第26話 完全復活

 灯火は、チェロ奏者に対し、深々と頭を下げた。


 そして、観客へ向き直り、左手を彼女へと返した。


「素晴らしい演奏をしてくれた、

チェロの今泉さんで~す!」


 待たされ過ぎたチェリストは、観客に一礼して退場した。


 しかしながら、彼女に贈られた拍手は、昨日の半分もあっただろうか。


(アクシデントなんだから、どうか灯火を赦してやってください)


 僕は、灯火の代わりに心の内で謝った。


 彼女の演奏には、何一つとして、文句のつけようがなかった。



 キーボードを担当する、バンドマスターが、メンバーと灯火に合図を送る。


「Our Secrets」


 この曲の演奏が始まるよりもわずかに早く、目をかっと見開いた灯火は歌い始めた。


冒頭からボーカルで始まる隙の無い名曲だ。


「♪近付けないよ~

 見えない壁がある

 君とボクとの間には~

 秘密の鍵が、

 どこか近くに、

 ある筈なんだ〜

 Can I find out the answer?

 Can you figure out the key?♪」


 発声に問題点は無い。

 素晴らしいはいりだ。


 僕も安心したが、会場全体の安堵感あんどかんを肌で感じた。


 続く四つのフレーズは繰り返しで、何度か挿入されて来るパターン。

 馴染みやすさから、多くの人がハモるように口ずさんでいる。


 観客の反応に気を良くしたのか、

窮地を脱してほっとしたのか、

右奥で、

ステージ全体をコントロールする、

バンマスのマットや、

レゲェヘアがとてもよく似合う、

陽気な黒人ベースギターのフォレストが、

灯火と一緒にもっと歌えと、

人差し指や、スティックを回して、

観客にアピールして見せる。


「♪

Hit it off like,

Hit it off like,

Hit it off like this, oh baby.


Hit it off like,

Hit it off like,

Hit it off like this, oh baby♪」


 そのバックコーラスのフレーズを、ステージ上の灯火が歌うことは無いが、コーラスの声は灯火自身によるものだ。


 二回目の時は、一緒に口ずさんでみた。


 間近でも歌声が聴こえた。

 左を振り返ると、明菜ちゃんは、少し照れたような顔を見せた。


 後になって考えてみると、これを最後に、明菜ちゃんの顔を、僕はずっと見ていなかったような気がする……


 灯火の歌がとても良かったので、詩の中へすっと入って行けた。


 なんて素敵な詩なんだろう。


 まだ幼稚な小説しか書けない僕は、灯火の詩の才能をうらやんでいた。

 やらしい羨望せんぼう嫉妬しっとなんかではなく、言ってみれば尊敬に近いものだ。

 夏目漱石や、京極夏彦きょうごくなつひこ桐野夏生きりのなつおを読んだ時に、感じたものと、その感覚はよく似ていた。


 歌も良かったが、表情は一層切なそうに見えた。


 距離が遠過ぎて、幾ら明るいレンズを装備する高性能な双眼鏡と云えども、ここからでは少し画像がぶれる。


 それでもそう見えた……


 復活後の二曲目

「Attractiveness」はさらに良い。

完全復活だ、間違いない。


 これも切なくて、心に深く染み入る詩だ。

 詩の内容とは真逆まぎゃくに、僕は嬉しくてしょうがなかった。

 嬉しくて切なくて、切なくて嬉しくて……


(こんなにも、こんなにも灯火のことが好きだったっけ、俺)


 灯火に集中し過ぎているせいか、右からの声も、左からの声も、この時の僕には殆ど聞こえなかった。


 右の男と揉める心配は減ったが、明菜ちゃんの声にも気付かないとしたらそれは困る。


 復活後の三曲目は

「Figure out」


 なんて懐かしい歌が続くのだろう。

  酔いれていた。


 三つともセカンドアルバム

「Last one centimeter」

 そこに収録されたヒットナンバーだ。

 だから、懐かしくて当たり前さ。


 チェロパートの悲劇と、二分間の中断で、ハラハラドキドキさせられた。

 その後が、この出来で、この三曲だなんて、誰が考えた展開だ。


 まるで奇跡みたいな構成だ。

 純情だったあの頃へ、帰って行くような気がした。


(今でも結構、純だけどな)


 嬉しくて、ハイになって、一人バカみたいに声を殺して笑っていた。



 昨日は、この歌の後で、長いMCが入ったんだっけ……


"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""


「ツアー最大の一万八千人だよ、

こうして見ると壮観だねぇ!」


 額に右手をサンバイザーにして、

灯火は、客席をぐるりと見渡す。

そして額の汗をぬぐったっけ。


「みんなのパワーが、

エクトプラズムの様に、

こんな風に、

立ち昇って見える気がする」


 右手を、顔の前でひらひらさせる。

 声が心地好く掠れかかって、灯火が妙にセクシーに見えたっけ。


「今朝のファンメールで

『今日が誕生日の、私の友達に一言お祝いをお願いします』

っていうのがあったのね。


 これだけ多くの人が集まっていたら、

外にも、今日が誕生日の人はたくさん居そうだよね。


 私自身は前まで、

生れた日を祝うことに対して、

そんなに意味を感じていなかったけれど、

最近になって、

今日まで無事生きて来れた。

 そのことを祝うという意味では、

誕生日は大事なんだなあって、思い始めたの。

 ねぇ、みんな、

今日まで生きて来て良かったなぁ。


 じゃあその意味で、今日誕生日の人を代表して○○さんおめでとう!」



"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""



 昨日のMC、灯火の身振り手振りの、一つ一つが、活き活きして素敵だった。


 灯火も僕たちと、同じレベルで生きているような気がして嬉しかったっけ。


 歌だけでなく、MCでの灯火節も最高だったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る