第49話 友だちの友だち

「てめェ、兎野。俺の邪牙利闇ジャンガリアンバーニングスターを返しやがったな」


 根津星ねづぼし君が床に転がった球を拾い上げ、俺に投げつける。


「出しなあ……兎野。てめェのとっておきを……!」


 とっておき……俺のとっておきと言われても。

 伊達メガネをクイッと上げ、深呼吸。

 腰を落とし、構える。


「ラインランダーラビットショット……?」

「兎野ー。別に根津星のノリに付き合わなくていいんだぞ?」

安昼あひるの言うとおり。バカに毒される必要はない」


 卓球台の横で観戦していた二人から声をかけられる。


「ごめん。なんか言わなきゃいけない雰囲気だと思って」


 俺たちは郷明きょうめいスポーツセンターという施設で卓球をしていた。


「これより四番勝負を始める!」


 と、みんなが集合した直後に、安昼君が言い出したからだ。


 それぞれ得意なことで勝負し、最下位の人は昼食の飲み物代をおごることになってしまった。


 そして現在一番勝負の初戦が始まったわけである。


「根津星。初心者相手に情けない」


 瑠璃羽るりば君の指摘にも根津星君は平然と答える。


「俺は何ごとにおいても全力がモットーなんだよ。卓球ならなおさらな。つーか、初見で俺の邪牙利闇バーニングスターを返せる奴を初心者とは言わねーだろ」


 レクリエーション要素が強いと思ってたけど、根津星君は本気の目をしている。


 総当たり戦で、特別ルールとして経験者と対戦時はハンデあり。サーブ権はずっとこちらにある。


 でも、ハンデなんてないも当然だ。

 さっきの返球も凄まじかったし。


「出しなあ……兎野! てめェのラインランダーラビットショットを!」


 しかし、改めて声に出されると恥ずかしくなる。

 さっきまでなら勢いで押し切れたけど、今はもう無理になってしまった。


 そっと無言でサーブを打つ。

 もちろん初心者なのでサーブはフワッとしてゆっくりだ。


「邪牙利闇バーニングスター!」


 またしても豪速球が返ってくる。

 返すのがやっとでピンポン球は明後日の方向に飛んでいってしまった。


 特殊なスピンをしているらしく、返球は思い通りにいかない。

 あっさり10点マッチで完敗。


「嘆くな、兎野。俺が卓球の神に愛されている天才なのが悪い」


 自分のラケットを見つめる。

 分かりきっていたことだけど、一点くらいは取りたかったな。


「おーい? 兎野? ちゃんと聞いてくれてる?」

「あ、ごめん。ちゃんと聞いてたよ。次は根津星君から一点は奪えるように頑張るよ」

「こいつ……! もう俺から点を奪えると思ってんのかよ! これはとんだ戦闘狂を目覚めさせちまったかもな」


 なんだか変な勘違いをされてしまった。

 不思議と悪い気はしないし、訂正する必要もないかな。


「安心して、兎野。仇は僕が討つ」


 瑠璃羽君が俺の肩を叩き、静かに闘志を燃やしていた。


「えっと、よろしく?」

「へっ、ちょっとは楽しめそうじゃねえか。ラケットの長さがモテ度に左右しないことを証明してやるぜ」


 クックックッと邪悪な笑みをする根津星君。

 完全にマンガに出てくる敵側のヒール役っぽい雰囲気だ。


 ちょっと何を言っているのか分からないけど。


「好きに言ってろ」


 俺の時とは違って白熱したラリーが始まった。


「兎野、なにで勝負するか決まったか?」


 安昼君と会話しつつ、スコアボードをめくる。


「いや、まだ……これといったものは思い浮かばないかな」

「そうか。それこそ短距離走でも、腕相撲でも。なんならにらめっこだのじゃんけんだのでもいいんだぞ? 別に運動に限定してるわけじゃないし」


 俺はずっとインドア生活だ。


 ゲームしたり、マンガ読んだり、アニメ見たり、時々イラストを描いて……最近、変わったことと言えばバイトに、獅子王さんといる時間が増えたくらいで。


 運動以外と言ってもアウトドアで得意なことなんて、ない。

 でも、アウトドアか。アウトドアといえばキャンプ……?


