第55話 深夜の電話と砂浜
精神的に擦り切れた僕は、パジャマにも着替ずベッドに横になり、そのまま寝入ってしまったようだ。
『オートマモード』が耳元で鳴り響いていた。
目を擦って携帯を開く。明菜ちゃんからだ!
今から会えないかと明菜ちゃんは言った。
思い詰めた声。
僕はすぐ行くと答えた。
その声はバイクに乗ってみたいとも言った。
自宅でも津田沼駅でも、今すぐバイクで駆けつけると答えた。
津田沼駅前のロータリーで、明菜ちゃんと落ち合った僕は、漸く出番の回って来たタンデム用の紅いヘルメットを手渡した。
スクーターの運転経験があるせいか、明菜ちゃんは、後部シートに乗るコツを直ぐ覚えた。
僕は一人で乗る時に近いスピードまでアクセルを開ける。
京成線の陸橋を超え、真っ直ぐ海岸へと向かう。
やがて高速の京葉道路の高架下を抜け、さらに東関東自動車道の高架下を抜けると、間も無くT字路へ突き当たった。
右へ向えば船橋競馬場、船橋ららぽーと、船橋オートレース場などへ繋がるが、途中を左折して海へ向ったとしても、冷蔵倉庫群を背景に、埋立地に囲まれた小さな水域が見えるに過ぎない。
だから僕はT字路を左へ向った。
右側数百メートル先に海岸線がある。
平行して走るこの道からは、点在する無機質な施設の外には、未利用の殺風景な埋立地が見えるだけで、例えその先に薄っぺらな黒い海が見えたとしても、そこにはロマンの
むしろここでは視覚よりも、
心地好く響くエンジンノートと、
風切り音を伝えてくれる聴覚や、
鼻腔をくすぐる潮の香りを教えてくれる
僕たちはその潮風を斬って、
巻き付けられた腕と押し付けられた胸を、腹と腰と背中で感じながら、僕は明菜ちゃんと一体になって飛ばし続ける。
やがて前方に背の高い大きな建物が見えて来た。
少し前まで幕張プリンスホテルと呼ばれていたランドマークビルだ。
遠方のビルは道の右から左へと、少しずつ位置を変えながら近付いて来る。
さらにその左辺には、発光する数十もの高層ビル群が、砂漠の中のラスベガスを
さらにランドマークビルが近付いて来ると、
手前に幕張メッセの曲線的な大屋根が現れ、
右側には古代ローマのコロッセオの如き円形の建物が見えて来た。
ロッテマリーンズの本拠地千葉マリンスタジアムだ。
昼に来ればマリンブルーが日に映えて美しい野球場だが、夜の
メッセとスタジアムに挟まれた、片側二車線から三車線の道を通り越し、二つ目の信号で右へ折れた。
そこが人工なぎさ「幕張の浜」を有する海浜幕張公園の入口だ。
僕らはバイクを停めて、公園の中を海辺へと歩いて行く。
薄汚れた都会の夜空には、いくら目を凝らしてみても、星は数えられるほどしか見つからない。
砂の色は暗くてはっきりしないが、恐らく灰色なのだろう。
さらさらとは言えない砂浜を、二人は殆ど言葉を交わさずに歩いて行く。
途中、所々のベンチには、先客のカップル達が肩を並べていたが、彼らには目をくれず沖を見ながら歩を進めていく。
横浜港のイメージと較べて、ここは確かにロマンチックが足りなかった。
船の汽笛も海鳥の泣き声も聞こえて来ない。
波の音すらも遠慮がちだ。
それでも、いちゃつくカップルの数が少ないこと、
沖には幾つか船灯りが見える。
多分千葉港での船積みか荷降ろしの順番を待つ貨物船なのだろうが、
今の二人にとってはそれがタンカーだろうと、豪華客船だろうと一切関係無かった。
僕らに必要なのは、互いの
僕らは砂浜に腰を下ろし、静けさの中に溶け込んだ。
寝そべって観る、星の少ない夜空もさほど悪くはない。
愛する人が右に居て、そっと手を繋いでいる。
朝までこうしていたかった。
明菜ちゃんの手に力が入るのが分った。
「何?」
「キスして」
いや、そうじゃない。
もっと前から期待していた。
はやる気持ちを抑えていただけだ。
小さな声は僕の頭の中で反響している。
聞き違いでは無い。
瞬きを繰り返してから、明菜ちゃんの目を確認した。
「良いの?」
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