第23話 無意味な映像とクズ男

 気まずさと喜びで、恐らく僕は曖昧あいまいに笑っていた。


 明菜ちゃんは顔を覗き込むようにして、声に出さず笑い続けた。


 可愛いほっぺを両手で抑え付けて、じゃれ合いたい気分になったが、距離感はまだ掴めない。

 そんなことは、少し、どころか、まだまだ早過ぎるだろう。


 明菜ちゃんと勝手に恋人気分になった僕は、ステージの灯火さえ元気ならこのまま舞い上がってしまいそうだ。


 さて、問題の灯火だが……


 第一部終了の四曲目「君がいなくても」では、低いパートと高いパートのそれぞれで苦しさを感じた。


 第二部、あの問題の「サクラ舞い散る」では……


 吹雪のように、桜舞い散るスーパービジョンに、苦しそうとも、切なそうなとも受取れる表情がクローズアップされる。


 高いパートがかすれる。昨日よりもさらに掠れる。


 次曲「二人の距離は、、、」


 出だしの低いパートから辛そうだが、その分感情表現が絶妙で、出にくい声すらもテクニックの一部かと思わせてくれる。


 高いパートも引き続き苦しい。


「声の調子悪そうだね、灯火ちゃん」


「うん」


 明菜ちゃんのつぶやきに、僕はそれしか返せなかった。


 続く「初めての恋」

 懸命に発声をコントロールしている。


 今日は昨日と違ってMCも極端に短い。


 灯火が、歌唱に集中している。

 それが手に取るように分る。


 声で表現する感情の大きな起伏が、聴いている僕の内部を侵食して、魂を根こそぎ揺さぶる。


 右からは依然として無遠慮ぶえんりょな声が響いていた。


 僕の心を逆撫さかなでにした、以降、

暫くの間は、意識しなくても、話の内容まで聞こえて来る様になった。


 その言葉はこうだ。

「声出てないんじゃん。

 高い所は、チーン。

 完全に終ってるね」


(高い声は確かに出てないかも知れない。

 そんなことはもう、誰もが分っていることさ。

 あんたの言う通りだ。

 それにしてもだ。

 終ってるって何だよ。

 灯火は精一杯歌っている。

 感情がビンビン伝わって来る。 

 それともお前には、こうしたものが、何一つ伝わってないのか!


 そんな感性の欠片かけらも無い奴に、がたがた言われたくないぜ!

 お前はここから出ていけ! 今すぐ帰れ! )


 深い鑑賞を、無意味に吠える野良犬に邪魔された僕は、心の内で蹴飛ばすようにののしった。

 それでも納まらず、深呼吸を繰り返し、僕はクールダウンに努めた。


 男の批判は尚も続く。

 それでも僕はその男を見なかった。

 いや、だからこそ見なかった。


(勿論、灯火自身に原因と責任がある。


 それをカバーしようと、感情を内側から揺さぶろうとして唱っているのさ。


 つまらない批判は、このコンサートが終わってから、俺の居ない所でやってくれ)


 男の声だけ聞こえないように、耳を塞ぐ方法を知りたかった。



 七曲目が終わって、衣装換えタイムだ。


 繋ぎの間、スーパービジョンには、変化に富んだ美しい風景が次々と流れて行く。


 花びらと風、

 川と水、

 流れる雲、

 激しい雷、

 山、

 木々、

 砂、

 雨、

 稲妻を連想させる、閃光の連続、


 なんて無意味な、映像の羅列だろうか。


 すさんだ感情に、支配された僕には、

それを観るのが二度目だと云うのに、

何一つとして、その意味を理解できなかった。


 後日、キャベジンさんのブログで知ったのだが、

大阪公演の時には、この映像と共に、灯火が詩を朗読したようだ。


 詩の内容については、さらに後の記事で知ることになったが、

その詩無くしては、この映像の意味を知ること、それは元々不可能だったのだ。


 理解できない映像は、一層僕の不安をあおった。

 その不安は、或る意味で当っていた訳だ。


 詩の朗読カットは、灯火の喉の状態が悪かったからに違いない。


 遅くとも、昨日の第二部終了時点までに、異変が生じていたことになる。


 このつなぎ映像の時間は、誰もが遠慮なく会話できる時間帯だった。


 右からは相変わらず、得意気にしゃべる、心をきしませる男の声。


 どういう訳か、連れの女の声は、この許された時間帯でさえも、一言として聞こえて来ないのだ。


 男は女と会話しているのではなく、声高こわだかにひとり言を続けているのだろうか。


 無意味な映像と、無意味なしゃべりが、次第次第に結び付いて行く。


 僕は、あのスーパービジョンの映像を、この手でぶち壊してやりたくなった。


「智也さん、どうしちゃったの」

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