Chapter.43 打倒

「タイガ!」


 戦場。聞こえるはずのない声が聞こえた。


 和名を呼び慣れていないから。どこかイントネーションが僕らと違う、舌足らずな少年の声。声変わりも迎えてないような、どこか痩せてて、健康ともいえなくて、過酷な環境で魂を擦り減らして生きているはずなのに笑顔が暖かい、そんな小さな少年の声が。

 名前を呼ぶ声が。


 彼は駆け付けるように姿を現すと、ニバスの前に立ち塞がるように立ち、両手をばっと広げていた。

 西條くんを守るように立つ。


「クゥリ!」

「お前……」


 ニバスが嗜虐的に笑う。

 ――なんで。なぜクゥリがこの場にいる。

 いや、東雲さんがここに連れ攫われているのだから、シェルターに何かがあったのは間違いないだろうが……。


 ふと。


 ぴょこ、ぴょこ、と飛び跳ねて移動し、城内から中庭に移動しようとしている神様の姿を僕だけが視認した。


『おやおやおやおやァ、ドブネズミが一匹。みんな死んでるはずなんですけど。何でですかねえ、こんなガキがいるとは。おっと、触らないでください。近付くのもNGです。汚らわしい』

「おま……え、ふざけんなよ……」


 西條くんが呻きながらもよろよろと立ち上がると、クゥリの肩をガシッと掴んで、力づくで座らせた。ぺたんと崩れ込むクゥリに、その後ろから西條くんが冷たくクゥリのことを見下ろす。


「テメェは、好きな女のためだけに、体を張ってろよ……」


 手にはへし折れた木刀を持ち。もはや根元しかないような木刀だけど、西條くんはそのささくれ立った鋒をニバスへ向けると、力強く、鬼のように睨む。

 意地だ。

 そこに立つ西條くんは、誰よりも英雄然としていて。


『――そこまでだ』


 この場の誰よりも低く、険しく、凛々しく、勇ましく、ダンディズム溢れる、声がした。


 ニバスが焦ったように振り返る。そこにいるのは丸い毛玉で。


『……大嫌いな神の声がした気がするんですがァ……なんだ。そのちんちくりんは』

『我輩は、神である』

『ハッ』


 ……鼻で笑われてるな。空気が締まらない。

 が、神様はそれにめげることなく、ただ冷静に、まるで宣告するように言った。


『ニバス。悪魔階位第七五二一番の低俗なる〝人でなし〟よ』

『――ッ』

『ここに、陣地を形成する』


 分かりやすく狼狽えるのはニバスだ。同時に、神様を起点にして二メートル近い周囲が陣地として形となり、光り輝いて風の流れさえを塗り替える。


 騒がしかった魔物もぴたりと止まり、僕らでさえも目を奪われるなか。


『ここに、魔法を形象する。ここに、導とする意を描き、ここを神聖な園と定義する』


 陣地を囲うように、六本の柱が立つ。眩い光柱に囲まれて、神様は徐々に浮かび上がり、いままで僕らに見下ろされていた神様が対等な目線の高さまで。


 いや、それ以上の位置に立ち、今度はニバスを見下ろすのだ。


『ダアトの門は開けれり。世界樹なりし、転ずる人の在のセフィラ』


 ニバスは慄くように後ずさる。定まらない視線は既に神様でもなく、僕らにも見えない何かを陣地の先に感じているようだった。


 西條くんはそんな後退しようとするニバスの背中に木刀を突き立てて逃がさないようにしながら、足元にクゥリを寄せて様子を慎重に見守っていた。


 僕も東雲さんを守るようにしながら、妙な高揚感を持って神様を見つめた。


『貴様は決して、赦されぬ。下級と言えどその大罪、その身を持って贖うがいい』

『お、おお、おおおおお……ッ』

『使徒よ。我が聖水をここに』


 何らかの強制力をもって、膝をついて伏せるニバスをよそに、神様が僕らにそう呼びかける。慌てて水筒を取り出し、ばしゃあんと陣地のなかに振り撒いた聖水は――。


 一粒一粒が独立して宙に浮かび、七色の雫が色とりどりに染め上げていた。



もどり。もどり。もどりたもう。貴様の死を以って世界は進む』



 ――ぴちょん、と。

 雫の一粒が、ニバスの額に触れた。


『アアアアアアアアアアアアアアアアア! オレはッ、まだまだ遊びたいのだああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 ぴとぴとから、しとしとに。ざーざーとして強まって、俗物的に言い換えるならマシンガンのようにニバスただ一人へ打ち付けられる聖水の豪雨。


 染み渡るように光っていく。


 それはまるで、浄化の力を受けすぎたように。光のなかでも輪郭を保っていたニバスは、まるで凝縮していくように、あるいは呑み込まれていくように。


 丸くなって、その球をどんどん小さくして、最後にはぷつんと途切れるみたいに存在そのものを世界から消した。

 そして、静寂が訪れる。


「…………………………………………………………………………、終わった……?」


 ニバスは、浄化されたのだ。


『あとは魔物だな』


 ふん、と鼻で一息した神様は、陣地も消えたのか滞空出来なくなって、転がり落ちるようにぼとりと落ちた。

 そのシュールな姿に僕らの緊張の糸も解されながら。


「ん……うぅ」

「あ、東雲さん……」


 手元で抱える彼女が目を覚ます。僕と目が合うと、きょとんとした可愛らしい顔をして、自覚した瞬間にとっても分かりやすいくらい顔を赤くした。……けど、ぴと、と大人しく頭を僕の胸元に預けてくれるから、途端僕の心拍数も上がる。


 バレないように、気取るように、目を、逸らしてしまいつつ。


「怖かった……」

「……う、うん」


 ほっと落ち着くみたいに息を吐いて。

 彼女が、僕の顔を見つめる。


「助けてくれてありがとう。優斗くん」


 〜〜〜っ、やばい。顔を見れそうにない。どこまでも顔を隠すように、彼女を抱えながら空を見上げて、この真っ赤っかで熱いにやけ顔を見られてしまわぬように努める。


 喉が張り付く。潤そうと思って、ゴクッてしたら、東雲さんにそのことはバレてしまった。

 恥ずかしくて、やっぱり顔は見られなくて、抱き抱える東雲さんが暖かくて、ぎゅっと強く抱き寄せてしまって。


 それがまた恥ずかしくて。


「……もちろん、だよ。東雲さんは、僕が守るから」


 頑張って、そう言葉にした。

 それ以上は無理だなって思ったし、言ってから一番恥ずかしい台詞だなということに気付いた。


「おいまだ仕事は終わってねーぞ」

「ああっ、ご、ごめんごめん!」


 西條くんに助け舟を出されて僕は嬉々として乗り込む。

 まずいまずい。自分の世界に入り込んでいた。完全にいままでの全てを忘れていた。

 いまは神様にいいところを持ってかれた場面だ。


『浄化を進めよ』


 僕はいそいそと応じる。この場に魔物はまだいるし、水風船や水鉄砲も余っている。一番の強敵がいなくなった分、そこから先は楽な仕事で、僕らは聖水を振り撒いていく。


「き、綺麗! 綺麗!」


 空が晴れる。太陽の光に照らされて、中庭に虹が立つ。クゥリがはしゃぐ。

 やっと落ち着ける。

 僕は笑う。


「これで、ミッションクリアだね」


 僕らの旅は、終了を迎える。

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