第102話 ばれる

 僕はサンシャインの小さな水族館より、こっちの方がずっと好きだ。

 まぐろの群れが、高速で泳ぎ回る円筒形の大水槽も好きだし、全身が黄色く輝く美しいうつぼと、ナポレオンフィッシュが居る水槽も好きだ。


 ここでも奈緒美は、様々な魚たちよりも、水槽の中を覗き込む、子ども達の笑顔の方に、ずっと興味を惹かれているようだ。

 そして僕は、そんな奈緒美の姿を追い続けた。


 周りをドーナツ状に、大水槽が取り囲む広場みたいな所で、僕は座って、奈緒美が隣の席に戻って来るのを待っていた筈だが……

 薄暗い空間の中で、つい居眠りをしてしまったのだろうか。


(痛い!)


 声を出したかどうかまでは分らないが、突然襲われた痛みで目が覚めた。

 鼻に手をやると、バンドエイドが半分ほど剥がれている。

 これを剥がしたのは、左に座っている奈緒美らしい。

 僕はバンドエイドを貼り直してみたが、端っこだけは外側にはねてしまった。


「何するんだよ」


「思った通りね」


「何が」


「誰かとケンカしたの」


「傷を見る為に剥がしたのか」


「うん」


「箱の角がぶつかっただけさ。

 そう言ったろ」


「うそだ。

 何があったのか教えてよ」


「嘘じゃないよ」


「なら良いよ。

 私ここから電車で帰る」


 奈緒美がすっと立ち上がる。


「待てよ」


「じゃあ本当のこと教えて。

 智也の隠し事、私凄くイヤなんだ。

 私の光になりたいって言った癖に」


 そこまで言われたら、僕は一体どうしたら良い。

 咄嗟とっさに巧い考えは思い付かなかった。


「昨日、実はケンカしました」


「誰と」


「コンビニに来た客と」


「そんな訳ないじゃん」


 僕は溜息を吐いた。


 奈緒美は、僕の目を凝っと覗き込んでから言った。


「それ、もしかして木村君じゃない」


「誰、その人」


「コンサートへ一緒に行った人。

 コンサート終ってから、智也にケンカ売った人だよ」


 一度はごまかしてみたものの、あまりにぴったりと言い当てられて、それ以上何も言えなかった。


「あの人、一人じゃなかったでしょ」


「まあね」


「それ位で済んでるとしたら、お金とか盗られたんじゃないの」


「いや、木村はやっつけた」


「ウソ」


「そりゃ、信じられないだろうけれどね」


「智也。そんなに強かったの」


「いや。ケンカなんか強くないよ」


「じゃあ誰か助けてくれたの」


 また溜息が出た。

 誠くんに口止めしたのに、肝心の自分がこれじゃあ全く情け無い。

 なんてザマだ。


「警察?」


「誠くんだよ」


「いずみの弟の?」


「そうさ」


「どうして誠くんが」


 僕は、道場で彼が聞いた襲撃計画や、それを見事に阻止してくれた、彼の活躍の一切を話した。

 もちろん、木村から最後に聞いた話だけは除いて。

 奈緒美は、誠くんが無傷だったことを知って、初めてほっとしたようだ。


「木村君、また智也を襲ったりしないかな」


「大丈夫だよ、それは。

 誠くんがかなり脅しを掛けたからね。

 僕が木村だったら、誠くんの仕返しが怖くて手は出せない」


「そんなに強いんだ、誠くん」


「彼は柔術の達人かもね」


 僕の答えですっかり安心した様に見えたが、暫くすると奈緒美の表情が曇った。


「木村君、何か言ってなかった」


「捨てゼリフさえ言えなかったさ。

 誠くんにもう行けと言われたら、尻尾を巻いてさっさと逃げて行ったよ」


「ほんとに?」


「ほんとさ」



 奈緒美が気にしていたことは、やはり小川との一件だろうか。

 だから、あっさりと引き下がったのか。

 奈緒美を見守りたい、守ってやりたいと思う一方で、僕は渦巻く嫉妬の感情を中々制御し切れずにいた。

 奈緒美の光になりたいと宣言した癖に、僕にこそ正しい導きの光が必要だった。


 薄暗い水族園を出た僕たちは、大観覧車に向った。

 眩い程明るい太陽光に照らされ、光線を強く照り返す、色取り取りな花や木々を眺めながら、幾つかの草木の名前を当て合って歩く内、気分は自然と和んで来た。

 隣の奈緒美もきっと同じだろう。


 地上一一七メートル。

 六人乗りの大型ゴンドラに、カップル二人だけ。

 なんて贅沢な浮遊空間だ。

 最近になって、相席が廃止されたことを僕は感謝した。

 高度が上がるに連れ、東に東京ディズニーランドが広がった。

 僕らの為にシンデレラ城が輝いて見える。


「次のデートでは、シンデレラツアーを楽しんでみようか」

「私は、昼のパレードを見たいな」


 奈緒美が指差す、西方向にレインボーブリッジが見えた。

 その近くに観覧車が見える。


「あれにも乗ってみたいね」


「お台場へ行ったら、絶対一緒に乗ろう」


 あの辺りが東京湾の真ん中だろうか、遠く真南の方向に、東京湾アクアブリッジと海ほたるらしきものが見えた。

 海の真ん中で橋が終っている。

 何とも不思議な景色だ。

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