第101話 船橋イケアから葛西水族館へ(高速道タンデム走行)

「まだ痛むの」


「痛みはましになったけど、腫れが中々引かないんだ」


「後でチュしてあげる」


「ホント?」


「そんなに、ヨ・ロ・コ・ブ・ナ!」


 確かに僕は、奈緒美のキスを期待して素直に喜んだ。

 油断したせいか、またあくびが出た。


「眠いの?」


「なんで」


「さっきからあくびばっかり。

 イケアはそんなにつまらないかな」


「そんなことないよ。結構楽しい」


「寝なかったの? ゆうべ」


「中々寝付けなかった」




 昨夜、誠くんをバイクで本中山に送ってから、帰宅したのが午前一時半。

 寝床に入ってからも、ずきずきする鼻の痛みと、ケンカの興奮で中々眠れなかった。


 それに……あの木村次郎の話が、全て事実じゃないとしても、ある程度事実に沿っているとしたら。

 奈緒美は、中学時代の忌まわしい経験を、今日まで、どれだけ引きずって来ているのだろう。


『Addicted To You 』を聴いていた時の、あの顔。

 苦しくても、奈緒美が毎日会いたかったのは、中学時代の音楽教師小川なのか。


 嫉妬しているのか、奈緒美を心配しているのか、考えている内に、自分でも次第に分らなくなっていた。

 問い詰めたい。

 暖かく見守りたい。

 感情が激しく揺れ動き、胸の内が苦しくなって来る。

 朝刊を配達する、バイクの音を聞いた覚えがあるから、眠りに着いたのは恐らく、明け方近くだった筈だ。




 強張り掛けた顔を、無理やり笑顔に戻した。

 恐らくは下手糞な笑顔。

 奈緒美は心配そうな表情を見せた。


「何かあったの」


「いや、今日初めて、奈緒美とデートすると思って興奮し過ぎちゃっただけさ」


「初めてじゃないじゃん」


「外でデートするのは初めてだよ」


「そうか」


 奈緒美が、それで納得したかどうかは分らない。

 奈緒美は人差し指と親指を使って、僕の鼻の形に沿って、上から下につまむ様にして撫でた。

 痛みが走って、思わず顔が歪む。


「かなり腫れてるね」


「あの段ボールめ。

 角から顔に落ちてくるなんて」


「嫌われたんだね、箱に」


「そうかも」



 おなかをちょっぴり満たした二人は、キッチン関係と、カーテンコーナーなどで、笑顔探索の続きをやった。


 形ばかりの小物を買ってレジを出ると、奈緒美の三つ目の目的が見つかった。

 イケアのビストロ超人気メニュー、レギュラーホットドッグセット。

 パンからはみ出すほど、大きなソーセージに、ジグザグ模様のケチャップと、たっぷりマスタード。

 ドリンク付きで、たったの百八十円。

 ソーセージはさっきとダブるけれど、

『そんなの関係ねえ』(笑)

 奈緒美はソフトクリームも買った。


「それ幾ら」


「五十円」


「やっすぅ」


「もう一つ買って来ようか」


「おごってくれるの」


「良いよ。夕飯は智也のおごりね」


「なんでやねん」


 ぬるい会話と、安くてうまいホットドッグとソフトクリーム。

 そして、なんと言っても奈緒美のおいしそうな顔。

 こんなに幸せな気分でいられるなら、過去なんて、今はどうでも良いとさえ思えた。

 いつか奈緒美が、自ら話してくれるまで。

 ヒカルの歌詞に出て来る、「平日の午後」ではないが、土曜日の午後は、水曜日の約束通り水族館へ行くことにした。


 湾岸道路を少し行くと、並行して走る東関東自動車道の市川ICが見えた。

 右を指差すと右肩を軽く叩かれた。

 念の為振り返る。

 奈緒美は目を合わせて頷いた。


 明菜ちゃんといい、奈緒美といい、僕の知っている女は、やけに度胸が据わっている。

 高速の二人乗りが認められたのは、僅か一年前の二〇〇五年四月からだが、友人を後ろに乗せて高速に入ろうとして、その友人から断られたことがある。

 高速の二人乗り走行は見たことがない、と言うのが断りの理由だった。

 安全なら、とっくに道交法上許されていた筈だろうとも彼は言った。



 浦安を過ぎ、右カーブが近づくと、左手に東京ディズニーランドが見えた。

 それから間も無くして、旧江戸川をまたぐ、舞浜大橋の上り坂に差し掛かる。

 ここを超えるともう東京だ。


 葛西ICが近づき、左に車線変更した時背中を叩かれた。

 奈緒美は、右手を進行方向へ向けている。

 僕は首を振った。


 奈緒美は、池袋サンシャインシティの水族館を考えていたのかも知れない。

 僕はそのまま葛西を降りて直ぐの、葛西臨海公園へ向った。

 幸いなことに、それほど混雑してはいないようだ。

 公園の駐車場でバイクを停めて、奈緒美から紅いヘルメットを受取った。

 シートの中に、二つのヘルメットを納めると、それだけで一杯になった。


「東京まで行きたい気分だったんだけどな」


「ここだって東京の江戸川区だよ」


「私の意識では、ディズニーランドと、その隣の、葛西水族館までは千葉県だけどね」


「(旧)江戸川を渡れば東京」


「でも合図したのに、どうしてここで降りたの」


「首都高では、まだ一部しか二人乗りが認められていないんだよ」


「でも途中の千鳥町からは、首都高だよね。

 別料金払っていたし」


「確かにそうなんだけどね。

 首都高環状線は、狭い上にカーブと分岐だらけだから、環状線と、そこに繋がる路線は、今でも二人乗りを制限しているんだ」


「そうなんだ」


「それにしても、奈緒美は度胸あるな」


「そうでもない。

 智也だから信頼して後ろに乗れるの」


「さんきゅ。信用してくれて。

 でも俺も首都高環状線は怖いよ」


「そんなこと言われたら私、帰りは高速乗れないよ」


 葛西には少し不満もあったようだが、水族館のエスカレータに乗った時には、奈緒美の目は既に期待に輝いていた。


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