「コーヒー淹れ対決……?」

「お、おう。それでいいならやるけど……場所とか器具あるのか?」

「……ない、かな」

「そか。ってか、コーヒー好きなん?」

「バイト先がカフェなんだ」

「へぇー、バイトしてんだ。どこで?」


 根津星君と瑠璃羽君の目まぐるしい攻防戦とは逆に、のほほんとした会話になる。


 ぎこちなさはまだあるけど、他愛ない会話が心地よく感じられる。

 夏休み前の俺だったら考えられないな。


「シャアアアッー! 俺の勝ちだあああッ!」


 マッチポイントを取った根津星君が身体を反らせて、歓喜に震えた。


「おっ。じゃあ、次は俺の番か」


 安昼君が肩をぐるぐる回し、


「まあ、兎野は最後だし。急いで考える必要はないさ」


 そう言って卓球台の前に立つ。


「よっしゃ! 根津星! いくぞ!」

「おう! かかってこいや!」


 代わりに俺の隣に瑠璃羽君がやって来る。


「ごめん、兎野。仇取れなかった」


 汗だくになった瑠璃羽君が目を伏せ、悔しそうに言った。


「そんなことないよ。俺の時とはレベルが全然違ったしさ。点だって取れたし、惜しかったよ」

「でも、勝てなかった。兎野に根津星のアホ面見せたかったんだけど」

「そ、そっか」


 淡々とトゲのある言葉を言われると、返答に困ってしまう。

 俺の相づちを最後に、会話が途切れる。


 安昼君や根津星君は俺から話を切り出さなくても、どんどん喋って会話を繋げてくれる。


 瑠璃羽君は静かに苛烈と言った性格で、俺も口下手でコミュ力特訓中の身。


 だから友だちの友だちと二人きり、みたいな感じになってしまう。何を話していいか分からなくなる。


 ちらりと横を見る。

 タオルで汗を拭く瑠璃羽君も絵になるな。


 中性的な顔立ちで、線が細く、華奢に見える。でもちゃんと見れば鍛え、洗練された体付きだと分かる。


 それでも最初に綺麗が浮かんでしまうのは、失礼なのかなと思ってしまう。


「……どうかした?」

「あ、ごめん。なんでもないよ」

「そう」


 また会話が途絶える。


 今思ったことを口に出せば、会話は続いたかもしれない。

 少なくとも獅子王さん相手なら口に出せたはずだ。


 でも、瑠璃羽君がどう捉えるかは分からないし。


 ……誰かの容姿を言及するのは難しいな。


 獅子王さんは気にせず言ってくれたけど。

 相手にどう受け取られるか考えると、こんなにも怖くて、勇気がいるんだと思い知らされる。


 俺自身、経験してきたからなおさらためらってしまう。


 口の中が乾く。

 それでも。

 友だちの友だちのままには、したくはない。


「……瑠璃羽君、ご飯何食べてる?」

「え? ご飯? 昼飯の話?」


 で、俺は何を聞いてるんだろ?

 完全に話題の選択を間違えた。


 でも、言ってしまった以上は突き進むしかない!


「あ、俺って。身体大きいせいか……燃費悪くて、お腹空きやすくてさ。その点、瑠璃羽君はその、ちゃんと食事にも気を遣って節制してる感じがしたから。何食べてるんだろ……って気になった感じ、です?」

「別に露だけ飲んでるわけじゃないし。節制はしてないよ。むしろ食が細いし、量を食べるのがしんどい。本当はもっと食べて身体を大きくしたいんだ。でも、うまくいってない」

