第15話 異世界少女、高校へ行く②

 スタジオの奥にある調整室は、入口と同じ防音処理が施された分厚いドアと壁で隔てられている。ドアを閉めれば一旦はスタジオの音が聞こえなくなるけど、スイッチを入れればスタジオ内の音がスピーカーから流れて、スタジオにいる役者陣の集中力を削がずに様子がわかる仕組みになっていた。


「ここには、様々な機械があるのだな」

「触ったら危険だから気をつけろよ」

「心配するな。我とて下手なことはせぬ」


 音響用のミキサーやデスクトップPCを興味深そうに眺めるルティに釘を刺すと、わかってるとばかりにぷくーっと頬をふくらませた。


「これが〈みきさー〉で、こっちが〈ぱそこん〉であろう?」

「お、よく知ってんな」

「昨日、帰ってからルイコ嬢が予習ということで教えてくれたのだ。これを使って、音や文字などを操るのだと聞いた」

「お夕飯を食べてから時間があったし、学校のこととかを含めてルティさんに説明しておいたの」

「うむ」

「そういうことでしたか」


 まるで生徒と先生のように、ルティと赤坂先輩が目を合わせて笑う。ふたりともすっかり打ち解けていて、安心して見ていられる並びだ。


「そういや、ルティのところにも学校ってあるのか?」

「当然だとも。ここまで大きくはないが、国が運営しているものと、地元の学士が私的に運営しているものがある」

「じゃあ、ルティもどこかの学校に通ってるわけだ」

「我の場合は……そうだな、家で学士についてもらっているとも言うべきか」

「専属の先生ですか」

「はい。昨日のルイコ嬢と同じように、つきっきりで様々なことを教えて頂いております」

「ということは、ルティって結構いいところのお嬢様だったりして」

「そのようなものではない。家の方針でそうしているだけだ」

「お、おう、すまん」


 俺を見上げて、ルティが口をとがらせる。でも、さっき釘を刺したときとは違って、拗ねるというよりは怒っているような感じだった。


「しかし、〈らじおきょく〉のような場所が学校にあるとはな」

「学校からの大事なお知らせを伝えるときに、ここを使うんです。あとは、お昼休みには音楽を流したり、学校のみんなからのメール……えっと、お手紙を募集して、それを読んだりもするんですよ」

「まるで〈らじお〉のようですね。サスケも、それはやったことがあるのか?」

「えっ? あ、いや、俺はまだだ」


 あっという間に機嫌を直したらしいルティに内心ホッとしながら、首を横に振る。


「校内放送は、基本的に3年生がやることになってるんだ。だから、そういうのは七海先輩とか空也先輩たちの仕事」

「ふむ。ナナミとクウヤの放送も、是非聴いてみたいものだ」

「あー、いや……うん。今の先輩たちのだったら、いい……のか、な……?」


 そいつはまずいと一瞬思いかけてからすぐ、大丈夫じゃね? と正反対のことが頭をよぎる。

 わかばシティFMから校内放送に舞台を移したとたん、先輩たちの放送はウソみたいに大人しくなった。かといってふたりの本質が変わったわけじゃなく『やりたいことはもっとある』と、別のことに力を注ぎ始めたから。その方向がまたいつ変わるかもわからないし、なかなか油断はできない。


