第92話 リンチとジャッジ
「あんた、渡瀬さんの何なんだ」
「何だって良いだろ。
これからちょいと遊んでやっからよ。
その後でも、てめえにまだ訊く元気が残っていたら教えてやらあ」
ジロは、恐怖心を浮かべた僕を見て、満足そうにあざ笑った。
両脇の男達は、抱えたまま僕を前に少し突き出した。
ジロがボクシングの構えを見せる。
「俺のスパーリングパートナーになってもらおうか」
突然両側の支えを失った僕は、つんのめって一歩飛び出した。
目の前の男に殴られると思ったのに、そのジロは、口を半開きにさせたまま僕の後方を見ている。
さっきまで両腕を抱えていた男二人は、僕の両側で倒れていた。一体何が起きたんだ。
「てめえ、何のつもりだ」
ジロが叫ぶと同時に僕も振り向いた。
背の高いジャージ男が立っていた。
見覚えのある丸顔の若い男だ。
「あんたらの試合を、ジャッジしてやろうかと思ってね」
優しい響きの声にも覚えがある。
どうしてここに、円城寺誠くんが居るのかさっぱり分らなかったが、彼が一瞬にしてこの二人を倒したことだけは分った。
うずくまっていたのっぽの男は、頭を振りながら虚ろな目を声の方向に向けた。
表情がそのまま固まったと思った直後、怯えが浮かび上がった。
男は慌てて周囲を見渡した。
側に倒れている片割れを見つけた男は、横に取り付くと同時に乱暴に揺すぶった。
漸く目を覚ました片割れは、まだ軽い脳震盪を起しているらしい。
ぼんやりとしたまま、寝起きの様にゆっくりと立ち上がり、のっぽの指差す方向に顔を向けた。
誠くんが「よお」と笑い掛けた。
男は引きつった顔で直ぐ目を逸らした。
やられた二人は、誠君と面識があるようだ。
長短二人の男は、それぞれ反対側の首筋をさすりながらジロに顔を向けた。
「ジロ、悪いな。
俺たちは用事を思い出したから、これで帰るわ」
「わりぃな」
誠くんが、わざと一歩踏み込んで見せると、二人は
それでも誠君は眉一つ動かさず、さらに一歩前に踏み出してジロと対峙する。
仲間二人が逃げ出した方向を尻目に、ポケットに手を突っ込んだジロは、恐怖心を
「アッタァ来た。くらえ!」
誠くんが左膝を上げた直後、その足先が、獲物に食らい付く、蛇の鎌首の様な動きを見せた。
ツイストした足先が、ジロの手首に絡み付いた途端、ナイフは数メートル先へとすっ飛んで行った。
ジロはそのまま両膝を落とし、右手首を左手で強く掴んだ。
蹴られた右手が痛いのか、強い痺れが残ったか、ジロは明らかに戦意を喪失した。
「誠くん、どうしてここへ」
「通り掛かっただけですよ」
そうとは思えなかったが、強力な味方の登場で、僕はすっかり安堵した。
彼がブラジリアン柔術をやるとは聞いていたが、これほどまでの達人とは思ってもみなかった。
「助かったよ。
どうもありがとう」
「別に助けたつもりはないですよ。
まだタイマン勝負が残ってるようだしね」
誠くんは無表情にそう答えた。
この襲撃に関して、彼が何らかの事情を知っているらしいことだけは分った。
「てめえ、ガキの癖にどういうつもりだ」
ジロは既に立ち上がっていた。
手の痺れが取れて、元気を取り戻したみたいだ。
誠くんは、ジロに対して無表情に答える。
「三対一はフェアじゃないだろ」
手強い上に冷静沈着な若者に対し、ジロは再び
僕だって、こんな相手に行く手を立ち塞がれたら、どうして良いか分らないだろう。
ジロの声が小さく掠れる。
「誰なんだよ。てめえ」
「誰だって良いさ。
逃げたお友達に訊けよ」
ジロは、高校一年生よりもボキャブラリが乏しい。
もう少し勉強したらどうだ。
僕は傍観者の立場になって、すっかり余裕を取り戻していた。
「二対一はフェアなのかよ」
「一対一で、エモノ無しなら手は出さないさ」
なるほど。
ジャッジとかタイマン勝負と言う言葉は、満更ジョークでもなかったようだ。
「そういうことか」
「悪いね」
誠くんは僕の呟きに対し、そう答え、口の端だけで笑った。
ジロが会話に割り込んだ。
「コイツとサシでやらしてくれるってのか。
嬉しいね」
ジロは僕を見て「残念だったな西田」と肩をすくめて笑った。
誠くんはジロを
「君はここへ何しに来たんだ」
「見物ですよ」
「見物って、これはやっぱり奈緒美さん絡みなのか」
「トモヤン。
あんた、まだそいつが誰だか分らないのか。
コンサートのクソ野郎だよ。
名前は木村次郎。
トモヤンの記事を読んだ時、俺もこの男だけは許せなかった。
灯火ちゃんがあんなに頑張ったのに」
僕は、突然あることに思い当たった。
「君は、僕の記事にコメントをくれた事があるね」
「あるかもね」
「君がマロン君か。
なるほど、君がいずみさんに、あの記事のことを教えたのか」
「急に鋭くなりましたね。
やっと作家志望らしくなって来たよ」
誠くんは、さも愉快そうに声を出して笑った。
「てめえら、さっきから何訳の分からないことばっか言ってんだ。
それによ、どうして俺の名前をお前が知ってるんだよ」
木村が喚き散らすと、むっとした顔を見せた誠くんは、大股でジロに近寄った。
毒づいたジロが後ずさる。
「木村次郎、あんたに説明する義理なんか全く無いね。
あんたに今手を出すつもりはないが、金と免許証は、この人に今すぐ返してもらおうか」
「てめえ、本当にコイツの味方はしねえんだな」
「素手でやるなら問題はないさ」
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