第56話 初体験

 明菜ちゃんは小さく頷いて目を閉じた。


 僕は上体を起こし右手で自重を支え、外の部分に触れないように注意して、柔らかそうな唇に自分の唇をそっと押し付けた。

 恥ずかしいことに小さく震えていた。

 明菜ちゃんも同じだった。


「もっと強く」


 言われるままに強く唇を押し付ける。

 明菜ちゃんの唇が僅かに開くのを感じて、恐る恐る舌を差し入れた。

 上下の歯の隙間に明菜ちゃんの舌先があった。

 明菜ちゃんは身を固くしながらも僕の舌を絡め取った。

 夢の様な浮遊感の中で舌を絡め合うと、どこか甘酸っぱい味がした。


 明菜ちゃんが再び身を固くするのが分った。

 いつの間にか僕は彼女に覆いかぶさって、右手で柔らかな乳房を揉みほぐしていたのだ。

 頭の中に快感とは違う痺れが走り、右手が凍りついた。

 明菜ちゃんは、掠れ気味に小さな声を出した。


「ここじゃダメ」


「うん」


 強張った右手を離した。

 拒否されてないことがわかっても、男として何を言ったら良いのかわからなかった。


 一旦離れた二つの唇は、巻き付けられた細い腕で、首ごと引き寄せられ、再び一つになった。

 夢の様に長いキスが続いた。


「ホテルへ行かないか」


 思い切ってそう呟くと、明菜ちゃんは小さく頷いた。

 その顔は能面の様だ。

 僕の顔も、緊張で無表情になっているに違いない。


 キスする前の様に、二人は砂浜で仰向けになり、数少ない星を探しながら一言も口を利かず手を繋いでいた。

 やがて、どちらからともなく繋いだ手に力が入った。



 僕たちは勇敢にもタンデム走行で高速に乗った。

 東関東自動車道から、宮野木ジャンクションで京葉道路へと移り、穴川インターの出口で降りた。

 そして出口の前からずっと見えていた、ツインタワー型のラブホテルへ入った。


 僕たちは夜明けまで三回もした。


 一回目はぎこちなく始まり、緊張の中で終った。

 二回目は緊張も和らいで、お互いに自由に動き声も出せた。

 心地好い疲労感の中、二人は手を繋ぎ暫く眠った。


 夜明け前に僕がねだって三回目をした……


 二回目の後では、お互い身も心も愛に浸っていた筈だが、三回目の後の明菜ちゃんは、何かを思い詰めている感じで口数も少なかった。



 日曜日の早朝は、一般道はがらがらだったが、有料道路の東京方面にはそこそこ車の流れがある。

 風を切って二区間を一気に走り抜けたタンデムバイクは、京葉道路幕張インターの螺旋カーブで右バンクを掛ける。

 背中に愛する人の温もりと柔らかさを感じた。

 すっかり有頂天の僕には、行き先を遮るものが無い一般道を通ると、津田沼駅まであっという間だった。


 僕は自宅まで送るつもりで居たが、既に始発バスが出る時刻になっていて、明菜ちゃんは一人で帰ると言った。


 ゆうべの内に、明菜ちゃんはバイト交代を仲間に頼んでいた。

 今日はこれからゆっくり休めるだろう。


 明菜ちゃんの口数が少ないのも、顔色が悪いのも、僕が殆ど寝かせなかったからに違いない。

 二人の仲が思いがけず急進したことで戸惑いもあるだろう。


 しかしながら後になってみると、原因はどうやら僕自身にあったようなのだ……


 男女のことに単純過ぎた僕は、本物の初体験しょたいけんで気分が高揚していた。

 ソープで買った初体験とは、全く別ものだったから。

 愛のあるセックスで、男の子から大人の男になった。


 二四年の人生における歴史的事件を単純に喜んでいた僕は、自分のことばかりで相手の気持ちなど考えてもみなかった。

 本物の男になる所か、僕は男の風上にも置けぬヤツだった……

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