第21話 不安の中、灯火の二日目 開幕

 左奥のカップルは、女性が右座席だったから、女性同士隣り合う方が良いかなと考えた僕は、明菜ちゃんに左側を勧めた。


 並んで座ってみると、京浜東北線と同じ気まずい位置関係になった。


 明菜ちゃんに「変わってるね」と指摘された、オレンジ色の刺し子柄の風呂敷を解いて、中から双眼鏡を二つ取り出した。

 父から借りて来た、自分のよりも高級で、軽量な方を明菜ちゃんに手渡した。


 明菜ちゃんは早速それを手に取り、上下左右と色々な所を観ていたが、

「凄く明るく見える」

と嬉しそうな声を出した。


 幾らかでも、埋め合わせができただろうか。

 これ以上失点を重ねたくはなかったが、デートの場数を踏んでない僕は、その点あまり自信がなかった。


 開演時刻を過ぎて、徐々に気分が盛り上がって来た頃、空いていた右座席方向から、

「ここだろ」

と云う若い男の、がさつな声が聞こえた。


(五分も遅刻してる癖に少し気を使えよ)

 心の中で毒づいた。


 男は階段に接する向こう側に座り、女の方が僕の右隣に着席した。


 階段から左奥まで、このブロック六席三列の十八席は、最後の一組で埋まったようだ。


 開演は十分遅れになるらしく、その旨アナウンスがあった。


 淡い照明が落とされ、会場全体が暗闇になる。


 遠い正面ステージのスーパービジョン一杯に、能面の様に静止した灯火のバストショットが映し出された。


 会場全体から一斉に拍手が起こり、左隣の明菜ちゃんも「わっ」と声をもらした。


 前夜観たばかりだと言うのに、灯火の映像は、僕に再び強いインパクトを与えた。


 明菜ちゃんは双眼鏡をテーブルに置いて、顔を僕の方へ向けた。

 目は興奮で大きく見開かれている。


 自分が演出した訳でも無いのに、僕はプロデューサー気取りで、不敵な笑みを返した。


 Lightの名で全米進出を果たした時の、アルバム「エキゾチック」から、「オープニング」の音が小さく、BGMのように流されている。


 この後、スクリーンの、灯火の目が大きく瞬きして、灯火登場シーンとつながる訳だが……


 忘れ掛けていた、灯火のコンディションについて俄然気になり始めた。


 会場の殆どが、大いなる期待感をコンデンスしている中、僕だけは小さくはない、不安感を押し潰そうとしていた。


 前夜のこの時間帯と比べ、僕の気持ちは百八十度違っていた……


 その時はやって来た。


 髪だけをサラサラと揺らしていた灯火が、不意に大きく瞬きした。


「Passage」のイントロが流れ出す。


 薄暗がりの中で、演奏するバンドメンの動きが見えた。


 スポットライトの当るスタンドマイク後部から、灯火がゆっくりとせり上がって来る。


 夢の様なシーンは、寸分違すんぶんたがわず前夜と同じ。


 それを知っているのは、灯火と、スタッフ達と、一部リピーターだけなのだ。


 中でも、灯火の喉を本気で心配しているのは、スタッフと本人を除けば、昨日もここに来ていた少数のみ。

 僕はその数少ない中の一人だった。


 内情を知っている、優越感のたぐいなど、一切存在せず、あるのは締め付ける不安だけ。

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