閑話 一方その頃

Chapter.39 隠れる

 違和感に気づいたのは作戦決行からしばらく経って十時七分。地下シェルターで待機していた東雲美幸は、がこん、というような物音に異変を感じて息を潜めた。

 クゥリを招き寄せ、声を押し殺しながら、警戒するように廊下を覗く。


『バレたのだな』


 下唇を噛んだ。抱える神様をぎゅっと胸元に寄せて、彼女は判断を迫られている。

 南田でも、西條でもない。北斗である可能性もないだろう。


 次いでバン! と乱暴に押し開けられた鉄扉の音に、イヤな予感を確信させる。


『戦えるのか?』

「……っ」


 非情ながら、神様が問う。東雲は壁に立てかけられた箒を武器として手にしていたが、震えるし、戦えない。無理で、無謀で、愚かな行い。


 判断する。振り返る。クゥリの部屋には扉はなく、カーテンが入り口に掛けられているだけなので立て篭もることも出来ないが、その奥の、トルハの部屋なら別だ。

 守るべきものがここにはいるのだ。不安そうな表情で、その金色の目で縋るように見上げる少年に、東雲は決意を迫られている。


「隠れよう」


 精一杯、精一杯の笑顔。いままでのようなふんわりとした笑みではなく、強張っていて気難しい笑み。怖くてどうしても震えるような手を誤魔化すようにぎゅっと握り締めて、押し殺して、クゥリの背を押してトルハの部屋に逃げ込む。


 カチャリと確かに鍵を掛け、仄暗い病室。息を殺して堪え忍ぶ。

 音に集中する。


 ――かつん。――こつん。――かつん。――こつん。

 響くその音は明らかに靴の音。


 ゆっくりとした歩調で、でも明らかに西條や南田のものではない。作戦内容を振り返っても、北斗だってここにいま戻る理由はない。


「………」


 息を殺す。話には聞いている。

 西條が、城で見たという悪魔の話。一つはグロテスクでうわ言ばかりの醜い悪魔。図体がでかいだけで、動けもしないと言っていた。


 そして悪魔はもう一人いる。黒翼の生えたピエロのような、狡猾そうな悪い奴。

「俺はそいつに殺された」と西條は苦い表情で言っていた。


『ふ〜んふふ〜ん』


 ――聞こえてくるのは鼻歌だ。

 呑気、あるいは無邪気にも。だがその声色は些か異質で、例えるならば神様のように、ずしりと直接脳に響くような声でありながら、不快的。


 生理的な拒否感が、耳の奥をぞわりぞわりと撫でて気持ちが悪い。


『おやおや骸ばかりではないですか! ここの人間は埋葬も知らないのでしょうか』


 一つ一つの扉をがたん! ばん! と開けてくる。

 粘着質で声高く、この地下シェルター内をよく反響して、悍ましい。不気味な声だ。


『フ、フフ、くふふふふ。あはあ気味が悪い。大好きですよ、ゾクゾクいたします』


 東雲は案じるようにクゥリの耳元を両手で覆って、あまり不快なこの言葉を聴かせないように努めてあげていた。震える動悸に息を殺して、早くこの声主が去ることを祈るが。


『生活感を感じます。うぅ〜ん明らかにこの世のものではない荷物もいくつか……この黒い液体は飲み物ですかね。キャップは気に入らないですけど、どれ……』



『塩っぱ!!!!!』



 ――特大の大声だ。

 思わずビクッとしてしまい、その拍子に金物とぶつかって音が立つ。


『おやおやおやおやァ』


 バクバクと。囃し立てるような心臓に息が詰まる。悪魔がこの部屋の存在に気付く。

 ドアノブに、手が掛けられる。ガチャリとドアノブが捻られる。

 鍵がひとりでになぜか外れる。


『かくれんぼは終わりですよォ、ふはははははははは』


 ギィイイと慎重に押し開いた扉。黒く変色し、長く尖った爪をしている悪魔の指先が、扉を掴んでグッと引いていく。


 ……神様が東雲の足に体当たりをした。何かしらのコンタクトだろう、何を狙っているのかは分からなかったが、頼りにする想いで彼女は頷いた。


 扉が完全に開く。その姿が明らかとなる。ニマッとしたような嗜虐的な笑みが見えて、不快指数の高い声音が楽しそうな高笑いを上げて。

 ぎゅっと目を瞑る。


 もう一度開く。


 ―――――耳をつんざく、とても聴き馴染み深い女の子の悲鳴が、した。

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