第100話 土曜日のデート

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 九月三十日の土曜日朝。

 奈緒美の住むマンションの下で、智也がバイクのクラクションを遠慮がちに二度鳴らすと、三階の窓が開いて奈緒美が顔を出した。


 エントランスから出て来た奈緒美は、珍しくジーンズを履いて、上はTシャツとスタジアムジャンパーと云う格好だった。

 これならタンデムにジャストフィットだ。

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 始めはイケアに行ってみたいと奈緒美は言った。

 一体何を買うつもりなんだろう。

 家具屋で買い物しても、バイクには何も載せられないっていうのに。


 そんな疑問はおくびにも出さず、僕は二つ返事で、JR京葉線南船橋駅の南側へとバイクを走らせた。

 明菜ちゃんをバックシートに乗せた時の思い出が、頭をよぎり直ぐに消えた。

 奈緒美とタンデムで乗るバイクは楽しいし、嬉しいし、気持ちが良い。


 喜びに浸っている今、過去の小難しい感情は一時、薔薇色に染まる感情空間に、場をすっかり明け渡してくれた。


 目的地が近づくに従って、早くも周辺道路の渋滞が始まり掛けていた。

 こういう時もバイクなら楽チンだ。

 雨風を凌げないし、荷物は僅かしか積めない。

 夏は背中が焼けるように暑く、冬の防寒対策は重装備になって大変だ。

 数え上げればキリが無いほどの欠点を、忘れさせてくれるほどに、ありがたみが分るのはこんな時だ。


 どの施設にも、駐車場スペースは十分用意されているようだが、ここへ来るのに、僕だったら四輪自動車を使う気にはならない。

 この地区の渋滞の原因は、大型レジャー施設の集中と、南方に東京湾と繋がる京葉港があるせいだ。


 駅の南西側には、僕らの目的地たる巨大家具センター・イケアと、公益ギャンブルの船橋オートに、ららぽーとのテニスコートなどがある。


 駅の北側に当る、京葉線線路と湾岸道路の向こう側には、ららぽーと東京ベイと、ビビットスクウェアが並んでいる。

 超大型ショッピングセンターの隣に、同じ様な大型SCのビビットが、どうして進出して来たのか、始めはその意図が全く理解できなかったが、そちらにも買い物客は集まっているようなのだ。

 専門店モールと、ディスカウントストアの集合体であるパワーセンターは、競合リスクより相乗効果の方が大きいのかも知れない。


 北側にはもう一つ、船橋競馬場があるが、周辺の道路事情と、同じ船橋市内に中央競馬の中山競馬場がある関係からか、土日の開催や、ナイター競馬は認められてないようだ。

 まあそれ位ここは、週末の道路混雑が酷いということなんだ。



 実は僕は、イケアに来るのはこれが初めてだった。

 ここには四年前(二〇〇二年)まで、スキードーム・ザウスが営業していた。

 日本で一番と言うより、世界一大きな室内スキー場だったが、利用料金が僕にとっては少し高かったので、一度利用してみたいと思っている内に、残念ながら廃業になってしまった。

 中空に浮かぶ、あの巨大構造物が二年前に解体され、その広大な跡地の一部に、スウェーデンから進出して来たのがイケアだ。

 今年の春オープンした、このヨーロッパスタイルの家具センターも、馬鹿でかくていつも混雑しているようだ。


 どういう訳で家具屋さんに、それほど人が集まってくるのだろうか。

 今日来てみて初めて分った。

 商品価格はリーズナブルだし、家具関連の品揃えは充実しているし、DIYも凄い。

 レジャー施設並の、楽しい作りが随所に工夫されている。

 特に二階の巨大レストランはメニューも豊富で、その選び方がまた楽しい。ファミリー客向けに、小さな子どもを預かってくれる施設もあるし、特大サイズのカートを、店内から駐車場まで楽に移動できる、考えつくされた、ユーザーフレンドリーな設計なのだ。


 入口でえんぴつと、オーダーシートと、メジャー、イエローバッグのセットを受取った。

 普通はこれで買い物を進めて行くらしいが、僕らの場合はただのアリバイ工作だ。


 奈緒美の目的は買い物ではなく、人の顔を眺めることらしい。

 特に笑顔の収集。

 小さな子ども連れのファミリー、恋人たち、若い夫婦、確かに笑顔がたくさん見つかった。

 奈緒美は、グループ展用に絵を描くつもりらしい。

 そのテーマが笑顔なら、ここはうってつけかも知れない。

 ベッドコーナーでは、買うつもりも無いのに、隣の新婚さんらしきカップルを盗み見する為、僕までベッドを選ぶ振りをさせられた。


 突然、奈緒美は携帯の時計を確認した。


「あ、そうだ。もうレストランへ行かなくちゃ」


 奈緒美に引っ張られるようにして、二階のレストラン&カフェに向った。

 少し並んだが無事オーダーできた。

 九九円のモーニングプレート。めちゃ安い!

 このメニューは、午前十一時でラストオーダーとなる。

 ふわふわオムレツに、ソーセージと温野菜がたっぷり。

 これがイケアに来た、二つ目の目的だったようだ。


「見慣れたら、その鼻のテープ可愛いね」


「そうかな」


 僕は鼻に貼った、大きなバンドエイドを撫でた。

 奈緒美と遊んでいて、殆ど忘れかけていたが、触ってみると鼻はまだずきんと痛む。

 ゆうべ木村次郎に襲われた時、仲間の一人に頭突きされてできた怪我だった。



 今朝顔を合わせた途端、母親から

「どうしたの、それ」と言われた。

 ローサンの倉庫を整理していて、棚から段ボール箱が落ちて来たと言い訳したが、母はかなり疑わしそうな顔を見せた。

 鏡を見ても、殴られたものと一目で分りそうだった。

 だから患部全てが隠れる様な、大型バンドエイドを貼ることにした。

 奈緒美は、僕の言い訳を信じたみたいで安心した。

 作戦成功。

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