第45話 いずみからの電話

 僕の携帯電話は、女性からの電話を少し前までは、母とネット証券会社しか受け付けないほどに嫉妬深しっとぶかかった筈だ。

 最近になって、明菜ちゃんの電話を新たに受けることを覚えてから好い気になっているのか、僕の携帯は受話ボタンを押した途端に若い女の声を垂れ流した。


「西田さんですか」


「西田ですが」


 僕の不審な表情を見て、明菜ちゃんも怪訝けげんな顔になる。


「いずみです。分りますか」


「ああ、円城寺さん」


 明菜ちゃんの前で、僕は曖昧あいまいな表情を隠せなかった。


「今、大丈夫ですか」


「ええ、少しでしたら」


 後で掛け直す位言えなかった自分を僕は軽く呪う。

 声が小さくなったので、明菜ちゃんの目は怪訝度を増した。


「メール見ました。私が勝手過ぎてごめんなさい」


 明菜ちゃんをできるだけ見ないようにしたが、僕は今どんな顔をしているのやら。


「別に。それより電話番号教えましたっけ」


「もらった名刺にありましたよ」


 こちらの気も知らないで、電話の向こう側は笑っている。


 帰り際にパソコンで作った名刺を渡したような気がする。

 ああ確かに渡した。

 思い出して僕は後悔した。


「あの名刺ですか」


 いずみさんは本筋に戻った。


「私、自分の気持ちを押し付け過ぎて、西田さんの気持ちを考えませんでした。

 反省してます」


「いや別に……」


 僕の視線は、明菜ちゃんとコーヒーカップの間で、瞬間的に二往復した。


「単純に、灯火ちゃんのことで、皆でお話できたらどうかと思うんですが。

 どうでしょうか」


 断った方が良い様な気もしたが、僕には、好ましい女性相手に、何かをはっきりと断る勇気が無かった。


「ええ、それなら良いと思います」


 目の前の明菜ちゃんに、会話の中身が筒抜けの様な気がした。

 当たり障りの無いことしか言えない。

 電話の相手は相変わらず勘が鋭かった。


「今隣に誰かいるでしょ。

 中島明菜さんかな」


「ええ、まあ」


 明菜ちゃんに目をやると、遂に目が合ってしまった。


 明菜ちゃんは自分を指差し、「私の事話してるの」と言わんばかりの目をした。


 僕はつい頷いた。

 明菜ちゃんは到頭聞き耳を立て出した。


「丁度良かった。彼女も誘ってみて下さい。中島さんも灯火ファンですよね」


 なんでこんな展開になるんだ!

 断ったとしても、後で明菜ちゃんにどう説明して良いか分らなかった。

 もうどうにでもなれと云う気分だ。


「ええ、訊いてみます」


「明日土曜日の午後、また病院に来てもらえませんか。

 奈緒ちゃんも二時に来ることになっているから」


「明日ですか……」


 僕は顔を起して明菜ちゃんを見た。

 その顔は縦にも横にも動かない。

 いずみさんの声は聞こえてないらしい。

 明菜ちゃんは、僕の目を覗き込むようにして小さな声を出した。


「明日って」


「うん」


 僕は曖昧な返事をした。

 電話の向こう側には、明菜ちゃんの声が聞こえた様だ。


「可愛いらしい声」


「うん」


 これしか言えないのか……

 僕の弱気は、すっかり見抜かれたようだ。


「中島さんの土曜日の都合を、今訊いてみて下さい。

 灯火ファンのつどいなら良いでしょ、西田さん」


 明菜ちゃんにうまく説明する自信が無い。

 僕は直ぐには返事ができなかった。


「この電話、中島さんと代わってもらえませんか。私からお誘いしてみます」


「今ですか」


「もちろん、今じゃないと代われないでしょ」


 なんて情けない奴なんだ。

 僕は目の前の明菜ちゃんに、一言も言わず携帯を差し出した。


 携帯を受取った明菜ちゃんは、一瞬の躊躇ちゅうちょを見せただけで耳に当てた。

 女性達の方が僕よりずっと度胸がある。

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