも、俺と獅子王さんはそういう関係じゃない。


 ちゃんと言っておかないと後々困らせてしまう。


「まあ根津星君が勘違いするのも分からんでもない。喧嘩だの、仲直りなんて言葉出てきたらな。獅子王さん、男子と遊ばなかったわけじゃないけど。誰かと付き合ったって話はもちろん、二人きりで遊んだ話も聞いた覚えがないからさ」

「……本人の意思に関係なく注目されるのはしんどい。特定の相手と一緒にいるとそれだけで噂になるし。僕と違って獅子王さんはメンタル強者だから平気だろうけど。そもそも二人とも楽しそうだし、関係ないか」


 二人の話は虎雅こがさんや豹堂院ひょうどういんさんに聞いた話と似ていた。


 分かっていたはずだけど、みんなには獅子王さんと一緒にいる男子として見られているんだ。


「で、兎野。獅子王さんのこと狙ってんの?」

「え? 狙う?」


 根津星君の言葉の意味は俺でも分かる。

 母さんの影響もあってラブコメマンガだって読む。


 獅子王さんのことが好きで、恋人関係になりたいってことだ。


「そんなことは、ないよ」


 考えたこともない。


 ……でも、考えたとしたら? いや、俺なんかが獅子王さんと付き合えるわけが。


「そーなん……? マジで? 狙ってる男子は多いぜ。イベントの熱で一気に告白なんてパターンもあるんじゃね。体育祭なんてうってつけだしよ。いいのかよ、兎野?」

「根津星のくせしてまともなことを言う」

「本当に」

「マジで俺の扱いどうなってんの? 泣くぜ?」


 知恵熱も加わって暑さが限界を迎えつつある。

 それでも想像は止まらない。


 獅子王さんが誰かに告白され、受け止め、恋人として付き合い始める。

 想像した瞬間、


「――ムカツク?」


 ふっと暗く重い感情がわき上がる。

 それを見過ごしてしまう自分に……?


 でも、獅子王さんの邪魔をする権利はない。

 あくまでお互いの悩みを助け合う関係で、よき友だちで。


 いつか悩みも解決して、適度な距離に落ち着くだけ。

 それこそ……ネトゲの関係みたいに。

 なのに、ムカツク。


 同じ言葉だけど、GvGの時に大佐さんの悪口が言われた時とは全く別物の感情だ。


「……ッ。悪りぃ、兎野。今のはマジで忘れてくれ。あと俺は獅子王さん狙いじゃないから安心してくれよ。さすがにハードルが高すぎるぜ」

「根津星じゃあな。このインターバルは兎野の勝ちだな」

「僕たちの負け」


 三人がふらふらと立ち上がる。


「え? 耐久勝負してたっけ?」


 俺もつられて立ち上がった瞬間、立ちくらみがした。


「とりあえずだ。整うか」


 安昼君の先導でぞろぞろとサウナを出て、冷たいプールに浸かり、プールサイドに座る。


 サウナでの記憶は曖昧あいまいで、清々しい気分に塗り替えられていく。

 ……なのに。


 ムカツクなんて、モヤッとした気持ちだけは心の奥底に残り続けている。

 どうしてそんな気持ちになるのか。


 冷静になっていく頭で考えてみれば――嫉妬、なんてずっと埋もれていた感情が芽生えたからだ。


 獅子王さんに好意的な感情がなければ……それは生まなかった。


 それこそ〈GoF〉で離婚した時よりも、大きな感情だ。


 あの時はまだ感情に蓋をし、臆病だったから抑えられた。

 でも今はリアルでもネットでも。


 近くで見て、話して、触れて、惹かれている。


 お互いの悩みや問題を解決することを理由に、見て見ぬ振りをしてきただけ。


「ありがとう、根津星君。整った」


 と言っても、答えを出すのはもう少し先になりそうだけど……。


 この気持ちとどう向き合って、獅子王さんに伝えるべきかも分かっていない。

 それでもスッキリしたのは確かで。


「いやいや兎野! ゴーグルして整ったって言っても説得力ねえぜ!」

「根津星がモテないのはそういうところだぞー」

「空気読め。素直に感謝を受け止めろ。だからモテない」

「俺がモテない話は関係ねえーだろ!? ゴーグル兎野は気になるだろ!?」

「本当にね」


 おかしくて笑ってしまう。


 男四人でサウナで汗を流して、本人はゴーグル装着で思い至ってしまうんだから。

 絵面を考えたら根津星君の言い分はもっともだ。


「いや、兎野のことなんだけど!? 分かってる!?」


 わいわいと騒ぐ。

 ゴーグル越しで色彩は鈍いはずなのに、みんなの姿が不思議と透き通って見える。


 ……それも獅子王さんと出会わなければ見られなかった光景だ。

 悩みが解決して、悩みが増えた。


 プラスマイナス0のはずなのに、プラスの方が大きい。

 だから、今はこうして友だちとの時間を大事にしたいと思った。

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