第四話 英雄クゥリナン
Chapter.12 郊外住宅
やっと辿りついた王都は、近づくほどにその巨大さを知る。
近代的な都市ではなく、中世的な姿をしていながらも、そのさまはどこか予想通り。
「やっぱり荒れ果てているんだね……」
――神様が言うには、かつての王国・グロウシア。
二百年の繁栄を続けたけれど、汚染によってその歴史にピリオドを打つことになる。
小国ながら戦争に強く、こうやって見るように――城塞都市。ぐるりと回るような城壁が、王都に僕らが踏み込むのを阻んだ。
「入り口はどこだよ」
「回り込まなきゃだね」
川辺を辿り、行き着いたのは城壁に面した湖だ。湖面は広く、周りには先程までの荒野とは全然違う、緑色の森が広がる。明るい色の屋根をした郊外の民家も点々と並び、畑の跡も湖の周りには広がっていたが、やはりいずれも破壊されたものだった。
「行水……ってあるわよね」
じっと北斗さんが湖面を見つめながら、長い徒歩移動に汗を拭いながらそう言う。
北斗さんは水属性なのだろうか。
「まあまあ」
今すぐにでも飛び込んでしまいそうな北斗さんを半笑いでなだめる。彼女は、「アンタたちがいるのに飛び込むわけないでしょ」と僕をジト目で睨み返していた。
でも、どうせ入りたいんでしょう?
顔に書いてあるんだよな。
「ちなみにこれが聖水だったりは」
『しないな』
ですよねー……。
目的地にはひとまず辿り着いたけども、結局聖水探しはまた別問題。神様も大雑把な位置関係でしか分からないらしく、王都のどこにあるかまでは教えてくれない。
課題が山積みだ。
「湖の反対側に門があったらめんどくせぇな」
「まだ日が上がって時間もあるし、ちょっとここら辺を調べたいと思うんだよね」
王都内ではないものの、郊外にも民家というものがある。家としてはどれも壊れているものばかりだから、拠点としては王都内で探した方がもっと安全だろうけど、例えば食料や道具、地図とか必要になりそうなものはこの民家を探してもあるだろう。
知らない人の家漁りなんてちょっと躊躇いがあるけれど、どうせこの世界には僕たち以外に人はいないし、お構いなしで探索する。
いや、でも。
「待って」
思わずみんなを呼び止める。
「この世界って、生存者とかはいるの……?」
――この世界に転移した人間は、きっと僕たちだけなのは確かだ。
神様に召喚された原因として、明確に僕たちの親、つまりは先代が関係していると言われているのだから。まずそれは、間違いない。
不本意だけど、僕ら以外には巻き込まれていないはず。
それとは別に。
この世界に元々いる人たち、というのも確かにいるはずなのだろう。
湖に小さな波紋が立った。
みんなが沈黙しているなかで、西條くんが石ころを投げたからだ。
『――八十パーセントが汚染に絶えている。その後、二十年で更に減少した』
―――――神様の言葉に絶句する。
そして、知らないことが多すぎる。
汚染というのはなんなんだ? 二十年前この世界で何が起きた?
お母さんは、僕たちの親は――たぶん、災厄の四人とされた人たちは、汚染とやらにどう関与してしまったんだろう。
「……生存者も、探したいね」
この旅は聖水を探すもの。それ以上でもそれ以下でもない。
だけど、もしかしたら先代の尻拭いの僕たちは、他にもっとするべきこともあるのではないかと、考えなければいけないのかもしれない……。
「……ま、無理に考えても仕方ないっしょ! 腹減ったわ」
僕が思い詰めていると、北斗さんがそう言いながら手短な所にある民家へ入り込んだ。西條くんは「少し見回ってくる」と言って別行動を取り、東雲さんと僕は北斗さんに続く。
郊外の民家は、木骨を使用した漆喰壁で作られているらしい。味のある建物だ、壊れてさえいなければ、僕らが思い描くような中世西洋の民家というものが確かにある。
家の中は荒れていて、僕らは土足で踏み上がった。
いつからこのままなのだろう。テーブルの上には食器があり、戸棚は開きっぱなしなだけでなく、床に散乱した小物や割れた皿、倒れた本棚に散乱する書物の山まであった。
一番身近な連想としたのは、巨大地震みたいなものだ。
屋内の荒らされようは、それほど尋常じゃないと思った。
「本は……読めないね。ロシア語っぽいって思っちゃった」
「そうなの?」
「ううん、正確にはロシア語でもないと思うんだけど、こう、見てる感じがなんというか、文字の雰囲気がね。傍線や点が多いのかな。この言語自体は全然見たことないものだと思う」
「そうなると解読は無理がありすぎるね……」
床に落ちている本をぺらりと捲りながら、しゃがみ込んだ東雲さんとそんな事を話す。と、いつの間にか神様がぴょんぴょんと部屋のなかを移動し、東雲さんの肩に乗った。
『それは叙事詩だ。語り部カリナン・ズュイによる、グロウシアの逸話を語る詩集である』
「カリナン・ズュイ……? あ、もしかしてここの文字は、筆者名になるのかな……」