「……ごめん。変なこと聞いちゃって」


 本当に話題の選択を間違えた。

 本人が気にしてることに関連した話題だなんて。


 失敗だ。


「謝らなくていい。慣れたし。うまくいってないだけで、やめるつもりはないから」


 それに、と瑠璃羽君は小さな声で言う。


「目標の理想像は……兎野みたいな感じだし。その本人からの質問が嫌なわけが、ない」

「え? 俺……?」

「入学式で初めて見た時、圧倒されたから。見た目も佇まいにも。影があるけど、嫌みじゃなくて。一人が様になるふてぶてしさもあって。憧れた」


 獅子王さんとはまた違った感想で驚いた。

 ひとりぼっちスタイルは意図したものじゃない。


 誰にも話しかけられず、話してかけてもらえず。

 中学生の頃から何一つ変わらないまま嘆き、自分の殻に閉じこもっただけの結果にすぎない。


「そうなんだ。でも、中身がこんな感じで弱気で幻滅したでしょ?」

「そんなことはない。強者の余裕を感じる」

「きょ、強者? そう、かな?」

「とてつもなく感じる。だから節制とかはしすぎない方がいいと思う。あくまで僕の個人的な意見だけど」


 瑠璃羽君から熱い眼差しを感じる。

 自分で思っている姿が、誰から見ても同じとは限らない。


 既に教えられ、知っていたはずなのに。すぐ忘れてしまいそうになる。

 人の数だけ受け取り方があって、悩みだってある。


 なにも俺だけが悩みを抱えてるわけじゃないんだから。

 でもやっぱり自分が強者だなんて思えないけれど……。


「そうだね。節制はしたとしても、ほどほどにしておくよ。ありがとう」

「礼はいい。事実を言ったまでだから」


 瑠璃羽君がそう言って、タオルで顔を拭いた。


「安昼、お前……センス0だな」


 根津星君が呆然とした顔で言った。


「うーむ。おかしいな。いくら振っても当たらなかった」


 安昼君のサーブが一度もネットを越えないままゲームが終了してしまった。


 ◆


「僕は根津星のような大人げない真似はしない」


 卓球から二番勝負のバドミントンに移行し、瑠璃羽君と対峙する。


「お手柔らかにお願いします」


 瑠璃羽君はどんな方向に打っても羽――シャトルを拾いあげて、俺の同じ場所に返してくれる。


 なので最小限の動きで済んでいるけど。


「兎野から託されたこのシャトルを落とすわけにはいかない……!」


 俺とは比べものにならない運動量を見せる瑠璃羽君。

 あれ……終わらない?


 ある意味ハードなトレーニングの様相を呈してきた。


 ラケットを振る腕や足に疲労が蓄積し、俺がシャトルを自陣に落とすまで続く過酷なラリー。


 結果的には俺が1点も取れずの完敗だけど、卓球の時とは汗の量が全然違う。


 お疲れー、と労う安昼君に手を上げて応え、床に座る。


「瑠璃羽ァ! 今度はてめェのフィールドで圧勝して吠え面かかせて――!」


 シャトルがドリルみたいに根津星の顔面に食い込んだ。

 うわぁ、と安昼君と一緒に顔を覆った。


「瑠璃羽! さっき大人げない真似はしないだの、初心者相手に情けないとか言ってただろ!?」

「初心者相手に情けない奴には容赦しないだけだ」


 瑠璃羽君が冷めた眼差しで答えた。

 俺と話した時とは全くの別人だった。


「言うじゃねえか! なら、俺も本気だぜ! こいつはとっておきの根津星ゴールデンスペシャルを見せる時がきたようだな――って。おい、ラインギリギリばっかりに打つんじゃ――ブホォ!」


 前後左右に何度も振って、文字どおりのシャトルランをさせてからの顔面直撃のスマッシュ。


 瑠璃羽君も安昼君や俺の時は落ち着いてるけど、根津星君には容赦ない。


 ある意味仲がいいのかな。

 ちょっと羨ましい。ちょっとだけ。痛いのは嫌だし……。


 結局、瑠璃羽君が根津星君を文字どおりボコボコにしてリベンジを果たした。


「安昼、ちゃんとシャトルを見て打たないと」

「見てるぞ?」

「……じゃあ、なんで当たらないんだ」

「なんで当たらないんだろうな?」

「こっちが聞いてるんだけど」


 安昼君がラケットをいくら振ってもシャトルに当たらない。卓球のラケットよりも面積は広がってるはずだし、別に十文字だけの特殊なガットでもない。


 戦わずして瑠璃羽君の戦意を喪失させていた。


「やべえな、安昼。あいつ、水中専用機か」

「道具を使う球技みたいなのが苦手とかかな」

「ありえるな。なあ、兎野。体育祭でそういう競技ないよな? 安昼がエントリーしてたらやべえぞ」

「なかったはずだけど……」


 不思議な光景を目の当たりにしながら、俺と根津星君は体育祭の種目を思い出していた。

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