Chapter.38 虚構の王
四方が防壁塔で覆われていた城門の内部は石畳の一本道が最奥の城まで伸びており、少し広めの中庭が左右に。ボコボコに荒れているのは魔物や当時の混乱によるものだろう。
石畳を渡って真っ直ぐに城への侵入を目指す。
城の扉は壊れており、人一人分が通るには十分なスペースが開いたままだった。敷地内にも魔物は何体かまだ残っていたが、急いで走り切り抜けると、北斗さんの助言の通りに麻袋を地べたに置いて踏み付ける。ガスは低い位置に溜まりやすく、基本的に、四足歩行ばかりな魔物はこれで近寄れなくなるはずだ。
「これがお城……」
王城のなかは凄惨な姿だ。白亜のお城、床には赤いカーペットを敷いていたようだけど破れていたり、荒らされていたり。花瓶は割れているし、絵画は落ちているし、これは武力を表すものか、ずらりと整列していたはずの鎧甲冑のオブジェは軒並み倒されて散乱している。
廊下は広いし扉の数は多い。だけど、探索していく必要もない。
目的は浴室で、ルートも把握済み。王族の私室があるような奥部へとまっすぐ目指すべきであり、そこに繋がるのはこの目の前。
金色の意匠で装飾され、三メートル以上もある両開きの扉。
謁見の間へと繋がる扉である。
「覚悟はいいか」
うんと頷く。正面から行くことに問題はない。西條くんから、この先に待ち受けるものの話は聞いている。
取手に手をかけ、こちらを一瞥してくれる西條くんに、僕は踏ん張って扉を引いた。
がこん、と謁見の間への道が開く。
「―――――、っ……」
「あの奥の道だ」
……僕は初めて目の当たりにし、この通り絶句してしまうわけだけど、既に見たことのある西條くんは敢えて触れずにその傍らの通路を指差す。
だけど、僕は動けそうにない。
「これは、予想以上だ……」
それは、グロテスクなものだった。
紫色に変色し、肥大化した肉塊といっても差し支えない。
それは、謁見の間、王座にへばりつくようにして、その巨大な図体で座していた。正確に言えばただ乗っている、だけでもあるんだろうけど。
『お、おお、音がする……。そこにいるのは誰だ』
……腹底に響く気味の悪い声だ。神様とどこか似ているようで、神様ほど心地のいい声の重苦しさでは決してない。
推定で見ても六メートル。その肉塊は赤子のような頭身をしていて、巨大な頭部と短い手足。ブクブクとした肉で覆われていて、見るに耐えない異形の姿。
西條くんに口を制されて、でも、僕だって言葉を交わしたいとは思わない。まじまじと見れば見るほど込み上げる吐き気から、僕はどうにか目的を思い出す。
『いないのか……私は王だ……王のはずなのに。臣下も、妻も、誰ももてなしてはくれぬ……』
それは、悲しげな声だった。その姿は、決して見るに堪えないが。
肥大化している肉に視界が悪いのか、それともそもそも目が存在しないのか。音は聞かれても正体を認識されないことに強い安心感を覚えながらも、だからこそ余計に不気味に思う。
魔物とは明らかに質が異なっていた。まず、生物として成立していない。
図体は重く、動けそうもなく。この悪臭はきっと排泄物で、謁見の間の至るところに散らばったような黒い血は、きっと魔物を食べているから。
「………」
この化け物は、ただそこにあるだけなんだ。王座にふんぞり返っているが、それだって誰も、周りにはいないし、たった一人。ずっと一人で。
孤独。あるいは虚構の王。虚しい存在がそこにはいた。
「もう一体のクソ野郎がいないうちに早く行くぞ」
「う、うん」
西條くんに急かされて。
『これが、これが私の望んだ王国なのか……』
――向かう先は王座のすぐ隣にある、階段で上がった先の突き当たりに構える扉。確か東雲さんの説明ではこの先に王族の私室が広がり、いくつかの部屋を跨いだあとに源泉湯の浴室が現れるのだそうだ。
異臭を漂わせる、醜い悪魔のすぐ真横を通る。あまり視界には入れたくない。
いそいそと進み扉を閉め、直線の廊下に出たところで、僕はようやく胸を撫で下ろす。
「SAN値削らされたな」
「ほんとだよ」
言い得て妙な例えだ。苦笑する。西條くんに和まされてしまった。
――王族私用のこの廊下には、あまり傷が目立っていない。当時の煌びやかな雰囲気は残しながら、左右にいくつも立ち並ぶ扉を指折り数えて六番目。
ここがグロウシアの王室にあたる。
ふかふかなソファに高級そうなテーブル。銀製のティーポッドなどは当時のまま。燭台に巨大な肖像画。英雄クゥリナンの叙事詩にあった挿絵と同じ絵画も飾られており、カーペットもカーテンもベッドでさえも、ひたすらに質がいい。今まで見てきたものとは異次元に、状態が保たれている。
天蓋の付いたベッドなんて初めて見た。
「広いな」
「物色している余裕はなさそうだ」
いずれも興味深いのだけれど。
土足で踏み入ることに若干の抵抗を覚えながら、駆け足で次の扉へと向かい、寝室や、一部屋一部屋ごとに全く趣きの異なる私室を渡るように超えていく。
庭園は荒れていたが、噴水やベンチなど、その一つとっても僕ら庶民に触れていいものとは思えず、そんなことを注意する人間だってこの世界にはいないというのに、畏れを感じるような空間だった。
端的にいえば、緊張する。
「源泉湯は外なんだろ?」
「うん。厳密にはなんて言うのかな、露天風呂のような雰囲気らしいけど」
深くまで読み込んだマップ。頭の中にある東雲さんの説明と、王城内部の解体図をもとに辿り着いたその扉。
ちらりと覗いた現在時刻は十時十二分。僕らは頷き合って扉を押し開けた。
「これが、聖水……」
そして、ついに到達する。
この世界を救済する、その聖水の、正体に。
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