うん、僕には分からなそうだ。邪魔をしてはいけないなと思いながらも、東雲さんの肩に乗っかる神様が妙に馴れ馴れしくて腹が立ったので抱え持つことにした。
「挿絵があるよ。ほら見てみて、優斗くん」
「ドラゴン退治?」
『うむ。この大陸の宗教では、赤は非常に価値の高いものとされていて、竜はそれを恐れ天敵としていた。神聖な生物の血の色を示す赤は、神の色とも言われている』
どこにも赤い要素のないモフモフ毛玉な本物の神様が、神の色と語っている。
『よって、英雄クゥリナンは自らの血を剣に垂らし、赤く染め上げたその聖剣で竜を仕留めたとされている。竜は神の系譜でないため、傷口から黒い血を流し、その血を浴びてしまったクゥリナンは人ではなくなってしまったという、悲しき英雄の話だ』
「カリナンとクゥリナン……?」
『親が付けたがる名前なのだよ、クゥリナンは。それ以上の関係はない』
思わず面白い話が聞けて、ついつい興味深く思う。
挿絵は英雄クゥリナンとされる者が鎧と盾を装備し――モノクロのページなのに、剣の部分だけ赤色に印刷されているという拘りを見せたものであった。
「ちょ、南田ァ! こっち来てみー!」
と、唐突に二階にいる北斗さんが階段から顔を覗かせながら僕を呼んだ。東雲さんは本に好奇心を刺激されているようで、仕方なく神様を置いて僕は彼女の元へと向かう。
「あぶな」
これ、絶対転ぶでしょ。北斗さんよく二階に上がったな。
階段が一段だけ底抜けていた。
急ぐ気持ちを落ち着かせながら足元に注意して上がる。
「なにー? どうしたの?」
と、言いながらギョッとした。二階、ほぼほぼ吹き抜けじゃん。
天井無くなっちゃってるじゃん。
「ほらあそこさぁ、なんか飛んでない? 鳥にしてはデカいじゃん」
「ええ……?」
平然と、いやまあ僕より先に来ていた分慣れているだけなんだけど、物が散乱していたり木材が剥き出しとなっている二階の姿に恐れ慄いている僕をお構いなしに呼び付ける北斗さんに渋々と応じる。
北斗さんが僕を呼んだ理由は部屋の中じゃなく外側にあったようだ。
なにかとてつもない攻撃に抉れたような風穴を見せる二階の角で、彼女の指先を追いながら僕は目線を向ける。
「絶対に背中押さないでよ……」
「誰がアンタに触るのよ」
自惚れて申し訳ありませんでした。いやでもそこまで言わなくてもよくない……?
北斗さんはやっぱり僕には優しくない。たまに覗かせる棘が凶器すぎる。
「見えないよ」
「目ェ悪くない?」
そんな言う……? ものすごく目を細めて探している僕を、ケラケラと笑う北斗さんにムカッとしながら。
「そうだ、カメラを使えば」
というか、むしろ何故君はそんな遠くのものが肉眼で見えているんだ。僕もそれなりに、眼鏡を掛けるほどではない視力をしているけど、全然見えてないよ。
足が速くて目がいいとか、マサイ族の方だろうか。
「なんかイラッとしたんだけど」
……歯向かわない方が良さそうだ。勘が良すぎる。
生命の危機を感じた僕はあえて何も言わずにカメラを構えて鳥を探した。
望遠を使うと、多少の画質の荒さは目立つが遠くのものがかなり見えやすくなる。アタッチメントを付けていないデジカメではここまでが限界だろうけど、肉眼よりはずっとマシに探すことが出来そうだ。
手ブレと画面酔いに注意しながら僕は必死に捜索した。
「あー……あれかな? え、鳥……?」
姿を映す。なんだろう、あれは。
確かにそれは、大きかった。ズームの倍率から考えても、いまこの状態で空高く、黒点として見えるそれは絶対にカラスや野鳥のサイズではないと思う。
そんな気がする。下手したら僕らと同等の大きさだ。そんな鳥は普通ならいない。
その生物は王都の城壁から先、ずっと高い空を旋回しているようで、角度や日の辺りが変わればその正体も少しずつ見えるようになる。
まるでそれはコウモリのように、羽根の大きさがほとんどを占めているみたいな――。
「人っぽくね?」
「え?」
だからなんで君は見えるの……? 食い入るように僕はカメラを構える。
「………確かに……?」
「マジ!?」
まさかのタックル! 痛いよ!
よく、姿を見る前に北斗さんにカメラを奪われて、僕は手持ち無沙汰になる。北斗さんみたいに肉眼で見えないか頑張ったけど、無理すぎた。目が疲れてきた。
ねえ北斗さんカメラを上に持ち上げすぎじゃない? 使い方が下手じゃない? あと、太陽を見てしまいそうで怖い。そこまでバカじゃないとは思っているけど、神様を追いかけちゃうような幼女だからな。
分からないぞ。
――と、レンズがキランと太陽光を反射した。
「あっ」
と、そう言って北斗さんはカメラをさっと下ろし、僕の顔を不安そうに見た。
「ヤバ、どうしよう南田……」
嫌な予感を感じてしまいながら北斗さんを催促する。
「なに?」
「あたし、いまさ」
彼女は、どこか怯えたようにごくりと喉を鳴らしてから、驚くことを口にする。
「目、合っちゃったかも」
「――え?」
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