第38話 いずみからの返信メール

 僕がTVを消して部屋に戻る時、整頓好きな母は、コーヒーカップとソーサーを片付けに掛かっていたが、

「ホントぷりぷりのぷりんだわ」と、どこか呪文めいた文句を二度繰り返していた。


 事務所に顔を出すことは殆ど無いが、母は西田司法書士事務所の経理責任者だ。

 父より母の約束の方が安心だった。


 僕は新日鉄の株価と保証金を再チェックしてから、改めて百万円を八月二八日に融資できると母に伝えた。


 八月中のボーナス支給に目処が付いて、母は素直に喜んだが、子から親への資金提供で、父のプライドを傷付けることがないようにと、その点だけは念を押した。


 その日の後場、新日鉄を四九〇円で売って、四八六円で買った八千株は小さな利益を産んだ。


 株式取引は即金取引ではなく、今日水曜日の取引の精算は、当日を含めて四営業日後に当る月曜日、即ち八月二八日になる。

 当日になれば保証金の引き出しが可能だ。


 現在の僕の投資資金総額、すなわち預け入れ保証金総額から、父に百万融資すると、

この日得た利益を足して残りは約三五万円となった。

 これは初期投資資金と同額だ。


 振り返ればこの二年間で、バイト収入を追加した元金と、株式運用利益の合計がほぼ百万円だったことが明瞭になったが、

株式投資日記を書き始める前まではドンブリ勘定だったので、この百万円の内、利益の合計が幾らだったのかは分らない。


 運用成績が際立って改善したのは六月以降で、投資日記を付け始めた頃からになる。

 今週から日記を付けなくなったことを考えると、投資を継続したとしても、成績がこの先落ちて来る可能性は否定できない。


 そう考えれば父への融資は、僕を大人として見直させる効果も期待できるし、合理的なものかも知れなかった。


 投資元金がスタート時のように小さくなってみると、株式ボードを観る気力も小さくなった。

 株式取引の休止と引き換えに、余った時間で創作活動へ専念しようと良い様に考えた。


 新しい小説のストーリィをり回していると、コンビニへ行く時間が迫ってきた。

 昨夜のことを思い出した僕は、出かける前に簡単に携帯メールを打った。


 コンビニ前でバイクを降りた時、携帯をチェックしてみると、

「ともちゃんの顔文字超かわゆい~」との文から始まって、

僕のなんかは穴があったら隠したくなるほど、記号を複雑に組み合わせた、見るからに楽しげな顔文字が並んでた。


 とてもついて行けそうにない。

 顔文字を交えたメールは、さっきの一回だけで勘弁してもらうおうと僕は勝手に決めた。

 最後に(笑)を忘れずに付けておけば、怒ってるのとか誤解されることも少ないだろうしね。

 とにかく若者のメールに関するルールやマナーは、二十四にもなる僕には少しばかり複雑過ぎる。


 今日の二時間は昨日と違って、あっという間に過ぎた。

 苦しい時間は長く、楽しい時間は短い。

 その意味を聡明な僕は、この二日間で嫌と言う程理解した。

 いつでも聡明でありたいものだが、僕の聡明な時間は長く続かないのが弱点だ。


 帰宅したらメールか電話で、週末デートの約束を取り付けようと、るんるん気分だった。

 仕事が順調に終わり、ほぼ定刻に帰り着き、マイブログチェックと友人のブログ回遊を済ませ、メールチェックした瞬間、

数時間前に立てた桃色の計画は、色が褪せて行く暇も無く、脳裏から消え失せた。


 いずみさんからメールの返事が来ていたのだ。


『 トモヤン様

 お返事ありがとう。

 私がネットで使っているニックネームはsenchanです。

 皆が付けてくれたあだ名をローマ字にしただけだよ。

 質問にあったけど、キャベジンさんのブログでコメントしたことは無いかもね。


 言っちゃおうかな(笑) あの子の名前はね、奈緒美なおみちゃん。


 私も灯火ちゃんのことで、皆で話ができたら楽しいだろうなって思ってるの。

 彼女に会わせてあげても良いけど、先ずは私と会って下さいね。


 それとも迷惑かな(笑) もし迷惑だとしてもね、こちらにも色々都合もあるし(笑)

 トモヤンさんは、稲毛駅の近くに住んでるみたいですね。

 だったら船橋中山病院を知ってますか? JR船橋駅から線路沿いに500M位、千葉寄りにある丸い建物だよ。

           センチャン 』


 二回目のメールには具体的な名前がずいぶんと出て来た。

 僕の胸は音になる手前近くまで高鳴った。


 奈緒美……あの人は奈緒美と言うのか。

 円城寺いずみは奈緒美さんの友人で、二人の内のどちらかが船橋中山病院に勤めているのか。

 奈緒美さんはそこのナースかも知れない。

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