第十三話 世界を救う聖水探索

Chapter.41 聖水の正体

「これが、聖水……」


 ……――王族専用の浴室は、まるで神殿のようだった。

 大理石のタイル張りに、石柱が何本も立って天井を支える。一面のみ壁がなく、見渡せる景色は城下と荒野。かつては繁栄していたグロウシアを一望出来ていたのだろう。


 僕らに言わせればプールのような浴場は、金装飾のライオンからジャバジャバと溢れる聖水によって満たされていた。


「オイルみたいだ……」


 虹色ってこういう? 若干の訝しさも感じながら。

 だけど、明らかに今まで見てきたどの水よりも、異なることは明らかだ。


 慎重に指を通してみる。その水質は冷たく心地の良い真水のようで、両手で掬い上げ、ぽたぽたと溢れる水滴の一粒一粒を、青色に。黄色に。赤色に。緑色に。紫色に。

 さながら色とりどりに。


 虹の欠片のように見せるから、先ほどまでの疑いなんて捨てて、これが、本当に聖水であることを確信した。


「……すげえな」

「うん。回収しよう」


 これが、僕らの追い求めた聖水なんだ。感じる高揚感はあるまま、しかし口につけてみたいとか全身に浴びてみたいとかは特に思わずいそいそと鞄を下ろす。取り出した水筒を潜らせて、なかを満たせばずしりとした重みに満足したような笑みが溢れた。

 それから、秘密兵器を取り出した。


「一気にガキくせえ」

「言わないでよ」


 これが名案だったんだから。

 リュックから取り出すのは水鉄砲と水風船。これは東雲さんの考案によるものだ。


 神様が言うところ、魔物に振りかけることで汚染を取り払うことの出来る聖水は、純粋に水筒から魔物にぶつけてしまうよりもこのような形にするのほうが効率的だった。


 およそ金額は三千円分。僕らにとってはかなりの痛手だ。そしてこのような局面でも神様は対価を求めるんだ。ケチ。

 しかも、デザインは例によって赤い。

 いやまあ魔物を倒すための武器だし別にいいんだけどさ。


「よし」


 いくつかの水風船はリュックに。水鉄砲は合計四本あり、いずれもタンクには聖水が。僕と西條くんで一本ずつ手にしながら、浴室を一度あとにする。


 あとはこれを持ち帰ればいい。遭遇する魔物には全てこの聖水を当てることで、温厚な動物へとたちまち戻ってくれるのだそうだ。


 ということで無双モードに突入です。


 行きは成功するか不安だったけど上手くいくものだね。

 手にした武器に沸き立つ自信を共にして悠々と進む。


「あの悪魔はどうする?」


 王座にへばりつく虚構の王。西條くんに問われ、手元の水鉄砲を見ながら考える。

 倒すことに異論はない。躊躇いもないし、あんなグロテスクな悪魔は早々にいなくなったほうがいいだろうとも思う。


 西條くんから聞いた話によれば。


 あれは、第二王子と呼ばれている。


「生かしとく価値はないだろうけどな」

「うん……」


 吐き捨てるように西條くんが言う。

 ――なんで世界をこんな目にしたのかだとか。なんで悪魔を召喚してしまったのかだとか。

 その目的は、なんだったのか。とか。


 正直に言えば気になるけれど、それを知っても僕らには意味がないのだろう。僕らは所詮尻拭いで、当事者ではないし、その真相を聞いたところできっと虚しくなるだけだ。


 二十年前の様子さえも、悠人さんの日記から。しかも断片的にしか知らないわけだしね。


 だから、西條くんの言う通り、価値というものは本当にない。言ってしまえば害虫と一緒で、そこに何か生物としての理由があったとしても、降りかかる火の粉は払うのが人間であるべきで。手に持つ水鉄砲は殺虫剤と何ら変わらない。


 無感動であるべきなんだ、僕らは。この件に対して。

 清算を行わせる、罪を償わせる、そんな立場じゃないし、それは僕らに求められても困る。


「クゥリが、安全に暮らせる世界に戻してあげるのが第一だ」


 恨みや因縁を持っている人がまだこの場にいるなら別だけど。

 僕らは異世界からやってきた。聖水を見つけるまでが使命で。

 クゥリのためを考えるならば、過去よりも、未来を優先するべきだ。


 ――静かに頷いた西條くんを連れて、僕らは謁見の間まで戻る。


 相も変わらずにそこに居続ける虚構の王は、未だ呻くようにうわ言を吐き続けていた。


『あああ、ああああ、神が、来る。きっと我らに制裁を与えに来る。おお、おおお、聖水を守らねば、守らねば……』

「………」


 ……見ていられないが、対面に立つ。

 ふいに白んだ目が見えた。やはりもう何も見えないのだ。

 聖水が、既に奪われていることも知らない。


 そして同時に、醜い悪魔の頭の上に、図体に似合わない普通サイズの冠がちょこんと乗っていることにも気付いた。

 古びた金色の冠。それだけが唯一威厳を放っているけれど、やっぱり、相応しくはない。


『先ほどから。物音だけがしているのだ。がさり、がさりと扉を開けて。瓦礫を踏んで。何かが確実に隣にいる。私の首を、狙っているのだ』


 水鉄砲を構えようとしたら、西條くんが水風船のほうを手渡してくれた。確かに相手は巨大なのだから、より拡散して満遍なく聖水を浴びせられるこちらのほうが適していそうだ。


 時間はない。瞑目し、深呼吸して、僕は水風船を構える。

 ――投げる。

 ばしゃんと顔面で破裂し、煌びやかな虹の光を持った聖水が綺麗に飛散した。


『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』


 ―――――大きく蠢く肉塊。地面が震えるほどの鼓動。その断末魔と共に、黒い血液が肉の隙間から噴出して、足元に落ちてくるのをすんでのところで躱した。

 触れちゃダメだ。クゥリナンの叙事詩を参照するならば。


『おお、おおお……ニバスぅ、ニバスぅぅ、貴様ぁ、どこに、どこにいるのだあああ。私を見捨てたのか。おおおお、おおおお……! この、このぉおお、裏切り者めぇえええ……』


 そうして僕らは退散する。未だ蠢く肉塊は、浄化の力を浴びて溶けるような光に包まれており、これを最期まで見届けてあげる必要もないだろうと判断した。

 逃げる僕らの後ろから、どこか後悔すら感じられるような怨嗟がいつまでも、いつまでも。


 虚構の王は最期まで、哭いていた。

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