第31話 理想と現実の一歩半
何度も乗り降りした通学途中の電車に揺られる。
他にも小中高一貫の名門とあって高等部までそのまま進学すれば、ほぼ同世代のグループができあがっている。
だから、外部生の俺が一人でいてもおかしくないし、同じく高等部からの入学した人と共通の話題で仲が深まる可能性だってある。
さらにどこかのグループに入れれば、一気に友だちの輪が広がる――なんて甘い考えをしてもいた。
まあ、そんな不純な動機も三年になって決めたから、中学の先生には苦言を呈されてしまったけど。
「うちの
なんて母さんが一番熱く説得してくれたおかげで、第一志望は郷明学園になった。
だから俺も後に引けなくなったし、覚悟が決まった。
合格するまでは〈GoF〉を休止して、イラストも息抜きに軽く描くくらいで、ほとんどの時間を受験勉強に費やした。
そして郷明学園の制服に袖を通し、こうして今も電車に揺られている。
それでも、結局。
一学期が終わるまで慣れた暗い視界を歩き続け、一人でいることを選び続けたのは俺だ。
郷明学園最寄りの郷明駅で下車すると、一気にうちの学園の制服が多くなる。
みんなと同じように通学しているはずだけど、気のせいか俺の前だけに道が。
いつもは気にならなかった視線がところどころから感じる。
でも、大丈夫。
昨日の獅子王さんとやった地獄のコミュ力アップブートキャンプのおかげで、前を見て歩ける。
俺が知らない色んな場所を巡り、景色を見て、遊び経験したことは俺の背中を押してくれる。
学園に到着すると、さらに視線が強くなった気がする。
教室を前にし、一度深呼吸。
……大丈夫だ。
教室に入った瞬間、先週と変わらない反応――からみんなが二度見してきた。
正しくは獅子王さん以外。
でも、空気自体は先週とあまり変わりない。
色めき立つとか、騒ぎになるとかはない。
いつもとほとんど変わらない教室の風景。
そんなことは百も承知だし、予想もしていたから平気だ。
「おはよう」
だから、俺も先週と同じように獅子王さんたちに挨拶をする。
「おはよー、兎野君っ」
「おう。うさ、の……? おはよ」
「おおー、ウサノスケージャンボー。サマーカッツ? グッドルッキングゥーグゥー」
三者三様の挨拶に自分なりに笑顔で返して、自分の席に向かう。
席に座る前に、隣の席を見て。
「おは、よう」
少し前に登校したばかりの
「え!? お、オハヨウゴザイマス! アニキ!」
席に座って、カバンを置く。
会話が途切れ、窓の外の青空を見つめる。
急に挨拶をしてきて、さらに話しかけてきたら怖い。少なくとも俺は怖い。だから、今はこのくらいでというか。今の俺にはこれが精一杯の挑戦なわけで。
安昼
彼も初等部からの内部生で水泳部。
夏休みは合宿もあって健康的な肌の焼け具合だ。
入学当初の座席は出席番号順だったので、前の席だった安昼君にはプレッシャーを与え、息苦しい日々を送らせてしまった。
さらに席替えをして解放されたかと思えば、隣の席。
蒸し暑い夏も他のクラスメイトよりも多くの汗をかかせてしまった苦い思い出がある。
申し訳なさもあるけど、なにより最初に声をかけようとして失敗したのが彼だから。
やっぱり俺が一人で挨拶をする相手は安昼君だと思った。
挨拶を返してくれただけで今は十分で……アニキ? 最後にアニキって言ったのかな、安昼君。
……やっぱり俺はその手の不良に見えてたのかな。
でも、それが俺の現在地だ。
挨拶を返してくれてありがとう、安昼君。
教室はまた俺を置いて動き始めようとするけど、
「兎野君っ! やっぱり髪切ってスッキリしたよねー!」
そうはさせまいと獅子王さんがやってきた。
「えっと、うん。おかげさまでスッキリしたよ」
昨日の夜、改めて獅子王さんに連絡を取り、今日のことについて話した。
「明日はいつもと同じ感じで、俺に任せてほしいんだ」
そう最初に伝えた。
帰る前に話せばよかったんだろうけど、あの熱い空気を壊すのが怖かった。
俺は臆病だ。
それでもただ黙って今日を迎えたくはなかったのも事実で。
「もしかしたら、そこまで劇的なことにはならないかもしれない。今まで壁を作ってきたのは俺なのに、相手に歩み寄れなんて虫のいい話で。歩み寄るべきは、俺の方だから。みんなが変わらなくても、それは悪いことじゃないから」
中学二年の体育祭でやらかした後、俺は歩み寄ることを拒んだ。現状を受け入れ、色んな理由をこじつけ、自分の身を守ることだけを選んだ。
最初にケジメをつけるのは俺自身なのだ。
だから。
「獅子王さんには見守ってほしい」
そして、獅子王さんは珍しく。
「うん。分かったよ。兎野君がそう言うなら邪魔しないよ」
真面目な声音で了承してくれた――はずだけど。
やっぱり獅子王さんは獅子王さんだ。
一度知ってしまえば、見て見ぬ振りができない人だ。
俺が一歩進んで二歩下がって、また一歩進んで立ち止まった時、あと半歩を隣で歩いてくれる。
そんな人だから俺は前を向いて、陽だまりに踏み出してみようと思ったのだ。
「いったい誰が一緒に付き合ったのかなー! って、私かー!?」
とはいえ、本当に獅子王さんにしては珍しく慌てふためいている。
必死にみんなにアピールしようと頑張ってくれている。
それでも教室の空気は大きく変わらない。
学園一の有名人である獅子王さんでも、俺の威圧感は打ち消せずにいる。
今の俺にできることと言えば。
「獅子王さん、大丈夫だよ。俺は大丈夫。平気だから」
こうして目を見て、声をかけ、獅子王さんを落ち着かせることくらいしかできない。
「う、兎野君」
しかし、獅子王さんは珍しく顔を赤くして頬を膨らませてしまった。
伝える言葉、間違えてしまったかな……?
