第3話 リザキルされたい気分です

 獅子王さんが屋上に通じる階段にそのまま腰掛けようとしたので、慌ててカバンからタオルを出す。


「獅子王さん。よかったらこれ使って」

「ありがと。気配り上手ー」


 獅子王さんはタオルをしいてから腰掛け、隣の場所をポンポンと叩いた。


「ほら、兎野君も座って座って」

「いや、俺は大丈夫だよ」

「なんで? 兎野君のタオルなんだから座って当然じゃん。私だけ座るとかよくないし。はよはよ」


 強く断ることも苦手なので、なるべく獅子王さんと距離を空けてタオルの隅っこに座る。


 汗臭くないよな? と思いつつハンカチで汗を拭く。


 ……隣から柑橘系のいい香りがしてきたので、なるべく無呼吸を保とう。


 改めてお互いのスマホを確認する。


 どちらもロジックコードの〈満腹スイーツパラダイス〉のチャット画面だ。違うのはアカウントのプロフィールだけ。


「〈GoF〉やってる人は学校にも結構いると思ったけどさー。まさか兎野君もやってたなんて驚いたよ」

「俺も。まさか獅子王さんが〈GoF〉やってたなんて」

「あー……うん。やっぱり? そんなタイプに見えない? わりとオープンにアピってたつもりだけど、ファッションオタクだと思われてた?」

「いや、そういう意味じゃなくてさ。友達との時間を大切にしそうだから。夏休みなんて特にさ。宿題も多かったし、時間が取れないと思って」


 獅子王さんは運動も勉強もできる文武両道の秀才で、お嬢様だ。


 だからこそレオの〈GoF〉でのプレイ時間を考えると、夏休みはかなり過密スケジュールになると思った。


「……そっか。大丈夫だよ。短時間でも質のいい睡眠を心がけてるからね。毎日HP満タンのリフレッシュ」


 ドヤ顔で笑う獅子王さん。

 獅子王さんの生活環境を考えれば、十分に可能なのだろう。


「睡眠は大事だよね。俺は特にこだわってないけど」

「そーなんだ。確かにウサボン……兎野君は夜更かし気味だったしね。夏休みはいいけど、学校が始まったからにはお互いに気をつけないとね」

「二学期はイベントが多いからね。しかも体力勝負が多いし……俺にとっては苦難の日々だよ」

「体育祭に、文化祭。兎野君、身体を動かす系苦手男子?」

「運動というよりは、団体行動かな?」


 俺は口下手で人付き合いが苦手だ。

 苦手になったというのが正しいか。小学生まではまだ平気だった。


〈GoF〉を始めたきっかけも、リアルで話せるように練習をするためだった。

 まあ、効果があったのかは不明で、日陰者のネット弁慶になってしまったわけですが。


 母さんの紹介で夏休みから始めたバイトの方がまだ効果があったくらいだし。


「え? でも、〈GoF〉のパーティー狩りじゃHPもスキルもヘイト管理も完璧で、狩り後の精算もスマートじゃん。仕事できるマンだよ」

「ゲームはみんなと同じ話題が共有できるからさ。なんとかやっていけるだけだよ。リアルじゃ……その、なにを話していいか分からなくって。それに」


 目が隠れるくらいまで伸びた前髪をいじる。


「〈GoF〉は理想のキャラクリにロールができるけど、リアルじゃ難しいし」

「……うーん。そっか」


 さっきまで明るく話していた獅子王さんが口数少なく頷き、それ以上は聞いてこなかった。


「ごめん。こんな話されても困るよね。そもそもなんの話だっけ……って、そうだ。〈GoF〉で同じギルメンが、リアルにいて驚いたって話だったよね。いや、本当にまさかレオが獅子王さんだなんて驚いたよ――」


 ……って、あれ?


 冷静に考えて。

 今俺は女子と。

 しかも学園一の有名人である獅子王さんと普通に話しているのか?


 瞬間、全ての思考が吹っ飛んだ。


「ほんとほんと! まさか同じ学園で、クラスで、ネトゲでも同じゲームのギルドって凄い偶然でウケるよね! しかも元結婚相手ってどんな確率の話だよ! 運命か!? ディスティニー! って話で……あれ?」


 楽しく話していた獅子王さんも固まった。


「元、結婚、相手? あ、その、ね。ほんと……その……いや、ほんとにね。ウケるとか茶化してる場合じゃないよね。何様だよ私って、ほんと……一回死んでからのリザキルされとけって話だよね。私ってほんとバカ」


 獅子王さんは血の気の引いた顔になり、肩を落とした。今にも口から魂が飛び出し、暑さで身体がとけてしまいそうだ。


 ……無理もない。


 ネトゲとはいえ、俺たちは元夫婦で離婚したばかり。

 しかもあんな別れ方をした後だ。


 別に恋愛関係でもないし、恋愛感情もなかった。


 相棒というか……友達だ。友達以上親友未満のような。

 親友なんてできたことないから親友ラインを知らないんだけど。


 それでも気まずい雰囲気にならない方がおかしい。


 まさかリアルで出会うなんて突拍子もないイベントに加えて、暑さのせいで思考力がオーバーヒートしていただけ。


 感覚が麻痺していたから普通に話せていた。

 現状を把握してしまえば、途端に声がでなくなってしまう。


 なにを話せばいいか分からない。


 謝る? 言い訳? 納得のいく説明? ごまかして話題をそらす?

 そんな高等テクができるのなら、昨日の時点でスマートに解決している。


「ごめんなさい!」


 俺が悩んでいる間に、獅子王さんがまた頭を下げてしまった。


「昨日はちょっと……いや、結構どうかしていたというか。さっきもひどい愚痴を吐き出しちゃったし……兎野君に当たっちゃって本当にごめんなさい。とにかく! 百パーセント私が悪いからさ! 兎野君はなんにも気にする必要はないからね!」

「いや、獅子王さんが百パーセント悪いなんてないよ!? 俺だってあんな素っ気ない返答しかできなくてごめんなさいというか!」


 ようやく声が出せたが、最初に戻っただけだ。


「ううん。百パーセント私が悪いんだよ。兎野君は絶対に悪くない」


 獅子王さんは折れない。


「って、言っても私の言葉に説得力なんてゼロだよね」


 どうすれば獅子王さんの気持ちを楽にさせられるのか分からない。


 あれだけネットで話してきたはずなのに、リアルでは気の利いたことを一つも言えやしない。


 俺があれこれ考えている間に、獅子王さんはどんどん言葉を発していく。


「とにかく。だからね。せっかくの楽しいゲームで、嫌な気持ちにさせてごめんなさい。私が言いたいのはそんな……感じ。兎野君はこれからも〈GoF〉をみんなと楽しんでほしいな」


 レオではない獅子王さんが笑う。

 まるで引退宣言だ。

 このままじゃ駄目な気がする。


 ネトゲでリアルに踏み込むのは難しい。

 でも、今俺はリアルで話しているのだから、その前提は崩れているはずだ。


 だから。


「あの、獅子王さん! 今日の夜あいてる!?」

「え? 兎野君?」


 獅子王さんが引き気味に驚いたのを見て、我に返る。

 ……俺はなにを言ってるんだ? いや、こうなったらもうどうにでもなれ!


「あ、その。だから。もう一度ちゃんと話をしたいから。今日〈GoF〉で話せないかなって」

「……まだ私のワガママに付き合ってくれるの?」

「俺も獅子王さんには〈GoF〉を楽しんでほしいから。嫌な思い出を引きずってほしくないし」


 逆にリアルで言えない俺でもネットなら言えるはずだから。

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