「そのナナミたちだが、向こうでどのような打ち合わせをしているのだ?」

「台本の読み合わせ。この後録音……えっと、音を録るまえに一度台詞とかを確認して、どんな風に演じるかを擦り合わせるんだ」

「ほほう。それで、サスケは録る役目というわけか」

「そして、私が音を調整する役目です」

「ほわっ!?」


 後ろからの声とルティの叫びに驚いて振り向くと、そこには俺と同じ2年生で、もうひとりの放送部員がタブレットPCを手に座っていた。


「な、中瀬、いたのか」

「いたのか、ではありません。さっきからずっとここにいました」

「サスケの陰にいて気付かなかったぞ……」

「失礼ですね、あなた」


 いつものように無表情な放送部員――中瀬が、むっとしたように反論する。


「申し訳ない。今のは、我の失言であった」

「わかればいいのです」

「……そなた、なかなか偉そうではないか」

調整室ここの主ですから」


 実際偉そうな中瀬の言葉に、困惑したルティが俺に目を向けた。


「あー、こいつは『中瀬なかせ海晴みはる』。放送部の技術担当で、機材を整備したり音を調整したりするんだ」

「どうも。みはるんとでも呼んでください」

「わ、我はエルティシア。エルティシア・ライナ=ディ・レンドというが……みはるんとな?」

「はい、みはるんです」

「よう、みはるん」

「……松浜くんに呼ばれると、悪寒が走るのですが」


 ふざけて言ってみたら、露骨に嫌そうな顔をしやがる。男にだけはこうなんだよな。


「な、なんなのだ、一体……」

「すまんな。こいつはマイペースなんだ」

「我が道を行く孤高の女と言ってください」


 俺が言った『マイペース』が理解出来なかったのか、それとも中瀬の補足に呆れたのか、ルティの困惑がどんどん深まっていく。まあ、こういう奴なんだよ。こいつは。


「海晴ちゃんは、ずっと効果音を選んでいたのよね」

「ええ。昨日の音系即売会でなかなかいい効果音を手に入れたので」

「〈コウカオン〉とな?」

「おや、効果音をご存じない」

「うむ」


 ルティがうなずいた瞬間「ほほう」とつぶやく中瀬のメガネがキラリと輝いた……ような気がしたのは、たぶん気のせいじゃない、はずだ。


「では」


 中瀬が据え付けてあるスピーカーのケーブルをタブレットPCに接続すると、


「ぽちっとな」

「おわっ!?」

「うわっ!」


 画面をタップした瞬間、大きな爆発音がスピーカーから飛びだして来やがった!


「な、なんだ!? なにが爆発したのだ!?」

「ルティ、落ち着け! 今のは音だけだ! 中瀬、お前なぁっ!」

「あらよっと」

「みぎゃあっ!?」


 今度は雷かよ! しかもずいぶんリアルな音だなおい!


