第34話 株式投資日記の終了

 この日の新日鉄は、高値が四八五円までで、安値は四七六円を付けたようだ。


 引け値は四七九円で評価損は一株当り七円、八千株では五万六千円になる。

 途中の値動きについて、意識して見ていたとは言えなかった。


 こんな事で良いのだろうか。

 僕には人に観て貰う為の投資日記を書く資格は無さそうだ。

 自分の投資もおろそかにして、人に情報を提供しようなどとは、おこがましいにも程がある。


 衝動的に僕は、株式投資日記の書庫を削除した。

 直後、深い後悔の念を覚えたが時既ときすでに遅し。

 バックアップは全く取ってなかった。

 記事の復活はもう出来ない。

 ブログを始めた時からの、殆ど全ての記事が一瞬にして消えた。

 下唇を噛んでいた。


 ブログ「ブレイン・スペース・ウオーカー」に現在掲載されているのは、

灯火の埼玉初日と、二日目のコンサートレポート二つ。

 そして「自作オリジナル小説」書庫内の、自信無き短編小説一つだけ。

 そんな寂しい状況だ。


 冷静に考えれば、株式投資日記の過去分に価値があるとは思えなかったから、また始めれば良いだけの話だ。

 それなのに、根が短気な上に諦めの早い性格が手伝って、僕は謝罪文を掲載することにした。


「都合により本日を持って、

『株式投資日記』は終了いたします。

 これまでありがとうございました」


 簡単なものだ。

 これで済むのも、読者数が少なかったからで、かえってラッキーだった。

 僕のブログは、タイトルばかりか中身まで大変身を遂げた。


 もやもやした気分のまま、僕は稲毛駅の向こうにある職場へと向う。

 裏口から入店して、制服に着替え、店内に入ると、いつもの様に明菜ちゃんの明るい挨拶を受けた。


 デート前と比べ、どこか違った所があっただろうか。

 多少の物足りなさを覚えながら、僕も以前と変わらない感じで挨拶を返した。

 その日は、入店の四時から暫くの間忙しくて、六時に明菜ちゃんが帰ったことも気が付かずに時間が過ぎた。


 焦りを感じる。

 このまま二人のデートも、無かったことにならないかと。


 ラストの午後十一時頃には、精神的にも肉体的にも疲労こんぱいしていた。

 憂鬱な気分のまま、レジの計算と金銭チェックを完了し、

毎晩閉店間際に出勤して来る、店主の広岡さんに引継ぎを終えた僕は、

夜空よりもダークになってバイクを飛ばした。


 日中書き込んだ、入魂にゅうこんの埼玉二日目の記事に対してコメントが二つ付いていた。

 一つは『灯火の間』で知り合った、マロン君からの初めての書き込みだった。


「灯火ちゃん、埼玉ですごい頑張ったんだね。

 読んでいてまぶたが熱くなりました」


 嬉しい感想だった。

 僕の文章で人を感動させたのは、恐らくこれが初めてだ。

 事実を書いただけだから、本当の意味でマロン君を感動させたのは灯火だけれど、それでも僕の文章で、それを伝えることが出来た訳だから……

 たった二行のコメントが、僕に小さな幸福をくれた。

 多くの人を感動させるお話を書ける様になれば、僕も今よりずっと幸福になれるのかなって、二四歳にもなるのに、少女の様にセンチメンタルになって、一人不気味な含み笑い……

 こんな姿は誰にも見られたくない。


 コメント返しを入力した途端、新しいコメントが付いた。

 キャベジンさんからだ。

「トモヤンさんの右隣に居た男、ホントにゆるせませんね!

 でも良かったです。

 灯火が無事に歌い切ってくれて。

 長文のレポートありがとうございました」


 そう言えば、あの無作法男の事も、二日目のレポートに書いてしまったのだ。

 鑑賞していた席まで、特定できる様な書き方をしたから、もし万が一、あいつが読んだら何か言って来そうだ。

 そうなったらそうなったで、おもしろいのにと、僕は何か起こることを期待していた。

 あの時言えなかった事を、レポートで書いて糾弾きゅうだんしたけれど、直接言ってやればもっと爽快そうかいな筈だ。

 アイツには、臆病者の癖にとか言われそうだけどね。


 あの時は、アイツにバカヤロウ呼ばわりされたことなど全く気が付かなかった。

 気が付いていたら僕も黙ってはいない。

 間違い無くケンカを買っただろう。

 コンサートが終了したとは言え、まだ多くが残って居る所でケンカになっていたら、明菜ちゃんはどう思うのだろう。


 ああ! 

 だから明菜ちゃんは、

「良かった」と言ったのか。


 今にも僕が立ち上がって、周囲から大顰蹙だいひんしゅく大喧嘩おおげんかにでもなったらどうしようと、一人怖がっていたに違いない。

 明菜ちゃんはトラブルを異常に怖れている。

 何か嫌な経験があるに違いない。

 いつか僕に話してくれる日が来るだろうか。

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