第6話 事務所で嫌われる父に退職届

 当時、事務所の人達は、自分勝手で子供っぽくて、責任感が紙っぺらにも等しき西田所長を毛嫌いしていた筈だが、息子である僕のことは不思議と大事にしてくれた。


 ところが、ある日外出から戻ると、それまで父の陰口を叩いていた人達が、バツが悪そうに急に話題を変える場面に出くわした。

 そういうのは雰囲気で分る。自分のせいではない筈なのに居心地の悪い思いをした。


 僕自身、中学高校の頃から、勉強や進路のことを口うるさく言う父のことが大嫌いだった。

 故に彼らの気持ちには寧ろ共感さえ覚えていた。

 それでも所長の息子である僕は、決して彼らの仲間にはなれなかったのだ。


 僕のひがみなのかも知れないが、居心地の悪さの原因は外にもあった……

 文学を志し小説家になることを夢見ていた僕は、第一志望校たる早稲田大学第一文学部を、偏差値分析による予測通り門前払いされ、最後の砦たる日大文学部に入学手続きをして捲土重来けんどちょうらいを期した。

 第二志望校の名はあえて言わないが滑り止めの役には立たなかったという訳だ。


 両親に内緒で仮面浪人を決め込んだ僕は、翌年性懲しょうこりも無く難攻不落の敵城=早大一文に再挑戦し、二年連続玉砕という受け入れがたい現実に直面。

 日大第一学年を留年したことが分った時、我が父は烈火の如く怒った。

 何故なら学部こそ違うものの、そこは父の母校でもあったからだ。

 父は普段から母校のことを、日本一のマンモス大学で、誰でも行ける所さなどとうそぶいていたのだが、その実は一方ひとかたならぬ深い愛着を有していたことが、この時になって初めて露顕ろけんしたのだ。

 父の母校愛はかなりの程度に屈折している。

 父の顔を立て、二年目の第一学年をきっちりと通ってみて、学友との交流も再三再四試みたがやはりここではダメだと感じた。


 嫌悪すべき父に似てアマちゃんの僕は、日大を中退して独学で小説家を目指そうと考えた。

 在学中に何度かつたない作品を文学誌に投稿したりもした。

 その上で強固なる決意を父に話した時も、

「日大は現役生だけで十万、そのOBの数を考えてみろ、折角入った日大を退学することが、おまえのこれから先の人生においてどんなに大きな損失かをよく考えろ」

と、口を酸っぱくするようにして僕の考えを改めさせようとした。


 この時ほどのエネルギーが普段の父にあるならば、あの従業員達の所長に対する信頼も現状とは違ってきっと揺るぎないものとなっていただろうに。

 慣れない事はするもんじゃない。父の話には殆ど説得力が無かった。

 それでも反論はしなかった。

 話が通じないことは分っていたし、情けないことに僕も父同様、人の説得は苦手だった。

 予想外だったのは、普段父と子の小競こぜりり合いを傍観ぼうかんする母が、この時ばかりは一緒になって僕を説得する側に回ったことだ。


 二人の親心に背を向けた僕は、日大三年目の授業料収納締切日直前に退学届けを出しすんなりと事務的に受理された。

 弱冠二十歳の時だ。

 この時の父の怒りも尋常じんじょうではなかったが、折れることのない僕の決意を知った母は父の説得を試みた。

 功を奏こうをそうしたのか、父はようやく僕の気持ちを考え始めたらしい。


 フリーターになって雑誌投稿を繰り返し、小説家になるチャンスを掴むと云う僕のプランに対し、父はある条件を提示した。

 それは条件というよりも、寧ろ情愛溢れる申し出と言うべきだろう。

 条件に従って、フリーターではなく父の司法書士事務所に勤め、例え見せ掛けだけとしても司法書士の勉強を始めることになった。


 事務所の人達はどういう訳か、僕のプライベートな内情をよく知っていた。

 恐らくは事務所の古株ふるかぶ高橋さん辺りがその発信源なのだろう。

 彼女は人から個人的事情を訊き出す点において一種の天才と言って良いだろう。

 知られてしまったことはどうにもならないが、父のことについては自分の腹の内を見せようとせず、僕との間に明瞭な他人線を引いておきながら、僕たち親子間の葛藤について干渉を繰り返し、時には憐れみの態度を垣間かいま見せる。

 僕には到底我慢できなかった。


 善良な彼らと適当に話を合せて、後継目的で父に命ぜられた司法書士の勉強などは殆どせず、日中の暇な時間帯を利用して、経済的に自立すべく株式投資の勉強をし、家に帰れば小説家の真似事を繰り返していた。

 見て見ぬ振りをしていたか、うかつにも僕の戦略に気付かなかったのか、父は何も言わなかった。


 事務所勤めが三年目に入った夏、正確に言えば二年前の七月、事務所の人たち全員が見守る中、とうとう僕は父に退職願を提出した。

 父は僕の毅然きぜんたる態度に少なからず驚いたようだが、拍子抜ひょうしぬけする程素直にそれを受取った。

 説教や説得を予想して、僕はそのままの姿勢で暫く待機したが、口ごもった末に漸く父が発した言葉は「分りました」の一言だった。


 お体裁屋ていさいやの父が、使用人の前で息子から裏切られたシーンを、ことさら演出することを嫌ったのだろうと、勝手に解釈していたのだが、今になって考え直してみれば、中退したものの大学卒業年齢に達した一人の成人男子に対し、これ以上自分の考えを押し付けてもしょうがないと判断したのではあるまいか。

 あの父がそこまで物分りが良いとは思いがたいのだが……今日まで真意をただす機会が無かったので、父の当時の気持ちはいまだに分らない。

 その時家を出て行かなくて済んだことは、今になって父に深く感謝してさえいる。

 僕は普通に生活して行く事の経済的困難を、事務所を辞めてみて漸く悟ったのだから。

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