「……かわいい」

「このドS!」

「欲望に素直なだけです」

「ううっ……なんなのだっ、なんなのだっ」

「ルティさん、大丈夫ですよ。音だけですから落ち着きましょう」


 ああもうっ、ルティが怯えて赤坂先輩にしがみついちゃったじゃないか。


「今のは音だけを録ったもので、セリフを録音したあとにこれで背景の音を付け加えたりするんだよ」

「なぬ? 演じている後ろで音を出していたのではないのか?」

「昔はそうしていたみたいだけど……」

「こういう音を即興で出すのは、なかなか難しいです」


 もう一度中瀬がタブレットをタップすると、今度はスピーカーから頬が平手で打ったような衝撃音が流れる。


「これは、この間のラジオでリューナがエリシアを平手で打ったときのだよな」

「その通りです」

「では、ミハルは様々な音を選んで流すのが仕事なのか」

「音だけではなく――」


 さらにタップして、のんびりとした中瀬らしい音楽が流れだした。


「その場に見合う音楽を流すのも、私のお仕事です」

「おお……さながら、ミハルは〈音を操る者〉といったところか」

「みはるんです」

「……えっと」

「みはるんです」

「み、みはるん」

「いえす。二重の意味でいえすです」


 満足げに、中瀬がメガネの位置を直しながらふんすと鼻を鳴らす。ガッツボーズまでするほどうれしいか。


「神奈っちもななちゃん先輩もくーちゃん先輩もがんばってるんだから、私だって全力で音を選びます」

「で、俺がその音を先輩たちが演技したものに付け加えたりする、と」

「そこは松浜くんの得意分野なので、任せてます」

「カナとナナミとクウヤは演じて、サスケとミハル……んんっ、みはるんはそれを支えているわけか。では、脚本は誰が書いているのだ?」

「脚本は……ほら、そこにいる人」

「えっ」


 窓の向こうでにこやかに笑っている空也先輩を指さしてやると、ルティの表情がそのまま固まった。


「あのにこにこクウヤが、このような厳しき物語を……?」

「ルティはまだ第1話しか聴いていないからわからないけど……第2話以降は、これ以上にぐちゃぐちゃのドロドロになっていくぞ」

「ほ、ほらっ、また我を驚かせようとするっ!」

「いいえ、誇張でもなんでもありません」

「みはるんまで……」

「容赦なく、エリシアとリューナの義理姉妹は辛い目に遭います」

「し、信じぬっ! 我は信じぬぞっ!」


 ぷいっとそっぽを向いて、現実から目を逸らすルティ。

 でも、続く現実はとても非情なもので。


『ねえ、お兄ちゃん。もうすぐだからね』


 いよいよ始まった本番の大詰め、天井のスピーカーから降ってきたのは有楽が演じるエリシアの虚ろな声。


『もうすぐ……あたしが、お兄ちゃんをよみがえらせてあげるから』

『やめなさいっ、エリシアちゃん!』


 その声に、七海先輩演じる義理の姉・リューナの声が切羽詰まったように被さる。


『どうして? どうして、リューナさんは止めるの?』

『人を蘇らせるなんて、そんなことが出来るはずはないでしょう!』

『そんなの、やってみないとわからないよ』

『もうわかりきってることなのよ……何度も、何度も実験して』

『じゃあさ』


 泣きそうになるリューナをさえぎったエリシアの声は、とても無邪気で。


『お兄ちゃんとリューナさんが研究していたのは、なんだったの?』

『えっ……』

『のこった〈もの〉からからだをもうひとつつくって、たましいを移しそうとしたんでしょ?』

『そ、それはダメ! 絶対ダメっ!』

『ずるいよ、リューナさん』


 とても、残酷で。


『実験を失敗させて、あたしからお兄ちゃんを奪ったのに……』

『これ以上、あの実験に触れちゃだめ! お願いだからっ!』

『それを、リューナさんが言えるんだ』

『えっ……』

『その実験で、お兄ちゃんを殺したのに』

『ち、ちがっ……』

『あたしを止める資格なんてないくせに……これ以上、あたしからお兄ちゃんを奪わないで!』

『リューナちゃん……? リューナちゃんっ、リューナちゃんっ!!』


 悲痛なリューナの叫びで、第2話の幕が閉じる。中瀬が選んだ鉄扉が閉じる音を加えれば、良い感じの終わりになりそうだ。


「はーいっ、おつかれさまでーす」


 マイクに向けてスタジオに呼びかけると、緊迫していた表情の有楽と七海先輩がホッとした感じで椅子にへたりこんだ。


「ふぅ」


 有楽と七海先輩の演技に気圧された俺も、椅子に寄りかかってため息をつく。台本でストーリー自体は知っていても、こうして演技を目の当たりにすると全然印象が違う。


 空也先輩が書いた物語『ダル・セーニョ』は、18世紀頃のヨーロッパのような異世界が舞台。医学者であるウィルが事故に遭って死んだことで妻・リューナと妹・エリシアがいさかいを起こして、エリシアがホムンクルス……いわゆる〈複製クローン人間〉を作ろうとするシリアスなストーリーになっている。

 去年の「だめ×だめ」が先輩後輩による学園ラブコメモノだっただけにその落差は凄く大きかったけど、演じる3人の意欲がとても強くて、そのまま今シーズンのラジオドラマとして採用された。


「ルティ、大丈夫か」

「う、うむ」


 隣に座っていたルティの顔は、収録中と変わらずにまだ強張ったまま。そりゃそうだろう。エリシアの狂気とリューナの悲痛な声をあれだけ耳にしていたんだから。


「…………」


 反対側に座る中瀬はというと、タブレットで検索した曲名らしきものをノートへ一心不乱に書き出している真っ最中。こっちはこっちで、3人の演技にインスピレーションをかきたてられたらしい。


「やっぱり、みんなすごいわね」


 のほほんと言うのは、ルティの後ろで立ってみていた赤坂先輩。先輩がこういう物語に耐性があったとは……


「じゃあ、そろそろスタジオに行きますか。ルティ、立てるか?」

「我を馬鹿にするでないっ」


 口を尖らせながら、ルティはミキサー卓のふちに手を掛けてなんとか立ち上がることは出来た。黒いスラックスに包まれた足がガクガクと震えているのは、見なかったことにしておこう。


「おつかれさまーっす」

「おつかれさまでしたー」

「おつかれさま」

「録音のほう、大丈夫だった?」


 防音扉を開けてスタジオに入ると、有楽と七海先輩はすっかり汗だくで、前半の回想シーンだけの出番だった空也先輩はふたりよりも少しだけすっきりとした顔でいた。


「はい、録音レベルも調整どおりでした」

「そっか。あとで全テイクの録音データーお願いね」

「佐助君、ボクのも頼む」

「あたしもおねがいしまーす」

「了解っす。有楽、ずり落ちるぞ」


 先輩たちの要望を受けて、備え付けてある生のDVD-Rを数枚取り出しておく。いつもの余裕綽々な表情が消えた七海先輩も、へとへとになっている有楽も珍しい。それだけ、全力でやったっていうことに違いない。

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