Chapter.24 彼と彼女の話

 次の日は僕がお留守番になった。西條くんが探索を続投し、東雲さんとタッグに。北斗さんが郊外を担当する。

 そこで、問題が発生した。


「トルハ、トルハ! 大丈夫、大丈夫だよ!」


 血が黒くなる、という病を患っていた女の子・トルハが、突然暴れ出してしまったのだ。


 ――バン! と力強く扉を開け放って、混乱している様子の彼女がウウウと低く唸りを上げる。ふらふらとしていて、意識が朦朧としているのか。

 その瞳は獣のように血走っていて、敵を探すかのように目線だけが右左に走る。


 理性はなさそうに伺えた。不安に思う。恐ろしくも見える。悪霊に取り憑かれた子どもみたいで、僕は動くことが出来なくて、ただクゥリは真っ先に彼女を抱き止めに向かった。


 今すぐにでも倒れそうな状態の彼女を受け止めるようにハグをする。

 何度も何度も呼びかける。


 彼女はクゥリのハグを、……まるで拘束されているように感じるのか、余計に暴れてしまっていた。爪を立てて、クゥリの細い腕を振り払おうと全力で。

 なのにクゥリはずっと抱きしめ続けていた。


 ぎゅっと力強く、痛みも堪えて我慢して。ずっと、ずっとだ。


 僕はその姿を見ていることしか出来なかった。

 クゥリは、すごいなと思った。


「トルハ、トルハ」


 次第に少女は勢いを弱め、あからさまな落ち着きを見せると、脱力するようにへたり込む。クゥリも一緒になってしゃがみ込むと、意識を取り戻した少女は泣き出してしまった。

 冷静になってしまったのだろう。


「トルハ、クゥリは、ここにいるよ。大丈夫だよ。泣かないで」


 悲痛な現場を目の当たりにして、僕は苦い顔をする。


「……トルハを、寝かせてくる」

「う、うん」


 大人しくなった少女を抱えながら部屋へ連れていくクゥリを見送る。


 ぽつんと一人きりで残されて、室内はどこか陰鬱とした空気で満たされてしまった気がした。


 クゥリが戻ってきたらどうしよう、どんな言葉を掛けようだとか、テンパったようにぐるぐるずっと考えてしまっているのが、恥ずかしかった。


     ☆


「ユウト、ありがと」

「……………いや、これくらいしか出来なくて、ごめん」


 あれから数分経って。

 帰ってきたクゥリを迎えるように、僕は彼の傷口に絆創膏を貼ってあげていた。


 にへらと笑って感謝してくれるクゥリに、でも、僕は気難しい顔をして答える。


 時間が経ったいまでも、自分があの時どう動けばよかったのか答えが出ることはなかった。

 クゥリは、本当にすごい人だ。


「……トルハは、大丈夫だから。いい子、だからね」

「うん。分かってるよ」


 後ろめたそうにクゥリが言う。以前も感じたことだけれど、クゥリがあの女の子のことを大切に思っているのは僕らにもちゃんと伝わっていることだ。でもやっぱり、クゥリとしては気が気じゃないのかも知れない。


 例えば僕らが一方的に決めつけて、悪者扱いするんじゃないかとかね?


 まさか恩人にそんな不義理な真似をするはずがないし、そうでなくてもあの女の子を見捨てるような人間が、僕らのなかにいるはずがないのだ。


 だから、信頼して欲しいと思う。そして、その上で警戒されてしまっているのなら、僕らはもっと彼らに対して理解を示していったほうがいいのかも知れない。

 余計な考えは取っ払うべき。笑顔でクゥリに言葉を掛ける。


「なんとかなるよ、クゥリ。僕らが救ってみせる」

「……にひひ」


 うん。別に、これだって嘘じゃない。聖水という当てはあるんだから。

 だから僕は、胸を張る。

 大口だけでも叩きたかった、って気持ちがあるのかも知れないけど。

 クゥリが、その小さな両手で口元を押さえて、嬉しそうに笑ってくれるから。


 僕はやる気を漲らせる。

 うん、そうだ。張り切っていこう。

 くよくよしてる暇なんてない。いまの僕が出来ることを、一歩。

 一歩ずつ、だ。


     ☆


『疲れたぞ』

「休憩しましょう……」


 それから空いている時間を使って、叙事詩の解読を進めていた。

 根を上げる神様を労うように休憩を取っていると、見かねてクゥリが、ぽつぽつとあの女の子の話を僕に聞かせてくれた。


「トルハとね、クゥリは、ずっと一緒なんだ」


 話始めは悲痛な表情で、懐古的なように感じられた。


「聞いてくれる?」

「うん。もちろん」

「あのね……」


 僕は心の準備だけして、話を聞く姿勢に入る。


「生まれた時から一緒にいるの。トルハ、クゥリより何十倍もすごい。クゥリは、足元にも及ばない」


 俯きながらもそう話してくれるクゥリの声音はどこか明るい。彼女との思い出を再生しているのか、その表情は見えないけれど、聞いている僕にもじんと染み入るものがある。

 僕は神妙な面持ちで相槌を打つ。


「でもトルハは、トルハは……ある時病気になって、みんなはトルハを諦めるべきだって言ったけど、クゥリがお願いして、それから、クゥリがお世話してる。トルハは、助けてもらえない」

「………」


 話しぶりにも、歴史的にも、クゥリたちの年齢的にも。

 このシェルター内でギリギリの生活を送ってきたなかでの、取捨選択の話なんだろう。


 かつての地下シェルターにはどれだけの人がいて、どれだけの備蓄があったかなんて僕には想像もつかないけれど、生存者が大を取るために小を切り捨てる、という選択は、たびたび映像作品などでも見られる人間心理や展開の一つだ。


 それでも酷な話なのは変わらないし、正解のない話だとは思うんだけど。

 クゥリがした選択は、素直に「男らしい」と思った。


「トルハは、いい子なんだよ。すごい子なの。だから、死んじゃいけないの。クゥリは、トルハを守るために、いる」


 そんなことはないと思う。クゥリだって立派なんだ。

 クゥリがそれほど言う昔のトルハは、本当にすごい子だったのかもしれないけれど、僕から見るクゥリだってとてもすごくて、きっと同じくらい、いい子なんだよ。

 そこに差なんてないし、僕としてはクゥリが劣るなんて思わない。


 そこに間違いはないと思う。だから僕は、そうやって唯一の寄る辺に縋り付くしかないような少年を、癒してあげたいと頭を撫でる。

 クゥリはその面を上げて、にへらと笑いかけてくれる。


「クゥリは、トルハ以上に大切なものはないよ。だけどね」


 彼が僕のことを見つめる。優し気でありながら、どこか鋭くて、暖かな金色の瞳で。

 ――そして、とびっきりの笑顔で。


「だけど、クゥリは、最近ね。ユウトたちのことが、好きだよ」

「……うん。ありがとう、クゥリ」


 胸がぐっと熱くなった。変に、泣きたくなってしまった。

 僕はクゥリを抱き寄せる。

 クゥリが嬉しそうにしてくれて、でも僕はやっぱり難しい顔をしてしまって。

 こんな小さな男の子が、誰よりも強かに思えて。


「………」


 子どもにここまで気を負わせてはダメだ。子どもがこんな目に遭っちゃダメなんだ。


 クゥリには幸せになって欲しいし、もっと遊んでいて欲しいと思うし、体重が平均の倍になってしまうくらい、お腹いっぱいご飯を食べて欲しい。


 そんなことを考えてしまう。

 僕は、世界の輪郭を知っていく。

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