「シズぽよ! 桜! カモン! こっちこい! はよ!」
そして、獅子王さんは援軍を呼んだ。
「おーおー、ようやくウサノスケと本格的なコミュ解禁オッケーなん?」
「なんなんだよ……ったく」
先週から二人とも挨拶をしているので、他のクラスメイトよりも緊張はないけれど。
「どうかなっ! 私がサポしてまだ間に合った夏休み明けデビューした兎野君は!」
獅子王さんが俺の背後に周り、両手を広げて伸ばしてきた。バーン! と効果音がつく感じで。
やっぱりいつもの獅子王さんとちょっと違う。
「ど、どうも。まだ間に合った夏休み明けデビューした兎野です」
俺も俺でなんか凄い説明文になってしまった。
虎雅さんと豹堂院さんが目配せしてから口を開く。
「シズコは先週の目隠れスタイルもグッドだったけどねえー、それはそれ。ニュースタイルなウサノスケも新鮮プレミアム」
「そーだね。先週よりはいい感じじゃん」
「ね!? 安昼君もそう思わないかな!?」
「は、はい! そう思います!」
獅子王さんが唐突に隣の安昼君にも問いかけた。
「急に安昼に話振るなって。ビビるだろ……って待って。兎野のカットにレオナが付き合ったの?」
「そう! そーなんだよ! さすが桜! そこに食いつくとはさすが! ね!? 安昼君もそう思わないかな!?」
「は、はい! そう思います!」
また話を振られ、安昼君は背筋を伸ばして答えた。
安昼君、ごめん……ってなんか嬉しそう?
「あー……いや、そーじゃなくてさ。ちょっとレオナ。こっち来て」
「え!? なんで! 今大事なとこなんだけどー!?」
いーからっ、と虎雅さんが獅子王さんを教室の外に連れ出してしまう。
はやくも二人が離脱してしまった。
「ウサノスケー涼しくなった? クール?」
「うん、クールになったね」
豹堂院さんは独特な話し方をするせいなのか分からないけど、獅子王さんの次に話しやすい人だ。
「おおーよきよのうー。今年のサマーはデスマーチナウ。じゃあプレゼント……フォーユウー」
今日のデイリー補給として、クリアウォーターグミを授けられた。
水のグミ? あ、ほんのりサイダー味で美味しい。教室で久々に使った喉が
豹堂院さんは夏だからか、登校した日は水分多めのグミばかりくれる。
順調にテイムされている。
「アヒルザエモンも食べたまえ」
「は、はい! ありがとうございます!」
安昼君、俺よりかなりの汗をかいている気が。大丈夫かな?
「ところでウサノスケ、目悪かったの? 大変じゃなかった? ヘアカーテンで見えんかったでしょ?」
「あ、これは事情があって……その、伊達メガネ」
「おおー、伊達メガネかー。難しい装備品をチョイスしなさる。その心意気にチャレンジャー。花丸をあげよう」
「うん、と。ありがとう」
たまに会話がかみ合っているか心配になる時があるけど、大丈夫。大丈夫なはずだ。
「はあ!? 違うし! 兎野君とはもっとこう魂と魂で繋がってるようなー!」
「バ!? 声デカいって! 分かったよっ。そういうことにしておくからっ」
廊下から二人の大きな声が聞こえてきた。
何を話してるんだろう……?
と、それからすぐに二人が教室に戻ってきた。
「お昼に緊急会議をします!」
獅子王さんがまた俺の背後に回って宣言した。
「シズぽよも桜も参加するように!」
「オッケー! ガッテンショウチノスケーレッツゴー!」
「まあ、ここまで噛んだらしょうがないか。分かったよ」
「もちろん兎野君もね!」
「はい」
俺も参加確定だと分かっていたし、と予鈴が鳴る。
「では、一時解散!」
虎雅さんと豹堂院さんが去り、獅子王さんもと思いきや左側で気配が強くなる。
「ごめんね、兎野君。私、でしゃばっちゃったよね?」
腰を下ろし、机に手をのせて見上げてくる獅子王さんに、驚きつつ返事を考える。
「ううん。助かったよ。強がったくせして、この有様だし。ありがとう」
「いいよ。それよりもさ。反応は……どうあれ、みんな驚いてたし。こっからが本番だし。頑張ってこーね」
「そうだね。でも、焦らずゆっくりいこう」
「だよね。私、焦りすぎてた。昨日話したのにね。じゃあ、お昼……よりもまた休み時間にね」
「うん。また後でね」
獅子王さんも自分の席に戻った。
最後はもう見慣れた明るい笑顔が見られて一安心だ。
獅子王さんを見送った視界の片隅で、安昼君がぽかんと口を開けて俺を見ていることに気がついた。
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