第110話 質問とテスト
「今日は、急に押し掛けるみたいになってすみません」
「良いの。
私が今日来てって言ったんだから」
「用件さえ済めばすぐ帰りますから」
「別にすぐ帰らなくてもいいよ」
「でも、女一人の部屋に長居する訳には」
「余計なこと言わないで」
むかついたが僕は口を閉じた。
(一風変わった所がある女か。
短気を起さずゆっくりとね。)
小雪は薄気味悪く笑った。
「西田智也君。二十五歳。
ローサンでバイト中。作家志望」
僕は小雪を見たが、言葉は返さなかった。
「奈緒の恋人。
奈緒も到頭恋人作ったのか」
僕は、相変わらず口を閉ざしていた。
「奈緒のこと、どの位好きなの」
小雪の質問の意図が分らず、僕はうつむいた。
「答えて」
「これは尋問なのか」
「ただの質問よ。
私に訊きたいことがあるなら、あなたも私の質問に答えてよ」
「分ったよ。
僕は奈緒美が大好きだ。
誰よりも好きだよ」
「ふうん」
「ふうんて、何だよ」
「怒らないで」
「別に怒ってないよ」
「そうかな。
智也君、アイスコーヒー飲む」
黙って頷くと、小雪はダイニングへ行った。
どうも美大の女は、変わった人が揃っている。
これじゃどっちが年上だか分らない。
小雪は、スタバのチルドコーヒーを二つ、小さなテーブルに置いた。
深煎りの苦そうなヤツだ。
「ラテの方が良かったのかな」
「いやエスプレッソは飲んだこと無いから、一度飲んでみたいと思っていた」
「柔軟だね」
「どういう意味」
「そのままの意味」
「ふうん」
余裕があった訳じゃない。
ただ、どうすれば良いのか分らなかっただけだ。
僕は出された紙カップの蓋を外し、ヨコにくっ付いているストローは使わずに、直接中身に口を付けた。
味はよく分らなかったが、おいしいと言った。
「智也君、結構おもしろいね」
「そんなこと、言われたこと無いけどね」
「今日も、私が指定した場所へ来たし。
怖くなかったの」
「少しだけ怖かった。
君がどんな人かよく知らないし」
「素直だね」
「まあね」
「勇気もあるし」
「それはあまり無い」
小雪はストローを突き差すと、驚くほどの速度で、エスプレッソを一気に飲み始めた。
あっという間に飲み終え、おいしそうな顔をする。
そういう飲み方もあるのか、といたく感心した僕は、カップの残りを始めの三倍速でやっつけてみた。
強い苦味が口中一杯に広がった。
そんな僕を小雪は愉快そうに見ていた。
「どうして私に早く会いたかったの。
奈緒に紹介を頼めばよかったのに。
それまで待てなかったの」
「どうしても確認しておきたいことがあるからさ」
「何よ」
「君と奈緒美の間でやった採血のこと」
「やっぱり奈緒はあんたに話したのか。
少しがっかり」
「どうして」
「奈緒が、あんたのことを本気で好きなのかと思ったからよ」
「多分、そうだと思うよ」
「自信家なのね」
「そうじゃないけど、分るんだ」
「じゃあ、血の儀式のことは全て聞いてるの」
「全てかどうか分らない。
君と自分にしか分らない、と奈緒美は言ったしね」
「それを確かめに来たのね」
「うん」
「じゃあ、再現してあげるから。
腕を
試すつもりなのか。
小雪は、冷たく刺すような目付きで、僕を見つめた。
少しの間
しかし、ここに来たのは、奈緒美が、僕には分らないと言ったからだった。
覚悟を決めて、青いライダージャケットを脱いだ。
長袖Tシャツの左袖を、肘の上まで捲った。
小雪は、少し驚いたような顔をした。
勇気があるね、などと言いながら、実は僕のことを見くびっていたに違いない。
小雪は立ち上がると、隣室へ向いドアを開けた。
大き目のナイロンバッグを、右手にして出て来た小雪は、ダイニングテーブルの上に置いて僕を呼んだ。
言われた通りに、僕は対面の椅子に腰掛けた。
バッグのファスナーを二つ開けて、小雪は、一巻きの道具袋の様なものを取り出しテーブルに長く広げた。
僕の目は中身に釘付けになった。
大小の注射器と、注射針が透けて見えるプラスチックケース群。
平ゴムのベルト、ゴム管、小さなガラス管が数本、ガーゼ、テープ、鋏、ピンセットなどが確認できた。
薄透明の袋に入った、脱脂綿みたいなものもある。
「それはお姉さんのものなのか」
「私のものよ」
「こんなもの、どこから手に入れたんだ」
「姉からよ。
そんなこと訊いてどうするつもり」
「別に」
「じゃあ余計なこと訊かないで」
「分ったよ」
小雪はもう一度、バッグの中に手を入れ、金属製の試験管立てのようなものと、長方形のステンレス製トレイを取り出した。
そして長巻にセットされたガラス管の中から、三本を取り出し管立てに立てた。
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