第44話 父が見知らぬ女と

 金曜日、朝十時過ぎに明菜ちゃんに電話して、お昼を津田沼で一緒に食べることになった。


 津田沼駅海側に、サンペディックと云うショッピングセンターがある。

 一階にある「揚州商人」と云うラーメン屋で、二人共『今月のお勧め』を食べた。


 ここの写真付きメニューは良く出来ている。

 特に二種類の月変わりメニューは中々良いアイデアだ。

 今月限りだと思うから、ついついそれを食べてしまう。

 次に来た時は食べ損なったラーメンを注文しようと思うのだが、その頃には月変わりメニューが新しくなっている。

 勿論月変わりのメニューが美味しいからこそ、僕は毎回罠に落ちてしまうのだ。


 津田沼に来ることはあまりないが、同じ店が千葉市美浜区にもある。

 僕も明菜ちゃんも、違う場所の同じ店にはまっていたことが分っておかしかった。


 今日は二人共午後三時過ぎまで遊べるので、僕たちは駅の反対側にある津田沼パルコ店へ移動した。


 明菜ちゃんの買い物に付き合った後、靴屋さんに同行してもらうことにした。

 三年間履き古したニューバランスのスニーカーを買い換えようと思ったのだ。


 探しあぐねていると明菜ちゃんが僕を呼んだ。

 明菜ちゃんは靴を試着していた。

 きゅっと締まった足首によく似合う、茶色の素敵なレザースニーカーだ。

 思った通りを僕は口にした。


 店員が同じ種類の男物を見つけ出して来た。

 彼が用意したものが、僕の足にぴったりだったので少し驚いた。

 そう言えば明菜ちゃんにさっきサイズを訊かれたっけ。

 価格は一万円弱。メジャーなブランドではないがリーズナブルだ。

「おそろいにしない」

 明菜ちゃんに微笑ほほえまれると、反対する勇気は無かった。


 靴にはこだわりがあったが、その靴は履き易そうだし、足元のペアルックも悪くないと思い直しそれに決めた。

 似合うよと明菜ちゃんにほめられて、単純に嬉しかった。


 右足に履いた靴を紐までしっかりと結んで、足元を鏡で確認していた僕が、ふと目を上げると、ガラス越しに見覚えのある横顔が見えた。


 僕が目を止めたのは、店の前を通り過ぎて行くカップルの男の方だ。

 カップルは、背の高い中年男性と三十代前半に見える女性で、何やら楽しげに会話している。

 明菜ちゃんは、僕の視線の先を一旦追ってから僕を見た。


「どうしたの。智也さん」


「今、親父おやじが店の前を通り過ぎて行った」


「声掛ければ、私、中で待ってるから」


「今はまずいんじゃないかな」


 僕は通路の先を指差して立ち上がった。

 寄り添うように歩く二人は、普通の知人同士には見えない。

 無論、女の方は母ではなく、僕の見知らぬ人だ。


「親密そうだね」


 答えずに、僕は二人が角に消えるまで見送った。

 明菜ちゃんは、靴下だけの僕の左足を見ていた。

「人違いじゃないの。

 智也さん、そんなに視力が良い方じゃないでしょ」


「運転免許ぎりぎりのコンマ七位かな」


「じゃあきっと人違いだよ」


「そうだと良いんだけど」


「気になるなら追跡してみる」


「止めておくよ。折をみて親父に訊いてみる」


「その方が良いかな……」


 明菜ちゃんは歯切れ悪くそう言った。


 母が知ったら一体どうなるんだろう。

 今までにこんなことは一度も無かったから。

 事務所の仕事は毎日六時位には終るのに、取引先の銀行や不動産会社の人達の接待で、飲んで父が遅く帰るのはしょっちゅうだ。

 休みの週末にも、隔週で接待ゴルフに父一人出掛けてしまう。

 仕事だから仕方がないのかも知れないが、自分勝手とも思える父に対して、母はかなり寛容だった。


 もしも父の相手が取引先ではなく、さっきの人だったとしたら、母はどんな気持ちになるだろう。

 母は日中家を守って、主人の帰りを待つと云うような古風な女ではない。

 平日は友人と会っておいしいものを食べたり、千葉駅前や、時には東京のデパートまで遠征してショッピングしたり、イベントにも出掛けたりする。

 それでも平日の帰宅が六時過ぎになったことは無いし、ましてや父が在宅する週末に、母が一人で出掛けた事など、僕の知る限りでは一度も無い。


 近い将来に起こりうる修羅場を想像してはみたが、僕の考え過ぎと云う事もあるだろうし、今は明菜ちゃんとのことだけに集中しようと思い直した。


 靴屋のショッピングバッグを手に下げた二人は、残り時間を一階のコーヒーショップで過ごすことにした。


 僕はホットコーヒーを飲みながら、露出度が高いサマールックの若さが弾ける女性に対し、明日の土曜日も会いたいと、目のやり場にも窮する事無く、かなり自然な感じでデートの申し込みをした。


 明菜ちゃんの土曜日の勤務は午前中だけだ。

 彼女さえ良ければ、一日休みの僕と、夜までゆっくり過ごせる筈だ。


「午後からなら良いよ」


 明菜ちゃんは二つ返事でOKしてくれた。


 明日はどこへ行こうかと二人が話している時、『オートマモード』の着歌ちゃくうたが流れ出した。

 明菜ちゃんに断って、携帯を尻ポケットから取り出してみると、ディスプレーは番号のみを表示している。

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