第135話 明菜への電話2

「ひどいことしたのは俺だから」

 声が少しかすれた。

 これは僕の懺悔ざんげだ。


「え、自覚があったの」

 そんな言葉を僕の口から聞くのは、明菜ちゃんにはかなり意外だったようだ。


「うん、明菜ちゃんの態度が、あれからおかしくなって、

あの時のことをよく思い起こしてみたら、自分の非道が分かったんだ」


 話し言葉では、あまり使わない言葉だから、明菜ちゃんには、うまく伝わらなかったみたいだ。


「ひどうって」


「人にあらざる悪行あくぎょうということかな」

 説明すると、大悪人の所業みたいな響きだ。


「そこまでじゃないと思うけど」

 小さな笑いが含まれた答えが返って来て、ほっとした。


「今から行っても良いかな、調子悪いなら、何かお世話をしたいんだけど」


 少しばかり、明菜ちゃんが心を開いてくれたように感じたので、思い切ってそう訊いた。


「でも、私達別れたんだし」

 声が小さくなった。


「俺は、明菜ちゃんの口から、別れたいとか、別れるとか、まだ言われてないよ」


「そうかもしれないけど」


「俺、あのメール見て、初めは意味が分からなくて、それでも直感的に、灯火(=宇多田ヒカル)の歌に関係あるんじゃないかと思ってさ」


「うん」


「灯火のというブログの、管理人のキャベジンさんにすぐメールして、謎解きを手伝ってもらったんだ」


「え、そうだったんだ」


 明菜ちゃんは、僕のブログに掲載した、灯火のコンサートの記事を読んだのだから、それにコメントを入れたキャベジンさんのことも知っているかもと思ったが、やはり知っていたようだ。


「俺、灯火(宇多田ヒカル)の歌を、ずっとBGMみたいに聞いてたからさ、『A・S・A・P』の文字だけ見ても歌に繋がらなくて、英語の意味も知らなかったから、、津田沼駅に行くの遅くなっちゃって」

 また僕の声は、あの時の灯火の歌唱のように少しかすれだした。


 電話口の向こう側で、息を呑む気配が伝わって来た。

「あの夜、駅に来てくれたの」

 それほど意外だったのだろうか。

 信じられないといった感じだ。


「多分、もう少し早ければ会えたんじゃないかって思う。

 ロータリーをとぼとぼと歩いて、顔を上げたら、見覚えのあるハンカチがポールに巻かれて風にそよいでた」


「ハンカチも見つけてくれたんだ」

 その声に、明らかに生気せいきが戻って来た。


「そうだよ、あの日からずっと持ち歩いている。

 今も持ってる。

 ルージュの色は少しうすくなったけど」


 これはウソじゃなかった。

 僕は肩掛けバッグにあのハンカチを入れて、そのまま入れっぱなしだった。

 でも、いつしかその存在を忘れかけていたのだから、半分はウソだった。

 それでも、この言葉は響いたようだ。


「そうだったの、あの時、もう少しだけ待てば良かったかな」

 嬉しそうで、残念そうな声だった。


「そうだよ、そうしてくれたなら、」


「あの人と付き合わなかった?」


「おそらくね、、あ、渡瀬さんと俺が付き合い始めたことは知ってたの」


 口調が明るくなって来たので、ついついそんなことを訊いてしまった。


「知らないけど、そうなるとは思ってた」

 明るさに少し暗い影が差した声。


「でも、今はそれは置いといて。

 君に会いたいんだ。

 きちんと目を合わせて謝りたい」


「別に、謝ってもらう必要はないけど」

 少しねたような響きだ。


ゆるしてもらいたいんだ、ちゃんと会って、話をして、それで、」


 僕が言い終わらない内に、快い返事が返って来た。

「うん、じゃあ家に来てくれるの」


「住所、教えて、今控えるから」


「うん」


 明菜ちゃんは、船橋市前原から始まる住所を教えてくれた。


「俺、今、相模原市さがみはらしの橋本駅の近くにいて、今から電車とバスで向かうから、津田沼からバスはどこ行きに乗れば良いかな」


 明菜ちゃんは、津田沼駅北口バスロータリーの乗り場番号と、行き先名と、降りる停留所の名前を教えてくれた。


「停留所に着いたら、電話して。

 道順を説明するから、徒歩で三分位だから」


 この時の僕は奈緒美のことをすっかり忘れて、探していた人に会えることに気がはやっていた。


「橋本から、津田沼まで二時間は掛からないと思うけど、少し遠いのでしばらく待ってて」


「今日は外に出る気力がないから、ずっと家にいるよ。

 来てくれるなら、自分の夕飯はどこかで買ってきてね」


 やさしい響きにほっとした。


「うん、じゃあ後で」


「うん」


 明菜ちゃんとの電話を終えてから、約束通りに奈緒美に連絡した。

 明菜ちゃんに朝から腹痛があるので、これからアパートに行くと伝えると、少し間を置いてから、奈緒美は複雑そうな声で言った。


「うん、分かった。

 できるだけ早く行ってあげて。

 病院に連れて行くことになるかも知れないから」


 妊娠時には、そんなに強い腹痛があるものなのかと、勝手に奈緒美の言葉を了解した。

 ともあれ、前の恋人に会いに行けと言える、、奈緒美の寛容性に驚くが、許可が出たことで、僕はたいそう気が楽になった。

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