第10話 さいたま初日開演

 そろそろ開演の時間だ。


 谷底にあるかのような右手奥の大ステージを、はるかな高みから見下ろしつつ、慎重に双眼鏡の焦点しょうてんをセットする。

 丁度その時、仄暗ほのぐらわずかな照明まで落ち切って、大空間は漆黒しっこくやみになった。


 僅かな時間が異様に長く感じる。大観衆の固唾かたずを飲む音が聞こえてきそうだ。


 突然、暗闇の中に巨大な光が咲いた。


 長径ちょうけい二十メートルはあろうかと云う木の葉型このはがたの大ステージ、そのバックサイドを取り囲む形で湾曲わんきょくしてそそり立つ、高さ約十メートルもの大スクリーンに、正面しょうめんを向く灯火の顔が大写おおうつしになったのだ。


 無表情に目を大きく見開き続け、一見スチール写真のように見えて、髪だけがさらさらと風にそよいでいる不思議な絵だ。


 大写しと同時、待ってましたと言わんばかりに、会場全体に爆雷ばくらいの様な大拍手が湧き上がる。

 呼応こおうするように灯火の歌が、小音量のBGMとして流れ出した。

 アルバム「エキゾチック」からの『オープニング』のようだ。


 それきりだった。

灯火のアップ映像以外何一つ起こらないのだ。

 タイミングをミスった拍手は次第次第に静まった。


 静寂せいじゃくの中で、時折

「トーカー!」との呼び声がこだまするだけ。


 薄暗闇うすくらやみの中で何時の間いつのまにか、バンドメンバーは定位置に着いていた。


 灯火の登場まで、らしにらされて、数分間にも数十分間にも感じられる、コンデンサー回路かいろに閉じ込められた時間帯。


 ステージ中央にセットされたスタンドマイクに、きっちりと焦点を合わせたままじりじりと待ち続ける。

 ステージプロデューサーの思惑おもわく通り、生れて初めての、生灯火なまとうかとの対面に向けて、僕は緊張感をみっしりとコンデンスされていた。


 巨大ディスプレイに目をやると、強い視線で遠い一点を凝視ぎょうしする、灯火の大きな目が、不意に一つまたたきする。


 バンドは「Passage」のイントロをかなで始めた。

 いまだ漆黒に近いステージの中央に位置する、スタンドマイクのすぐ後方に、小さな光の円が生まれた。

 光の円の中心に、ぱっくりと四角い穴が開いた。


 三万六千個の視線が一点にそそがれる中、ゆっくりと黒髪が浮かび上がってくる。


 観客側の視角差しかくさで、先ずは圧倒的多数で三方を囲む、高い位置のスタンド席から歓声と拍手がどっと湧いた。

 一拍いっぱく遅れてステージより少し低いアリーナ席からも歓声が爆発した。


 さえぎる物質さえ無ければ永久直進運動を保ち続け、正体を見せようとしない筈の光線は、百%近い反射率を持つ純白のドレスによって、漆黒空間のあらゆる方向へと散乱さんらんした。

 まるで自ら発光しているような美しいフィギュアは、全身がせり上がり切ると同時に魔法が解けて生身なまみの人間となった。


 影縫かげぬいから解放された灯火は、一歩二歩と前に出て静かに歌い始める。


 しっとりとしたバラード。ろうろうと響き渡る歌声は、聴く人の中に深く浸透しんとうし、このシーンではノイズとなる歓声と拍手はすっと静まった。


 生灯火の全身は、高性能な双眼鏡の中で丸く切り取られて輝いている。

 オープニングの一曲で僕は魅了された。

 一人でここに居て良かったとさえ思えた。

 実際中島さんと一緒だったなら、僕は灯火に対しここまでひたり切ることができただろうか。


 木の葉の大ステージは、淡く純白に輝き始め、くっきりと格子柄が浮かび上がった。立方体キュービックを敷き詰めたような、透過型とうかがたフロア自体が蛍の様に発光している。


 二曲目は最も新しいが、むしろ灯火の初期を思わせるリズム、そしてストレートな愛情表現『Come on Love』


 知らぬ間に、僕は首と膝でリズムを取っている。

 それでもまだこの時は、左席をけたままで良かったと思う気恥きはずかしさを残していた。

 右側は元々気にする必要が無い。皆が皆、右下ステージしか見ていないのだから。


 初っ端しょっぱなからのスタンディング、頭上手拍子ずじょうてびょうしで熱狂するグランドレベルのアリーナ席とは対照的に、急傾斜きゅうけいしゃ最上部スタンド三階席の僕の周辺では、アリーナに負けじと立ったまま熱狂応援しているのはまだ少数派だった。


 ステージの灯火は会場のノリの良さに刺激されて、パフォーマンスは早くもアクセル全開。

 サビの終りで灯火が仰け反のけぞると、すかさずアリーナが反応。

アーティストとオーディエンスの刺激のキャッチボールはエスカレートしていく。


 のっけからの飛ばし過ぎがやや気になったが、全開で歌ってくれるのはファンにとって文句なしに嬉しいことだ。


 以前NHKの特番で、僕は井の頭いのかしらヨースケのライヴを観たことがある。

 ベテランアーティストならではの貫禄、ゆったりとしたステージメイク、存在感も際立っていた。

 名曲ナンバーの歌唱シーンとジョークあふれるMCは、観客の反応が一段と素晴らしかった。

 古くから彼に付いているファン達は、自分達自身のなつかしき青春時代を彼にダブらせて、老成ろうせいしたヨースケを楽しむすべを知り尽くしている。

 アーティストだけでなくオーディエンスもまた超ベテランなのだ。

 歌唱について言えば熱唱とは程遠く、お酒でも飲みながら気持ち良く流してるように聴こえた。

 父から勧められたCDとは大違いだ。

 CDで聴いたヨースケにはほとばしるエネルギーがあった。

 ベテランのオーディエンスも、昔はあのヨースケに嵌ったに違いない。今のヨースケにはあの頃のパフォーマンスは無理なのだろうか。

 若い僕から観ると、両者の関係はひどく物足りなかった。

 何故熱唱を要求しないのか。

 どうしてかったるい歌唱に我慢できるのだろう。

 年だからしょうがない、そこは多目に見てやろう。


 古き良き時代、若く輝いていた頃を思い出せるだけで良い。

 お互いに、甘やかし、甘やかされた関係。

 ベテランアーティストのライヴは僕には温過ぬるすぎて、刺激されるものは何一つ無かった。

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